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第39話

遅くなって申し訳ありませんでした。

日本時間、午後三時十七分。


その瞬間、世界中の人々が同じ声を聞いた。


『世界告知』


それはテレビから流れたわけでも、スマートフォンから聞こえたわけでもない。耳元で誰かが囁いたようにも、頭の中へ直接言葉を流し込まれたようにも感じられる、不思議な声だった。


東京では、信号待ちをしていた会社員が思わず空を見上げた。大阪では、商店街の八百屋が客との会話を止めた。北海道では、牛舎の掃除をしていた男性が手を止め、沖縄では、海岸で遊んでいた子供たちが一斉に顔を見合わせた。


そして、その声は日本だけではなかった。


ニューヨーク、ロンドン、パリ、北京、モスクワ。世界中の人々が、それぞれの理解できる言語で、全く同じ内容の告知を聞いていた。


『世界初のダンジョン攻略が達成されました』


『攻略対象――第101ダンジョン』


『初攻略者――桑名秀』


『従魔――二郎丸』


『従魔――るかに』


『初攻略特別報酬を付与しました』


『第101ダンジョンは九十日間の休止期間へ移行します』


『未攻略ダンジョン数――三百六十四』


『次回集団暴走判定までの猶予期間が九十日に更新されました』


『世界告知を終了します』


そして、何事もなかったように声は消えた。


世界は、ほんの数秒だけ静かになった。


次の瞬間。


あらゆる場所で、騒ぎが始まった。


・・・


東京都千代田区。


首相官邸。


「……今のは何だ?」


総理大臣は、手元の資料から顔を上げた。


目の前には官房長官、国家安全保障局の幹部、それに経済政策を担当する閣僚が座っている。会議の議題は物価対策とエネルギー政策だったが、そんなものは一瞬で吹き飛んでしまった。


「官房長官。今、何か聞こえたか?」


「……はい。」


「ダンジョンがどうとか。」


「はい。」


「桑名秀とかいう名前も聞こえたな?」


「……はい。」


総理はしばらく官房長官を見つめた。


「君、さっきから『はい』しか言っていないぞ。」


「申し訳ありません。私も状況を把握出来ておりません。」


「いや、私もだ。」


総理は椅子の背もたれに体を預けた。


これまで長い政治生活の中で、様々な問題に直面してきた。自然災害、経済危機、外交問題、国会での追及。どれも難しいものだったが、少なくとも何が起きているのかは理解出来た。


ところが今回は違う。


突然、頭の中に声が響いたのである。


しかも内容がダンジョン攻略。


「……誰か説明出来る者はいるか?」


誰も答えなかった。


「ゲームの話ではないのか?」


経済担当の閣僚が恐る恐る口を開いた。


「最近は、そのようなゲームもあると聞きますが……。」


「ゲームが頭の中で喋るのか?」


「いえ、それは……。」


「そもそも、どうして私の頭の中にゲームの案内が来るんだ。」


誰も答えられない。


その時、官房長官の携帯電話が鳴った。


続いて総理の秘書官。


国家安全保障局の幹部。


会議室の外でも、何台もの電話が鳴り始めた。


「総理、失礼いたします!」


秘書官が慌てて入ってきた。


「全国の警察、消防、自治体から問い合わせが殺到しております!」


「何についてだ?」


「先ほどの謎の音声についてです!」


「やはり全国で聞こえたのか?」


「それが……海外でも同様の現象が発生しているようです!」


「海外?」


「はい! アメリカ、イギリス、フランス、中国など、複数の国から同時に報告が入っています!」


総理の顔色が変わった。


「……世界中で?」


「その可能性が高いとのことです!」


「言語は?」


「それぞれの国の言語で聞こえたと報告されています!」


「……何だ、それは。」


官房長官が立ち上がった。


「総理、直ちに関係閣僚と防衛省を招集しましょう。まずは現象の確認が必要です。」


「そうだな。警察庁、消防庁、外務省、文科省もだ。内閣危機管理監を呼んでくれ。」


「承知しました!」


「それから……。」


総理は一度言葉を切った。


「桑名秀という人物についても調べてくれ。」


その瞬間だった。


「総理!」


別の秘書官が、ほとんど駆け込むように会議室へ入ってきた。


「防衛省から至急の連絡です!」


「何だ?」


「先ほど告知された人物について、既に関連する情報を保有している可能性があるとのことです!」


「……何?」


総理は思わず立ち上がった。


「どういうことだ!」


・・・


防衛省。


統合幕僚監部の関係者と情報部門の職員が集まる会議室でも、同じような騒ぎが起きていた。


「もう一度確認する。今の音声は録音出来たのか?」


「出来ていません!」


「周囲のマイクには?」


「現時点で確認した範囲では、音声として記録されていません!」


「それなのに全員が聞いたのか?」


「はい!」


「幻聴ではないのか?」


「数十人が全く同じ内容を聞いています! 幻聴とは考えにくいかと!」


「ならば何だ!」


「分かりません!」


会議室の空気は異様だった。


防衛省には、以前からある極秘案件が存在していた。


数週間前、千葉県在住の男性から送られてきた一通の手紙。


そこには、近い将来、世界各地にダンジョンが出現し、九十日以内に攻略されなければ魔物が溢れ出すという、常識では考えられない内容が書かれていた。


普通なら悪戯として処理されていただろう。


しかし、その手紙には小さな結晶が同封されていた。


差出人は、それを魔核と呼んでいた。


そして現在、その魔核は複数の研究機関で調査されている。


既知の鉱物とは一致せず、通常の方法では破壊することも出来ない。さらに内部には、既存の物理学では説明しにくいエネルギー反応が確認されていた。


そのため、防衛省内部では極めて慎重な調査が続けられていたのである。


「例の手紙を持ってこい!」


幹部の一人が叫んだ。


「はい!」


職員が資料を取り出す。


差出人。


千葉県在住。


桑名秀。


「……間違いないな。」


「はい。先ほどの世界告知で呼ばれた名前と一致しています。」


「同姓同名という可能性は?」


「もちろんあります。しかし、手紙の内容にダンジョンと九十日という記述がありました。」


「……。」


会議室が静かになった。


「つまり……。」


一人の幹部が呟く。


「彼は、この現象を事前に知っていたということか?」


「少なくとも、そう考えなければ説明が付きません。」


「本人には連絡したのか?」


「まだです。これまでは慎重に情報確認を進めていましたので……。」


「急いで所在を確認しろ!」


「はっ!」


「いや、待て。」


別の幹部が手を上げた。


「相手は世界で初めてダンジョンを攻略した人物だ。もし告知が事実なら、我々が把握していない能力を持っている可能性がある。」


「だからどうした?」


「いきなり自衛隊員を派遣するような真似は避けるべきです。敵対する理由はありませんし、本人はわざわざ警告と資料を送ってくれたのです。」


「……確かにな。」


「まずは連絡を取り、任意で話を聞くのが妥当でしょう。」


幹部は頷いた。


「分かった。だが、急いでくれ。世界中が彼を探し始めるぞ。」


その言葉に、誰も反論出来なかった。


・・・


一方、魔核の分析を担当していた研究施設では、少し違った騒ぎが起きていた。


「先生! 聞きましたか!」


若い研究員が研究室へ飛び込んできた。


「聞いたとも!」


白衣姿の老教授が、珍しく興奮した様子で振り返った。


「世界告知だ! ダンジョンだ! しかも魔核を送ってきた人物の名前まで出てきた!」


「やっぱり本物なんでしょうか!」


「本物かどうかは、まだ分からん!」


教授はそう言いながら、机の上に置かれた小さな結晶を見つめた。


「だが、もし本物なら……。」


「はい!」


「我々は今、とんでもない時代の入口に立っていることになる!」


研究員が頷く。


「未知のエネルギー! 新しい物質! それに魔法ですよ!」


「そうだ! 魔法だ!」


「先生、落ち着いてください!」


「君の方が興奮しているじゃないか!」


「だって先生! 魔法ですよ! 魔法!」


「分かっておる!」


二人は顔を見合わせた。


そして。


「……凄いな。」


「……凄いですね。」


思わず笑ってしまった。


科学者にとって、未知の現象は恐ろしいものであると同時に、抗い難い魅力を持っている。


もちろん、世界告知が示した「集団暴走」という言葉は不穏だった。もし魔物が現実世界へ溢れ出すという意味なら、人類にとって重大な脅威になる。


しかし。


それでも。


未知の世界が存在する。


未知の法則がある。


人類がまだ知らない何かが、すぐ目の前にある。


その事実に、研究者としての好奇心を抑えることが出来なかった。


「先生。」


「何だね。」


「もし本当に魔法が使えるなら、何をしたいですか?」


教授は少し考えた。


「……若返りだな。」


「そこですか!?」


「腰が痛くてな。」


「もっと科学的なことを考えてくださいよ!」


「科学者だって腰は痛いんだ!」


研究室に笑い声が響いた。


・・・


首相官邸では、緊急会議が始まっていた。


防衛大臣、外務大臣、警察庁長官、内閣危機管理監、関係省庁の幹部たちが次々と集まってくる。


総理は、机の上に置かれた一枚の資料を見つめていた。


桑名秀。


千葉県在住。


職業は現在確認中。


防衛省へ警告文と未知の結晶を送付した人物。


「……これが、世界初の攻略者か。」


「その可能性が高いと考えています。」


防衛大臣が答えた。


「本人については現在、確認を進めています。」


「危険人物なのか?」


「現時点で、そのような情報はありません。むしろ、事前に警告を送ってきた点から考えると、協力的な人物である可能性もあります。」


「そうか。」


総理は少し安心したように頷いた。


だが、すぐに別の問題が浮かんでくる。


「ところで……。」


「はい。」


「二郎丸というのは誰だ?」


会議室が静かになった。


「……従魔と告知されていました。」


「従魔とは何だ?」


「恐らく、魔物を従える存在かと。」


「では、人間ではないのか?」


「その可能性があります。」


「……るかには?」


「同じく従魔と告知されていました。」


総理は資料を見た。


桑名秀。


二郎丸。


るかに。


「……三人で攻略したということか?」


「少なくとも三者が関与したものと考えられます。」


「三者?」


「人間とは限りませんので。」


「……なるほど。」


総理は腕を組んだ。


しばらく考える。


「犬や猫という可能性もあるのか?」


「否定は出来ません。」


「……。」


総理は深く息を吐いた。


「私は今、世界の安全保障について会議をしているはずなんだが。」


「はい。」


「どうして犬や猫の話をしているんだろうな。」


誰も答えられなかった。


その時、外務省の幹部が立ち上がった。


「総理、海外からの問い合わせが急増しています。」


「何についてだ?」


「世界告知に登場した桑名秀という人物についてです。名前が日本人と思われることから、各国が日本政府の把握状況を確認しようとしています。」


「……早いな。」


「特にアメリカ、中国、欧州各国からは、現象そのものについての情報共有を求められています。」


総理は頷いた。


「分かった。現時点で確認出来ている事実だけを伝えよう。推測を事実のように話してはいけない。」


「承知しました。」


「それと、桑名秀氏については慎重に対応してくれ。」


「はい。」


「世界中が彼を探すことになる。もし普通の民間人なら、突然こんな騒ぎに巻き込まれて困っているだろう。」


防衛大臣が頷いた。


「まずは本人の安全と意思を確認します。」


「頼む。」


総理は椅子へ座り直した。


そして、ぽつりと呟いた。


「……しかし、世界初か。」


「はい。」


「日本人が世界で初めてダンジョンを攻略したというのは……。」


少しだけ口元が緩む。


「……なかなか凄いことじゃないか。」


官房長官が苦笑した。


「総理、喜んでいる場合ではありません。」


「分かっている。」


総理は頷く。


「分かっているが、少しくらい驚いてもいいだろう。」


そして真顔に戻った。


「問題は、残り三百六十四という数字だな。」


会議室の空気が再び引き締まった。


・・・


その頃。


日本各地では、全く違う反応が広がっていた。


都内の大学。


「なあ! 今の聞いた!?」


「聞いた聞いた! ダンジョンだろ!?」


「世界初攻略って何だよ!」


「ていうか、ダンジョンって本当にあるのか!?」


「俺、剣道やってたんだけど!」


「だから何だよ!」


「冒険者になれるんじゃね!?」


「就活どうすんだよ!」


「冒険者になる!」


「職業欄どう書くんだよ!」


「冒険者!」


「履歴書に書けるか!」


笑い声が上がる。


もちろん全員が本気というわけではない。


でも、誰もが興奮していた。


スマートフォンには次々とメッセージが届き、SNSには世界告知についての投稿が溢れ始めている。


ある者は恐怖を感じた。


ある者は陰謀論を語った。


ある者は政府の発表を待った。


そして。


ある者は。


「……本当に冒険出来るのか。」


そんなことを考え、胸を躍らせていた。


ゲームや漫画でしか知らなかった世界。


剣。


魔法。


ダンジョン。


モンスター。


もし本当に存在するのなら。


それは恐ろしいことかもしれない。


だが同時に。


今までとは全く違う人生が始まるかもしれない。


そんな期待もまた、確かに生まれていた。


・・・


海外でも騒ぎは続いていた。


アメリカでは、政府機関が緊急の情報収集を開始し、軍や研究機関へ問い合わせが殺到していた。


中国では、国家機関が世界告知の内容を分析し、日本人らしい名前が登場したことに強い関心を示していた。


ヨーロッパでも、各国政府が協議を始めていた。


しかし、どの国も決定的な情報を持っていなかった。


共通しているのは、世界中の人々が同じ告知を聞いたという事実だけ。


録音は出来ない。


発信源も分からない。


電波でもない。


通信でもない。


それなのに、言葉は確かに伝わった。


しかも全員が自分の理解出来る言語で聞いている。


科学者たちは困惑し、軍関係者は警戒し、政治家たちは情報を求めていた。


一方で、世界中の若者たちの間では、早くも新しい言葉が広まり始めていた。


ダンジョン。


攻略者。


従魔。


魔核。


そして。


桑名秀。


その名前は、本人が知らないところで、少しずつ世界へ広がっていった。


・・・


千葉県。


とある田舎町。


夕方。


空が少しずつ茜色に染まり始めた頃、一人の老人が畑で鍬を振るっていた。


徳島さん。


七十歳をとうに過ぎているが、今でも毎日のように畑へ出ている元気な老人だ。


「よいしょっと。」


土を返す。


少し腰を伸ばす。


「ふぅ……。」


今日は妙なことがあった。


午後、畑仕事をしている最中に突然、頭の中へ声が響いたのである。


最初は年齢のせいかと思った。


しかし、近くで作業していた奥さんも同じ声を聞いていた。


家へ戻るとテレビでも大騒ぎになっていた。


世界中で同じ声が聞こえたらしい。


ダンジョン。


攻略。


九十日。


そして。


「……桑名秀、ねぇ。」


徳島さんは鍬を地面へ立て掛け、遠くの山を眺めた。


桑名。


秀。


聞き覚えのある名前だった。


いや。


聞き覚えどころではない。


近所に住んでいる若い男の名前だ。


昔から知っている。


最近は犬とハリネズミを連れて、よく山の方へ出掛けているらしい。


「……。」


徳島さんは少し考えた。


確か、犬の名前は二郎丸だった。


ハリネズミは。


「……るかに、だったかのぉ。」


しばらく黙る。


風が吹く。


畑の端に植えた野菜の葉が、さらさらと揺れた。


「……。」


そして徳島さんは、誰に聞かせるでもなく、ぽつりと呟いた。


「……まさかのぉ。」


しばらく山を眺めていたが、やがて鍬を持ち直す。


「……まあ、今度会ったら聞いてみるか。」


そう言って、再び畑仕事へ戻った。


世界中が大騒ぎしていることなど、まるで関係ないように。


ただ、その口元には。


ほんの少しだけ、楽しそうな笑みが浮かんでいた。

もし宜しければ御感想などいただければ幸いです。



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