4 甘いな
朝、山下さんに話しかけようと思った。
思っただけだった。
目が合ったら、なんだか言えなくなった。
学校から帰る途中、八百屋の前で足が止まった。
店先に、小さな花があった。
赤い花が一本。
ジャムの空き瓶にさしてある。
「きれいだろ」
八百屋のおじさんが言った。
「うん」
「でも、誰が置いてるのかわかんねえんだ」
「これ?」
「毎朝な。
一輪だけ置いてある」
昨日は黄色。
その前は白。
朝、店を開けると置いてあるらしい。
「いいじゃん。
もらえるなら」
「まあな」
おじさんは笑った。
「ちょっと気味悪いけどな」
たしかに。
毎朝、知らない誰かが花を置いていく。
ぼくだったら、少し怖い。
次の日。
また花があった。
こんどは青。
もう空き瓶にさしてある。
「今日もある」
ぼくが言うと、うしろから声がした。
「どれ」
フローラが飛んできた。
「学校まで来るなよ」
「来てねえ。
むかえに来ただけだ」
「むかえって何だよ」
「腹減った」
「これはダメ」
「なんで」
「人のだから」
「もう置いてあるじゃねえか」
「そういう問題じゃない」
フローラは聞いていなかった。
空き瓶から、ひょい、と花を抜く。
「あっ」
ぱく。
「食うなよ!」
フローラは口を動かした。
もぐ。
もぐもぐ。
それから、少し首をかしげた。
「……甘いな」
「甘いの?」
「味じゃねえ」
「じゃあ、なに?」
フローラは目を閉じた。
「ちっちゃい手」
「手?」
「あと、リンゴ」
「リンゴ?」
「くせえな」
「リンゴに失礼だろ」
フローラはまだ目を閉じている。
「ベルの音」
「ベル?」
「チリンってやつ」
それから目を開けた。
「以上」
「誰が置いたかわからないの?」
「知らねえ」
「役に立たないな」
「じゃあ、おまえが食えよ」
「食べられないよ」
「役に立たねえな」
その日の夕方。
店の手伝いで、お母さんに頼まれた荷物を運んでいた。
八百屋の前をわざと通った。
おじさんが、女の子にリンゴを渡していた。
ぼくより小さい。
一年生くらい。
「これ、持ってけ」
「でも、お金ないよ」
「売れねえやつだからいいんだよ」
リンゴには、小さな傷があった。
女の子は両手で受け取った。
「ありがとう」
走っていく。
少し先に、自転車が止まっていた。
女の子のお母さんらしい人が乗っている。
女の子が後ろに乗る。
チリン。
ベルが鳴った。
「あ」
ぼくは立ち止まった。
次の日の朝。
少し早く家を出た。
八百屋はまだ閉まっている。
店の前で待っていると、あの女の子が来た。
手に黄色い花を一本持っている。
辺りを見て。
そっと店の前に置いた。
「それ」
声をかけると、女の子が飛び上がった。
「な、なに」
「毎日置いてるの?」
女の子は花を背中に隠した。
「置いてない」
「今、置こうとしてたじゃん」
「……」
「八百屋のおじさんに?」
しばらくして、うなずいた。
「なんで?」
「リンゴくれるから」
「その花、どこの?」
「おばあちゃんのとこ」
「じゃあ、ありがとうって言えばいいのに」
女の子が、ぼくを見た。
「言えないよ」
「なんで?」
「なんか、恥ずかしいから」
「でも昨日、言ってたじゃん」
「あれは、お母さんがいたから」
よくわからない。
でも。
わからないとも言えなかった。
「花なら平気なの?」
「うん」
女の子は黄色い花を見た。
「これなら、置くだけだから」
ぼくは何も言わなかった。
次の日。
八百屋の前には、また一輪の花があった。
その横に、小さな紙。
ひらがなで、
『いつもありがとう』
と書いてあった。
おじさんが、それを見ていた。
「なんだ」
笑った。
「そういうことか」
いつもの空き瓶に、花をさした。
帰り道。
「ありがとうって、言いにくいのかな」
ぼくが言うと、フローラは道ばたの花を見ていた。
「知らねえ」
「おまえ、ありがとうって言ったことある?」
「ねえ」
「だと思った」
「なんだよ」
フローラはむっとした。
少し歩いてから言った。
「花ありゃ、わかるだろ」
「なにが?」
「知らねえ」
また、それだ。
ぼくは少しだけ笑った。
家の前まで来た。
店先に、花がならんでいる。
明日は。
……一本なら、バレないかな。




