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触れられない夫が三年間そっと置き続けたものに気づいたとき私は泣いた  作者: 月雅


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第5話「誓約の鎖」

——三週間。この沈黙は、味方がいないということだろうか。


エミールに手紙を出してから、三週間が経っていた。


晩秋の風が窓の隙間から入り込み、燭台の炎を揺らす。机の上には家計簿と、数日前に届いたエミールの三通目の手紙がある。


「姉上。


噂の出所について、さらに詳しく辿りました。神殿を訪れる信者のうち、複数の者が同じ内容を口にしています。出所は一人ではなく、同時期に複数の信者に広まっています。自然発生ではありません。


父上に報告しました。父上は深刻に受け止めておられます。


僕にできることがあれば、何でも言ってください。


エミール」


三通目の手紙と一緒に、もう一通の封書が届いていた。


ヴァイスフェルト侯爵家の紋章ではない。ハイデンライヒ侯爵家の紋章。差出人は、義父のハインリヒ様だった。


封を切ると、中には二枚の書面が入っていた。


一枚目は短い手紙。


「アネット殿。


エミールより報告を受けた。事態は承知している。


同封の委任状を使い、大神官フェルディナント殿への面会と聖護誓約に関する記録の閲覧を申請されたし。権利侵害照会の形式で作成してある。


ハイデンライヒ家当主として、侯爵家の名誉と家族を守る意思に変わりはない。


ハインリヒ・ハイデンライヒ」


二枚目が委任状だった。ハイデンライヒ侯爵家当主の署名と紋章印が押されている。


エミールが父に直接報告し、義父がすぐに動いてくれた。同じ領地に住んでいるから伝達は早い。委任状は騎馬伝令で送られたのだろう。


手紙を読み返した。


「侯爵家の名誉と家族を守る意思に変わりはない」。


義父は私をハイデンライヒ家の「家族」と書いてくれた。嫁、ではなく。


指先が震えた。嬉しさではない。安堵だ。


一人ではなかった。


委任状を手にしたことで、具体的に何ができるかを整理した。


権利侵害照会。侯爵家当主が「自家の権利が侵害されている疑いがある」として、関連する記録の閲覧と関係者への面会を正式に申し立てる手続きだ。


当主本人ではなく、委任を受けた者が代理で行うことも認められている。


つまり私は、ハインリヒ様の名代として神殿を訪問し、大神官に面会し、聖護誓約の原文と過去の延長事例を閲覧できる。


待っていても状況は変わらない。自分で調べる。自分の目で確かめる。


イレーネの「任期が延長される可能性がある」という言葉が、制度上の根拠を持つのか持たないのか。それを明らかにする。


翌日の午後、イレーネの侍女が屋敷を訪れた。


「聖女様からのお見舞いでございます」


銀の盆の上に、美しく包まれた菓子の箱が載っていた。白い紙に金の紐。神殿の紋章が刻印された封蝋。


侍女は恭しく頭を下げたまま、盆を差し出している。


「まあ、ご丁寧に。聖女様にお礼をお伝えくださいませ」


私は微笑んで受け取った。


侍女が去った後、マルグリットに菓子の箱を渡した。


「お気持ちだけいただきましょう」


「かしこまりました」


マルグリットは箱を受け取り、一瞬だけ私の顔を見た。何も聞かなかった。箱は使用人の休憩室に運ばれた。


お見舞い。


私は病気ではない。この菓子は「あなたを気にかけていますよ」という体裁の、しかしもう一つの意味を持つ贈り物だ。


頻繁に贈り物を送ることで、「聖女が侯爵家の嫁を気遣っている」という事実を周囲に見せる。善意の人間が、困っている相手を助けているように。


噂の中の構図と同じだ。「聖女様が支えてくださっている」。


菓子を食べなかったのは、毒を疑ったからではない。この贈り物に「ありがたく受け取った」という実績を作りたくなかっただけだ。


外堀が少しずつ埋められていく感覚がある。


急がなければ。


三日後。


マルグリットに神殿訪問の支度を頼んだ。


「神殿でございますか」


「ええ。大神官様にお目にかかります」


マルグリットの眉がわずかに上がった。けれどすぐに元の表情に戻り、「かしこまりました。護衛のルートヴィヒに馬車の手配を伝えます」と答えた。


侯爵家の当主夫人候補が神殿を訪問する。護衛一名の同行が必要だ。正装に着替え、委任状を携えて、正式な手続きとして訪れなければならない。


鏡の前で髪を整えながら、胸の奥に緊張がわだかまっている。


神殿は未知の領域だ。イレーネの本拠地と言ってもいい。


けれど怖がっている場合ではない。


委任状は侯爵家当主の権限で発行されたものだ。大神官はこれを拒否できない。手続きに則っている限り、私は何も間違っていない。


正装の最後のボタンを留めた。


深く息を吸って、吐いた。


行こう。


玄関の扉を開けると、冷たい晩秋の空気が頬を撫でた。


門の前に馬車が用意されている。護衛のルートヴィヒが御者台の横に立っていた。


そして、馬車の手前に——。


レオン様がいた。


聖騎士の外套を羽織り、玄関先の石段の脇に立っている。腕を組んで、馬車のほうを見ていた。


私が出てきたことに気づいて、こちらを向いた。


目が合った。


朝の陽光の下で見るレオン様の顔は、夜の窓越しに見るよりもずっと近かった。輪郭が鋭く、肌の色が明るい。目の下にうっすらと影があるのは、昨夜も遅くまで起きていたのだろうか。


レオン様は私を見て、ほんの一瞬だけ眉を動かした。


それから口を開いた。


「……気をつけて」


短い。たった一言。


けれどその声には、三年間の沈黙を破る重さがあった。


これまでレオン様が私に向けた言葉は、事務的な連絡と最低限の挨拶だけだった。「おはよう」「失礼する」「問題ない」。感情の色を持たない、義務としての言葉。


「気をつけて」は違った。


短い一言の中に、意志がある。行き先を知っている。何をしに行くのか分かっている。そしてそれを止めるのではなく、送り出している。


胸が詰まった。


「……はい。行ってまいります」


声が少しだけ揺れた。


レオン様は頷いた。あの、いつもの小さな頷き。


私は馬車に乗り込んだ。扉が閉まり、馬車が動き出す。窓から振り返ると、レオン様はまだ玄関先に立っていた。


腕を組んだまま、馬車を見送っている。


馬車が王都の石畳を走る音を聞きながら、委任状の封筒を膝の上で押さえていた。


手が震えている。


緊張ではない。


「気をつけて」。


三年間で初めて、レオン様が私に明確な意志を込めた言葉をくれた。主語もなく、理由もなく、たった五文字。けれどそれは茶碗の温度よりも、庭の花よりも、はっきりと——。


いけない。今は感情に浸っている場合ではない。


神殿に着いたら、大神官に面会を申し入れる。委任状を提示し、聖護誓約の原文と延長に関する記録の閲覧を申請する。


感情は後だ。


今は、制度に挑む。


馬車の窓の向こうに、神殿の白い尖塔が見え始めていた。

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