仁と景
*
六年前──。
仁がヤード入りしたその年、宗司に連れられて仕事終わりに向かったのは探偵事務所だった。
「探偵……? シャーロック・ホームズの読み過ぎか?」
「ハハ、あれ面白いよな。まあ、そんなとこかも?」
「やっていけんのかよ……」
「それが、たぶんできる。今やってんのが俺の従弟でさ……ほんと、世話の焼ける弟だけど」
「そいつが、あの推理をしたヤツなんだな?」
「そういうこと。ああ、ここの三階だ」
宗司は四階建ての建物を指さした。ゆかりの店となる場所の横を通り、階段を登っていくと、『遠慮なく呼びかけてください。寝てたりするかもしれないから』と日英の二カ国語で書かれた札があった。丁寧なのか、何なのか……。
「…………」
「さあ、入れ入れ。景には言ってあるから」
宗司がドアを開けたため、とりあえず部屋の中に入る。すると、地味でもなく派手でもなく……よく分からないが、どこか綺麗な色合いだと思わせてくる男が出迎えた。
ふわりと笑顔を浮かべた彼は、黒手袋をした右手を差し出してくる。そして、穏やかに告げた。
「はじめまして、俺は志木崎景。宗司くんに話は聞いてるよ、黒須仁くん」
「ああ、よろしくな」
仁はその手を握り返す。握手を交わし、普通に手を離そうと力を抜いた。
しかし、景は違った。
あまりにも器用で自然な動きだったため、状況を飲み込むまでに時間が掛かった。が、確かにそれが目の前にある。
するりと、手袋だけを引き抜かれた。
「なっ! おい、返せ……!」
取り返そうとして、思わず右手を伸ばす。
景の口角が上がった。
奴は手袋を持った右手を仁から遠ざけ、左手で仁の手を受け止めた。四本の指で手首を押さえ、親指は手の平に当てられている。完璧にやられた。
「まさか、自分から見せてくれるとはね」
「…………」
力尽くで彼の手を振り払う。中指の付け根辺りに、軽く爪の跡がついていた。
「あんまりにも無防備だから、そんな話は嘘なんじゃないかなと思ったくらいだよ」
「喧嘩売ってんのか?」
「売ったらいくらで買ってくれる?」
絶対に何か始まってしまう、というほど緊迫した空気が漂いはじめ、宗司が慌てて間に入った。
「あーはいはい! 仁、そういうのしに来たんじゃないだろ? 景も、一応まだお客さんだからさ……」
「あはは、まだ? まだもなにも、彼とは関わりたくないかな。自分の置かれた状況も分かってないくらい呑気なお荷物さんは、勝手にお人好しを振りまいていればいい」
「お人好し? 今それは関係ねえだろ! あと、俺はお荷物じゃねえ。毎日ちゃんと鍛えてるし、自分のことは自分でできる!」
「お荷物だよ。自分のことも分かってないのに、君は他人のことばかりだろう。それが結局はお荷物になる」
「んだと?」
「俺は間違ってないよ、世間知らずくん。死なないように、せいぜい頑張ったら?」
「……ッ!」
ついに腹が立った仁は、景に向かって右の拳を振り上げた。だが、奴は表情一つ変えることなく、左腕で易々とそれを制してしまった。そして、仁の腹に遠慮のない蹴りを入れる。
「くぁっ……!」
膝を着き、腹を押さえる。げほげほと咳が出た。
「自分の実力も、ちゃんと見直した方がいいんじゃない?」
膝の上に手袋を置かれ、ゆっくりと景を見上げる。
そのときのギラリとした瞳に直視され、仁はしばらく理解が出来なかった。
次回より、新しい話《景編》へ──。
「ないよ、君に話すような秘密なんて」




