さあ旅立とう!
「おお! 勇者リアムよ。これまでの長きに渡る修行、誠にご苦労であった」
目映い光を放ち、ふんぞり反っておられるのはこの神殿にのみ現れる女神様。俺と同年代に見える美しい少女の姿をしているが、悠久の昔からこの村を見守ってきて下さった年齢不詳の存在だ。実体はない。普段は天界とやらに住まわれ、こうして時折降臨なされては、俺たち村人に何かと天啓を下される。
「過分なお言葉、痛み入りましてございます。自分が今日まで励んでこれましたのも、女神様を始め、村の皆々様が暖かく支えて下さったおかげなればこそ」
俺は彼女の前で片膝をつき、頭を深く垂れた。厳しい修行もこれで終わりだ。地道な畑仕事や力仕事、煩わしい雑用ももうしなくて済む。深くかぶった兜の目庇の下でニヤリとほくそ笑む。
兜の額には両翼を広げる鷹をあしらった立て物。翼は兜の端からわずかにはみ出る程度。大仰に自己主張していない。くすんだ銀色の兜は、三種の神器の色調に合わせ、俺自身の手で購入したものだ。若干地味だが、渋くて格好良い。かなり気に入っている。
三種の神器の一つ、鎧は兜と同色。胸と腰までを守護する部分鎧だ。胸の真ん中に小さな青い宝石。翼をモチーフにした左右の肩当て。兜の立て物はこれに合わせた。我ながら良いセンスだと思う。茶系統の丈長マントは鎖骨部の二つの留め金で固定されている。
もう一つの神器、左腕のみのガントレットも同じくくすんだ銀色。上腕部の上が高く盛り上がり角張っている。これに合わせて同色の右腕ガントレットが欲しかったのだが、兜を買うだけで手一杯。そこまで手が回らなかった。仕方なくナックルガード付きの革の長手袋で我慢している。街に出て資金が貯まったら、いずれ改めて購入するつもりだ。もちろんオーダーメイドになるだろう。
三種の神器最後の一つは、地味な鞘に収まった小剣。これはまあ、外見上特に語る事もない。
「……というわけで、十八になったそなたは伝説の三種の神器を受け継いだ。今日より旅に出て、世を乱す魔王を打ち倒して参るのじゃ」
女神様が何か喋っていらしたようだが、聞いていなかった。まあいい。どうせ堅苦しい前振りか何かだろう。
「まずは街に出て、そこで仲間を募ると良かろう」
「はっ! それでは直ちに行って参ります! どうか女神様もお達者で。ご壮健をお祈りしております」
逸る気持ちを抑えられず立ち上がった。仲間は全員、可愛い女の子と心に決めている。魔王討伐とかどうでもいいので、この三種の神器でヒャッハーしつつ、適当に面白おかしく暮らすのだ。旅の支度はすでに整っている。
「待て待て。そなたが意気込むのは喜ばしい限りだが、まだ話は終わっておらん」
「はあ」
女神様に引き止められ、しぶしぶ振り返った。
「女にまったく縁のないそなたのことだ。どうせしばらくの間気づかぬだろうし、黙っておこうと思ったのだが……」
は? 余計なお世話だ。てか、何でそんな事知ってんだ。
「その三種の神器には強力なギアスがかかっておってな。魔王を討ち果たすまで他者との性行為は一切禁じられる。そっちの気はなかろうが、念のため言っておくと異性同性問わずな」
「……え? そのような話、お聞きしておりませんが……」
おい、ちょっと待て! 何だそりゃ!? 俺の壮大なハーレム計画はどうなる!?
「まあ、モテないそなたにはあまり実感も湧かないだろうが、魔王さえ倒せば済む事だ。それにその偉業を見事成し遂げれば、一人くらい物好きな女子に好かれるやもしれん」
「いやいやいや、俺がモテないのは出逢いがなかっただけだし! 自分で言うのも何だけど顔もスタイルも割りといい方だし? 修行に明け暮れて遊ぶ暇なかったし! 村の女の子たちの見る目がなかっただけだし!」
「そういう事にしておいてやろう……。魔王を倒しても誰一人相手にして貰えぬようであれば、妾が褒美に一度くらい相手してやっても良いぞ。可哀想なので仕方なくな。それを励みに精々頑張るがよい」
女神様は憐れむような目で俺を見ている。
「やった! マジですか!? ……じゃねーよ!! どんだけモテねーと思われてんだよ! アホくさ! やってられるか! そんな制約までかけられて魔王なんざ倒しに行けるか! やめだ! やめ!」
端から魔王放置の腹積もりだったが、乱暴に左腕のガントレットを外そうとした。三種の神器などに頼らなくとも、俺はそこそこ強いハズだ。街に出て酒池肉林の予定は変わらない。
「残念でした~! 一度身に着けちゃったら、もうギアスの解除は出来ませ~ん!」
女神は顔の両側で手をヒラヒラさせながら、変顔で舌を出している。今時、こんな煽り方する奴も珍しい。
「それと無理にエッチしようとすると、全身耐え難い激痛に襲われるんで要注意じゃ。何ならここで妾相手に試してみるか? ほれ、実体化してやったゆえ」
全身を纏っていた光が収まる。女神は妖艶な笑みを湛えて俺に近づいてきた。その、割とたわわな胸を突き出す。あ、いい匂い。
「あ、そうですか。ではお言葉に甘えまして……」
こんな美少女とそんな機会に恵まれる事など滅多にない。逃す手はない。
「一切の迷いなく即答しおった。どれだけ餓えておるのじゃ、そなた……。まあよい」
聞こえない振りをする。右手の手袋を取り、生唾を飲み込みながら恐る恐るそのバストに触れた。無論、衣越しだ。どうせなら直に触らせて欲しかったが、贅沢は言うまい。
「柔らかい……」
軽く揉んでみた。
「初めて女の胸を触るにしては、手つきやらしいな……。あ……まずい……ちょっと待て……」
女神様が熱い吐息を洩らす。おお、艶っぽい……。次の瞬間、
「ぎゃああああああ!!」
俺と女神は同時に絶叫を上げて、互いに飛び退いた。よろめいてそれぞれ仰向けにぶっ倒れる。全身に痺れるような強烈な痛みが駆け巡った。倒れたまま、しばらくピクピクと痙攣する。あの程度でこれ? 痛みもさることながら、今後の絶望的状況に顔から血の気が引いた。
「ど、どうじゃ……。ギアスの恐ろしさ、身をもって知ったであろう……。わはは……。こ、このように、そなただけでなく相手にも迷惑がかかるゆえ心せよ。ぜえぜえ……ふふふ……」
しかしこの女神は、何故我が身を犠牲にしてまでその脅威を伝えようとしてくれたのか……。まさか、俺に触られた程度ではその気にならないと高をくくっていたのか。
「くっ……、あの程度で感じてしまうとは……」
ぶつぶつ呟いて歯噛みしている。アホだった。
「ともあれ、ギアス発動は、あくまでも他者とのエッチの際のみゆえ安心せい。この意味はそなたなら、よっっっっっくわかるであろう」
「うるせーよ、ほっとけこのアホ女神! だいたい何なんだ、この悪趣味な制約は! 俺に何か恨みでもあんのか!?」
「そなたが真面目に魔王討伐に向かうつもりがなかったのは、最初からお見通しだっつーの! バーカ! ま、それでなくても、ギアスは元々神器にかけられていたものゆえ不可抗力だ。観念するんじゃな。何度も言うが魔王さえ倒せば事は収まるのだ。そなたとエッチしてくれる女子がいればの話だが。……ププ」
「しつこいわ!! いいとも、やってやろうじゃねえの! 魔王討って女子はべらせ、ふんぞり反ってこの村に凱旋してやる! 必ず吠え面かかせてやるから覚えとけ! あと、一発やらせる約束忘れんなよ?」
「そなたが一人寂しく戻ってきたらな。あ~、ちなみに心配なんで妾も旅に同行する。……とかいう展開は、微塵もないんで期待せぬように。下界ではこの神殿から離れられぬのでな。ほれ、とっとと行け」
「こっちから願い下げだ! 一瞬ドキっとするような健気な顔して見送んな!」
荷物の詰まった背嚢を引っ掴み、涙目で神殿を飛び出した。無論、神器はすべて身につけたままだ。
「お~、リアム。出立は今日だったか。頑張ってこいよ~」
「ありがとう! ちょっと魔王倒しに行ってくる!」
すれ違う村人たちに呑気な激励の言葉をかけられ、村を出る。牧歌的なこの村とも当分おさらばだ。何度か行った事のある街を目指して歩き始めた。まだ午前中なので、今日の夕方までには到着出来るだろう。
麗らかな陽射しの中、背嚢を背負い、歩きながら三種の神器マニュアルに目を通しておく。三種の説明が一冊にまとめられた薄い小冊子だ。
「まずは鎧からだな」
何となく適当に決めて、そのページを開いた。ざっと目を通す。
鎧は他の二種程の硬さはない。その代わり、自己修復機能が備わっている。破損しても時間と共に徐々に復元するらしい。ただとてつもなく硬いだけより、むしろそっちのがすごくないか? ていうか怖いんだけど。
そしてメイン機能が、これまたとんでもない。胸の中心にある青い宝石のすぐ真下に、鎧と同じ銀色の小さなリングがついている。それを下に引っ張ると、カチリと手応えがして宝石の色が赤に変わった。同時に全身が何とも言えない浮遊感に包まれる。何が起こるか知っていたので、俺はあらかじめ足を止めていた。風が吹いてきてその方向に易々と流される。慌てて再びスイッチを引っ張った。宝石の色が青に戻ると共に、全身が地面に吸い寄せられる奇妙な感覚。ズシリと身体の重さが元に戻る。
身につけている物もろとも、すべての重さが消失するのだ。重さの無い状態に関しての座学や、高所から落下して受け身を取る等の訓練は行ってきた。しかし、その状況下での訓練はしていない。こればかりは徐々に馴れていくしかないだろう。その状態を生かした応用方もまだ考えていない。
とりあえず後回しにして、次にガントレットのページをめくった。
<STEP1 最初に形態を変化させてみよう!>
そこにはデカデカとそう書かれていた。どんな形になるのかもすでに把握している。その形態を使いこなすのに、訓練は必要不可欠だからだ。武器も同じ。それぞれ別々の武器や盾を用いて、過不足なく扱えるよう十分な訓練を行ってきた。
<まず左手の親指を手のひらに当てます。次いで親指を離し、人差し指、中指、薬指の三本を揃えて立てます。この指の動きはラウンドシールドモードを解除する際にも行います>
図解入りの説明通りやってみた。ガントレット上部が変形し、頭部を優に覆い隠せる程度の円形の小さな盾になる。ラウンドシールドの端は握った手の甲が隠れるくらいの位置。手首を上に大きく折り曲げる事は出来ないが、手は自由に使える。
親指の動きは同じ、次に中指、薬指、小指の三本指を揃えて立てる事でカイトシールドモードに変わる。と書かれているが、何も起こらない。片手でマニュアルを開いたままもう一度目を通した。どうやら変化の際、自身の身体に当たる危険がある時はセーフティロックがかかるようだ。
ラウンドシールドを前に掲げ、もう一度同じ動作を行ってみた。するとガシャコンと音がしてガントレットの上部分が前にスライドし、シールドが半身を覆う大きさに変化した。形状も円形から縦長の逆三角形へ。同時にコの字型のグリップが九十度曲がって降りてくる。少し重量が増した気もするが、それでも驚く程軽い。ここまできて質量保存の法則を追及するのも、もはや今さらか。
それぞれの指の動きがラウンド、カイト各モードに対応しており、それを行うことでモード解除やカイトからラウンドへの移行も可能だ。
<STEP2 カイトシールドを分離して使ってみよう!>
グリップの右にあるボタンを親指で長押しする。盾と一体化していたガントレットがガチャッと押し出されて外れる。盾の空白部を埋めるように、下から装甲がスライドしてきた。グリップの位置も盾の重心部まで下がる。一瞬だった。同時にガントレットの厚い上部分もスライドして下がり、その形状自体も最初とほとんど変わっていない。
ボタンを押しながら回転させることで、シールドに残ったグリップの向きは自由に変えられる。俺はいつの間にかまた足を止め、カイトシールドの尖った下部を地面に立ててグリップを回し、色々な角度で持ち方を試していた。どのように構えれば見栄えするだろうとか、そんな事ばかり考えていた。敵が近づいていることにまったく気づいていなかった。
鈍い金属音と共に突如グリップに衝撃が伝わった。グリップと盾の間にショックアブソーバーまで備わっていたようで、音の割にその衝撃力は大した事はなかった。しかし、突然の事に心臓が止まりそうになる。恐る恐る盾の上部から顔を覗かせた。
左右を茂みに挟まれた道の向こう。前方から二つの人影が近づいてくる。いや、人の形をしているが、あれは人ではない。大きさは人と大差ない。レプラカーンと呼ばれる小人が搭乗し操るカラクリ兵器、機巧魔兵。
魔王率いる小人族を脅威たらしめているのは主にこれのせいだ。人型だけでなく、四つ足の獣型や飛行出来る鳥型の他、様々なタイプの目撃が報告されている。
前方の二体はオークタイプと呼称されるもっとも普遍的な機巧魔兵。いわゆる雑魚だ。全身の大部分が木製で、要所が鉄の装甲。頭部はどことなく豚に似ている。突き出た鼻の先端は平たく、耳に似た二つの突起。片方は剣と木盾、もう片方はボウガンで武装している。矢を討ってきたのはそっちだ。再び装填し、そいつだけこちらへ向かってくる。
俺は盾に隠れて身を屈め、地面に膝をついた。
「武器は……」
急いでマニュアルをめくる。雑魚敵とはいえ、一人で戦うのはこれが初だ。緊張で手が震えていた。