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白い花の歌  作者: タク
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第十一話

 ロロの館の庭には、小さな小屋があった。扉を開けると、地下への入り口である。薄暗い螺旋階段を下りた先に、明かりがついている。部屋の壁には、盾が飾られている。ひどく古いもので、ところどころ赤くさびている。実際に使われていたものなのか、表面はあちこちへこみ、端がひしゃげたものもある。

 数は、五つ。ノクスフォアのカイの居館にあった、剣の数と同じ。

「やっぱりうまくいかなかったらしいなあ」

 六角形の石の壁に囲まれた地下の一室、その中央のやはり石造りのテーブルに、酒瓶とグラスが四つ置いてあった。その一つを傾けながら、ロロは言った。

「うまくいかなかった、だ?」

 迅が苦々しく言うと、ロロは相変わらずの含みのある笑みで振り返った。

「悪いねえ。努めて冷静を装っちゃいるが、この男は衝動に弱い。思考は行動を抑制するが、衝動は思考を凌駕する。そういうもんだ」

 カイは黙ったまま、グラスの置かれた空席の一つに腰掛ける。瞳真にはそれが、決まりきった動作のように見えた。その空席はカイのものなのだ。六角形の壁の一面、黒い十字に白い花、そして青い獅子が描かれた盾を、背にする場所が。

「まあ、あんたたちも座るといい。詫びにこうして酒の準備しておいた。酒に毒は盛らない主義だから、心配はいらない」

 迅と瞳真は顔を見合わせて、ひとまずテーブルにつくことにした。ロロが座っている後ろの壁には、地面に根を、空に枝葉を広げ、その内に黒い十字を抱く樹木が描かれていた。

 酒瓶から、透き通った金色の酒が注がれる。ひんやりと湿った地下の空気に、ほのかに花の香りが混じった。その繊細で美しい香りは、「酒に毒は盛らない」というロロの言葉に説得力を与えた。瞳真は一口、金色の酒を味わって、グラスを置いた。

「盾も五つか……」

 迅がつぶやいた。既にグラスを空になっている。

「その通り」

 空のグラスに新しく酒を注いで、ロロが言う。

「剣の五本、盾も五つ……、カルメのところには兜が五つ。暗夜の騎士団の長は、五人いた」

「……あと一人は、おれたちが今、スタウィアノクトと呼んでいるあの街にいたんだな?」

 瞳真が尋ねる。カイは顔を青白く、強張らせるが、ロロは遠い記憶を懐かしむように言った。

「そうさ。あの城、あの祭壇……、あれを造ったのは、そいつさ。おれたちの導き手、エドガー=ウェルグローリアの友……」

「子を成さずに死んだ、と言ったな」

 瞳真が言うと、ロロはグラスを口に運ぶ手を止めた。そして、しばらく遠くを見るように目を細め、言った。

「死んだかどうかも知らんのだよ。消えたんだ。ある日、突然にね」

 瞳真と迅は、眉を寄せる。

「消えた……?」

「そう、あの祭壇を残してね。もしかしたらどこかで生きているのかもしれないが、どこに行ってしまったのか……」

「生きてるかもしれないって……、何百年前の話だよ?」

 迅の一言に、カイが刺すように睨みつける。迅は肩をすくめ、視線を遮ろうとしたのか、それとも謝罪のつもりか、片手を挙げる。ロロは頬杖をついて、くぐもった声で笑った。

「これがこの男に巣くう衝動だよ。こいつがあの神官を訝しむのは、ひとえにそいつのためなのさ」

「何……?」

 瞳真が問う。ロロは迅のグラスが再び空になっていることに気付くと、酒瓶に手を伸ばす。花の香りをただよわせて酒が迅のグラスに注がれるのを、カイは張り詰めた顔で見つめている。

「あの街の名は……」

 満月の夜。湖に浮かぶ祭壇。あふれるような白い花。湖の泥の臭いと、花の香りが混じった匂い。そこで唯一の友の死を悼む、後ろ姿。

「シガン……」

 その一言に、迅も瞳真も目を丸くする。

「シガン?」

 ――シガン。優祈が名乗る、彼の名。

「そう、そいつの名は、シガン。リュシアン=シガン……」

 部屋の中が沈黙に包まれる。地下の石造りの冷涼な空気と、湿った土の臭いが、沈黙を強調する。

 瞳真も迅も、頭の中で記憶を巡らせる。「生きているかもしれない」、消えた暗夜の騎士団の一人。それと同じ名前を名乗る、――どこか普通とは違う神官。

 しかし、結論には辿り着かない。二人は優祈の了解の上で、鈴樹から彼の生い立ちの話を聞いていた。優祈自身が知らないのだ。自分が何者で、どこから来た者であるのか。

「ちょっと待て。それってつまり、優祈はあんたらのお仲間の子孫かもしれないって、そういうことか?でも、子を成さずに死んだって……」

 迅が、目をぐるぐるさせながら眉間を押さえて言う。

「さあねえ……。それも可能性の一つかもしれないがね」

 ロロは含みのある笑みを浮かべて言う。黙ったままのカイが、わずかに眉間の皺を濃くした。

「ここで何を言おうとも、真実はわからない。記憶の楔をどれほど遡っても、リュシアンの行方はわからない。彼が確かにいたことも、俺たちが楔から放たれれば忘れ去られるだろう。それくらいにね、消えたんだ。何も言わず、何の痕跡も遺さず、忽然と――」

 そうしてロロは、憐れむようにカイを見た。

 ――ここで何を言おうとも、だと?

 心中で、瞳真はつぶやいた。ロロは言葉よりも、表情で真実を語っている。つまり、違うのだ。優祈はリュシアン=シガンの子孫ではない。

 ――なぜ、そう言い切れる?

 根拠があるのだ。彼は、――否、彼らは、優祈=シガンという男が何者であるのか、何か知っているのではないか?

 飛躍する思考を押しとどめる。瞳真は、ひとまず話題を変えることにした。

「あの刻印……、咎人の証と、そう言ったな」

 迅が、かすかに表情を険しくする。

 思い出したのだろう。シン=ウィーラントの胸に刻まれた刻印。二つは同じ類のものだ。なぜかはわからないが、そう確信していた。

「そう、昼の世界の神、マグニソルのね……」

「……似たものを、別の場所で見た。トルトニスの刻印だ。これは、偶然か?」

「ほーう……」

 ロロがグラスを揺らす。そうすると、花の香りが立ち上る。それが冷たい空気に流れていくに従って、ロロは部屋の出入り口に目をやって、あざけるように小さく笑う。

「それは、俺たちに向ける問いか?咎人の証とはつまり、何らかの理由で神の怒りを買ったということだ」

「だが、トルトニスの刻印を受けた男は、神官じゃない」

「咎人の証は神官だけが受けるとは言ってないだろう?」

「そうじゃない……。はぐらかすのはやめてくれないか」

「はぐらかしてなどいない。質問が間違っている。『それは、俺たちに向ける問いか?』」

 ロロは、劇中の台詞のように自分の言葉を繰り返す。ふと気が付くと、先ほどまでどこを見るともなく視線を遠くに向けていたカイが、瞳真を見ていた。

「……『未だ終わらぬ悲劇の連鎖』、そう、言ったな」

「左様」

 簡潔に、カイが答える。

「炎……、戦い……、戦っても、果てには絶望しかない……」

 それは、タグヒュームのことか。あるいはステルラのことか。それとも遙かかなた、この国の始まりのときのことか。

「……なぜ、今だ……?」

 カイの目が、瞳真を見据えている。深い海のような目。悠久の時を、重く抱える目が。

「なぜ今、鈴樹のもとに現れた?」

 ロロが、ふ、と笑った。

「そう、それが正しい問いだ」

 カイは、ゆっくりとまばたきをした。もう一度目を開いたとき、その目はもう瞳真を見てはおらず、その代わり、再び何かの衝動に憑りつかれているかのようだった。

「刻印は、悲劇と共にあるものだ」



******



 翌日、鈴樹は瞳真とカイと共にカルメの待つセレノミンへ向かうことになった。ロロの用意した毛並みのいい馬に跨り、鈴樹は、頭の後ろで手を組んで立っている迅を見やった。

「君は好奇心の強い方と思っていたんだがな」

「ま、優祈が心配だしな。そっちは瞳真がいりゃ十分だろ?」

「……ほう」

 ぎこちなく笑う迅を、鈴樹は冷ややかな目で見下ろす。冷や汗をにじませながら、迅は口元をひくつかせた。

「おれが頼んだんですよ」

 馬を引いてやってきた瞳真が言う。

「ここからセレノミンへは、少し距離があるということでしたから。優祈君もいないのに、こいつを連れてたんじゃあどんな目に遭うかわかりません」

「……ほう」

 瞳真の流暢な物言いにも不自然さを前面に主張する満面の笑みにも、鈴樹は迅にしたのと全く同じ反応を返す。ただし、瞳真はその冷ややかな目に全く動じない。主従であるはずの二人の間に電気が走ったような気がして、迅は口をヘの字に曲げる。その隣で、ロロが口元を押さえて笑いをこらえている。

 館の先で、カイを乗せた馬が、急かすように蹄を鳴らす。

「よかろう。では迅、優祈に何かあれば、君はその千倍の苦痛に耐えろ」

「せっ……」

 迅の反論を聞くこともなく、鈴樹は馬を翻し、背を向けてしまった。それと同時にカイの馬も走り出し、瞳真が鈴樹の後に続く。

 もうもうと土埃が舞って、迅はむせりながら悪態をつく。

「クソッ、ひっとの気も知らねーで……!」

「ごまかしや嘘は嫌われるんだろう」

 どこで聞いていたのか、あるいはカイから聞いたのか、もしくはそれも人知を超えた何かなのか、昨夜、カイに向けた言葉をそのまま借りて、ロロが言った。

「あのな!」

「何だ」

「元はと言やあお前らが話をやたらややこしくしてんだよ!いや、ややこしくてもいいけどな、お前らがお姫さんの前で全部を語らないから、おれらまで隠し事をする羽目になってんじゃねえか!」

「全てを話して信用が得られるなんていうのは子どもの理屈だろう」

「大仰な理屈を振りかざしてやることがみみっちいっつってんだよ!」

 吐き捨てて、迅は館の中に入っていった。ロロは、しばらく黙って、やがてまた、小さく笑った。

「……なるほど」




 苛立ちをふりまきながら、迅は優祈が寝かされている部屋の扉を必要以上に思い切りよく開けた。扉はチェストにぶつかり、その上に置かれていた置物が揃って向きを変える。

 口を一文字に結んだ迅は、優祈のそばに腰かけて目を丸くしているリコと、気まずく見つめ合う。勢いをつけすぎてドアノブから手が外れてしまった扉が、チェストに当たった反動で、ギイ、と間抜けな音を立てて手元に戻ってきた。

「……ごめん」

「いえ……」

 そこが病人の部屋であることを思い出したらしく、迅は静かに扉を閉める。リコは、優祈がまだ眠っていることを確かめて、うつむき、膝の上に置いた両手をもどかしげに動かした。

 迅は手近な椅子の手に取り、リコの真向かいに逆向きに置いた。その距離のあまりの近さにリコがもの言う間もなく、迅は椅子にまたがり、椅子の背に腕を組んでリコの顔をじっと見つめた。

「……あの」

「で、お前はなんなの」

 リコがぎこちなくほほ笑んで言いかけるのを待つこともなく、迅は尋ねた。リコは、ばつが悪そうな顔でうつむいてしまった。

「なんかずっと変だよな、お前。暗夜の騎士団が現れたあたりからか?今回だって、最初に会ったときの感じからすれば、セレノミン、見たがっただろ?それをここに残るっつったのは、優祈と二人になりたかったからか?」

 リコは唇を震わせる。目には、じわじわと涙がたまっていった。その様子に、迅は眉を寄せる。

「なあ、なんでだよ?二人で話したいって言えばおれたちも、お姫さんも席を外すだろうよ。それじゃ足んなくて、おれたちのいないところで何をしたかったんだ?教会<エスカエルム>の使命を受けて来たんじゃないって、そう言ったよな」

「ちがい、ます……、教会<エスカエルム>は、本当に、関係な……」

 リコが首を振ると、それに従ってたまった涙がぽろぽろと落ちる。顔は完全に下に向いてしまった。本格的に泣き出したリコの頭を、迅はそっと撫でる。

「じゃあ、なんだよ……」

 リコは苦しそうに鼻をすする。迅の声は不信感を隠さないが、頭を撫でる手は優しい。膝の上の手を、リコは握り締める。

「聞くの、こわくて……」

「あ?」

「でも、助ける方法が、あるのか、聞きたくて」

 しゃくりあげながら、リコはたどたどしく話す。迅は何をどこから尋ねればよいものかと首を傾げる。しかし、それ以上彼からの説明を待つのは難しいように思えて、答えが簡潔に済みそうなところから尋ねていくことにした。

「助ける方法って……、誰を?」

 リコはびくりと体を震わせ、涙にまみれて赤くなった顔を上げた。その顔に、迅は一寸戸惑った。リコは、迅の顔をじっと見つめて、やがて、真っ赤な目から、またさらに大粒の涙がぽろぽろとこぼれ始めた。

「おい、ちょっと……」

 迅はうろたえて、袖の生地を伸ばして涙を拭こうとする。それと同時に、リコは小さくつぶやいた。

「……兄、さん……」

 そして、次にはついに顔を膝に埋めて泣きじゃくり始めてしまった。

「兄さん?兄貴、いんのか」

 迅はつぶやくが、もうそれ以上何も聞けそうにはなかった。仕方なく、苦しげにしゃくりあげる背中をごしごしとこするように撫でた。

 ――『兄さん』。

 血の繋がりの上では、確かにそうだった。しかし、一度もそう呼んだことはなかった。どう呼べばいいのか、わからないまま別れてしまった。覚えている。コンルーメンの小さな教会の、地下の図書室。地下を照らすには頼りないランプのおぼろげな光に照らされる横顔。儚く、どこかに消えてしまいそうで、それが怖くて、リコはいつも彼に寄り添った。ぴったりとくっついて、せめて温かさを共有できるように、ずっと……。


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