第8話 料理番バルロと、人を動かす道
七日後の崩壊まで、残り五日。
成功率、三十八パーセント。
数字だけ見れば、まだまだ負け戦だ。
けれど最初の四パーセントに比べれば、だいぶマシになった。
食糧は動き始めた。
東門の腐った補修も見つけた。
補給部長オルデンは拘束した。
南区の疫病も、初動は抑え込めている。
だが、街を救うにはまだ足りない。
次に必要なのは――避難路。
そして、その鍵を握るのが南区の料理番バルロ。
「……本当に料理番なのか?」
リリアナが寝台の上で、まだ少し納得していない顔をしていた。
「俺のスキルではそう出てます」
「騎士団長でも、聖女でも、商会令嬢でもなく?」
「はい。料理番です」
「この街は不思議だな」
「俺もそう思います」
とはいえ、考えてみれば納得もできる。
避難というのは、命令だけでは動かない。
特に南区のように、騎士団への不信が強い場所ではなおさらだ。
騎士が「逃げろ」と言っても、住民は疑う。
商人が「移動しろ」と言っても、金儲けのためだと思われる。
でも、普段から炊事場に立ち、子どもや老人に飯を食わせ、住民に怒鳴られながらも面倒を見ている人間の言葉なら、届くかもしれない。
街を動かすのは、偉い人間だけじゃない。
日常の中心にいる人間も、同じくらい強い。
「レンジ」
リリアナが俺を呼んだ。
「はい」
「バルロを説得できると思うか?」
「分かりません」
「正直だな」
「でも、行きます」
俺は金色の線を見た。
教会から南区へ。
共同炊事場へ。
そこからさらに、いくつもの避難ルートへ線が分岐している。
バルロという老人を起点に、南区の人々が動く未来。
逆に、彼が協力しなければ、人の流れが詰まる未来。
両方が見えていた。
「説得というより、納得してもらうしかないです」
「どうやって?」
「たぶん、こっちが先に届けるしかない」
「何をだ?」
「水と飯と、逃げた先でも見捨てないという証明です」
リリアナは少し黙った。
そして、ふっと息を吐く。
「お前らしいな」
「そうですか?」
「剣ではなく、飯で道を作る」
「配達員なので」
俺がそう言うと、リリアナは小さく笑った。
その笑顔を見て、少し安心する。
最初に背負った時は、今にも死にそうだった女騎士が、こうして笑っている。
それだけでも、この数日が無駄じゃなかったと思えた。
◇
南区の共同炊事場は、昨日よりも少しだけ落ち着いていた。
井戸は封鎖され、代わりに商会の馬車が水樽を運んでいる。
教会の修道女たちは患者の世話を続け、騎士たちは武器を下げたまま列の整理をしていた。
最初は敵を見るようだった住民の目も、少し変わっている。
警戒は残っている。
だが、昨日のような剥き出しの敵意ではない。
「レンジ様!」
水配りをしていた修道女が俺に気づき、駆け寄ってきた。
「セラフィナ様は?」
「奥で患者の治療をされています。重症者は増えていません」
「よかった……」
俺は胸を撫で下ろした。
ひとつでも崩れれば全部が崩れる状況だ。
南区が持ちこたえているだけで、かなり大きい。
共同炊事場の奥では、大鍋の前にバルロが立っていた。
白髪混じりの髭。
太い腕。
皺だらけの顔。
昨日、汚染された水瓶と鍋を止めた時に、俺を睨みつけてきた老人だ。
今日も相変わらず怖い顔をしている。
ただ、作っている粥はうまそうだった。
大鍋から立つ湯気。
麦と薬草の香り。
そこに少しだけ干し肉の匂い。
南区の住民たちは、文句を言いながらも列に並んでいる。
「来たか、よそ者」
バルロは俺を見るなり、低い声で言った。
「おはようございます」
「お前のせいで、昨日はひどい目に遭った」
「すみません」
「井戸は止められる。鍋はひっくり返される。商会の連中は出入りする。騎士までうろつく」
「はい」
「だが」
バルロは大きな木杓子で鍋を混ぜた。
「死者は増えなかった」
その一言に、俺は少しだけ肩の力が抜けた。
怒ってはいる。
でも、結果は見てくれている。
「それはセラフィナ様と皆さんのおかげです」
「綺麗事を言うな。お前が止めなきゃ、俺はあの水で飯を出していた」
バルロは鍋から粥を器によそい、近くの子どもへ渡した。
「礼は言わんぞ」
「別にいいです」
「だが、話は聞く」
よし。
最初の門は開いた。
俺は深く息を吸った。
「五日以内に、南区の人たちを避難させる必要があります」
バルロの手が止まった。
周囲にいた数人の住民も、こちらを見る。
空気が変わった。
「避難だと?」
「はい」
「疫病の次は何だ。今度は俺たちを街の外に追い出す気か?」
声に怒りが混じる。
周囲の住民たちもざわつき始めた。
「やっぱりそういうことか」
「南区だけ捨てるつもりだ」
「騎士団がいる時点で怪しいと思ったんだ」
まずい。
早い。
火がつくのが早い。
でも当然だ。
彼らはずっと後回しにされてきた。
税を払えないから。
貧しいから。
汚い場所に住んでいるから。
そうやって軽く扱われてきた人たちに、いきなり「避難しろ」と言えば、捨てられると思うに決まっている。
俺は手を上げた。
「違います。南区だけじゃありません」
「何が違う」
「街全体です」
ざわめきが止まる。
「五日後、黒霧の森から魔物の氾濫が来ます。東門が破られる可能性が高い。だから、南区だけじゃなく、市場区も職人区も、東側の住民も避難させる必要があります」
バルロの目が細くなる。
「そんな話、聞いてねぇぞ」
「まだ公表されていません」
「なら、なぜお前が知ってる」
「俺のスキルです」
「スキル?」
「【最短経路】。目的地にたどり着く道が見えます。今は、この街が崩壊を避けるための道が見えています」
バルロは黙った。
疑っている。
当然だ。
知らない若造が「見えます」とか言い出したら、俺でも距離を取る。
周囲からも不安げな声が漏れた。
「胡散臭ぇ」
「騙されるな」
「また上の連中の都合だろ」
ここで言葉だけでは無理だ。
金色の線は、バルロの鍋へ伸びていた。
飯。
そうか。
やっぱり、ここでも飯なのか。
「バルロさん」
「何だ」
「今、この炊事場で一日に何人分の食事を作れますか?」
バルロは眉を寄せた。
「材料があれば、三百」
「人手が増えれば?」
「五百はいける」
「場所を西区に移せば?」
「鍋と薪と水があれば、どこでも作れる」
「じゃあ、南区の人たちを避難させる時、あなたの炊事班も一緒に動いてください」
バルロの顔が変わった。
「炊事班?」
「はい。避難先で飯を出す役です」
「俺たちが?」
「南区の人たちは、騎士団よりあなたを信用している。避難先であなたが鍋を出していれば、みんな『捨てられたんじゃない』って分かる」
周囲の住民たちが静かになった。
俺は続ける。
「ただ逃げろと言われても、人は動けない。でも、逃げた先に水がある、飯がある、知っている顔がいる。そう分かれば動ける」
バルロは大鍋を見た。
湯気が彼の皺だらけの顔を白く曇らせる。
「つまり、お前は俺に飯炊きのまま逃げろと言ってるのか」
「違います」
「何が違う」
「街を救うために、飯を炊いてほしいんです」
言いながら、自分でも少し変な話だと思った。
でも本気だった。
東門で戦う騎士も必要。
治療する聖女も必要。
物資を動かす商人も必要。
そして、避難した人に温かい飯を出す人も必要だ。
人は腹が減れば不安になる。
不安になれば怒る。
怒れば列は乱れる。
列が乱れれば避難路が詰まる。
避難路が詰まれば、死人が出る。
なら、飯は防衛線だ。
バルロはじっと俺を見た。
「飯で街を救えると思ってんのか」
「飯だけでは無理です」
「だろうな」
「でも、飯がなければ絶対に無理です」
沈黙。
周囲の住民たちも、誰も口を挟まない。
やがてバルロは、低く笑った。
「変なことを言う若造だ」
「よく言われます」
「だが、嫌いじゃねぇ」
最近、それもよく言われる。
俺は少しだけ苦笑した。
バルロは大鍋を木杓子で叩いた。
「おい、お前ら!」
広場に声が響く。
「五日後に何が来るかは知らん! だが、このままだと面倒なことになるのは確からしい!」
住民たちが一斉にバルロを見る。
「井戸の時も、こいつは当てた! 鍋の時もそうだ! 気に食わねぇが、今のところ外してねぇ!」
「バルロ爺……」
「だから、話くらいは聞く! だが!」
バルロは俺に木杓子を向けた。
「南区を捨て駒にするなら、俺が最初にお前を鍋にぶち込む」
「それは嫌です」
「だったら、飯と水と寝床を先に用意しろ。話はそれからだ」
金色の線が強く光った。
これだ。
住民を動かす条件。
避難命令ではなく、避難先の保証。
「分かりました」
俺は頷いた。
「避難先に炊事場を作ります。水場も確保します。商会の馬車で鍋と麦を運ぶ。教会の人に治療所を作ってもらう。騎士団には道の安全確保を頼む」
「言うだけなら簡単だ」
「だから、今日中にひとつ作ります」
バルロの眉が動く。
「今日中?」
「はい。試験避難です。病人と子ども、老人を優先して、西区の空き倉庫へ移します。そこで一回、飯を出す。成功すれば、みんな信じやすくなる」
金色の線が西区へ伸びる。
空き倉庫。
井戸。
広場。
荷馬車の停車場所。
避難所として使える。
ただし、今は使われていないだけで、中は荒れているはずだ。
掃除と水運びと寝床作りが必要。
時間はない。
でも、今日中に形だけでも作る価値はある。
「バルロさん、協力してくれますか」
老人は俺をしばらく睨んでいた。
そして、鼻を鳴らした。
「鍋を持っていく」
「ありがとうございます」
「礼はまだ早い。失敗したら殴る」
「南区、物理で来る人多くないですか?」
「貧乏人は手が早いんだよ」
怖い。
でも、少しだけ頼もしかった。
◇
試験避難の準備は、地獄の忙しさだった。
まず、ミレーユ商会へ連絡。
水樽。
馬車。
空き倉庫の鍵。
寝具代わりの布。
薪。
麦。
全部が必要だ。
ミレーユは話を聞くなり、楽しそうに目を細めた。
「試験避難。良いですね。小さく動かして、混乱を確認する。商売でも新しい輸送路は必ず試走します」
「協力してもらえますか?」
「もちろん。費用は?」
「騎士団と教会と商会で分担……できませんかね」
「できます。ただし、後で正式な契約書にします」
「やっぱり」
「当然です。善意だけでは馬車は走りません」
ミレーユはすぐに手配を始めた。
商会員が倉庫の鍵を取りに走り、馬車が荷を積み替える。
トマは半泣きで帳簿を書いていた。
「また緊急処理ですか……」
「すみません」
「レンジ様と出会ってから、帳簿が戦場です」
「俺も人生が戦場です」
次に教会。
セラフィナは南区の治療で疲れ切っていたが、試験避難の話を聞くとすぐに頷いた。
「良い判断です。病人を清潔な場所へ移せれば、治療もしやすくなります」
「でも、セラフィナ様は休んでください」
「それは難しいです」
「難しくないです。倒れたら全部止まります」
俺がそう言うと、セラフィナは少し驚いた顔をした。
「レンジ様に叱られるとは思いませんでした」
「昨日、リリアナさんを叱ってましたよね」
「あれは必要だったので」
「これも必要です」
セラフィナは困ったように微笑んだ。
「では、二時間だけ休みます。その間は修道女長に任せます」
「絶対ですよ」
「はい。約束します」
聖女に休息を届ける。
これも大事な配送だった。
最後に騎士団。
ガルドは試験避難のルートを聞くと、すぐに部下を配置した。
「南区から西区倉庫までの道は三本ある。どれを使う?」
俺は金色の線を見る。
三本のうち、最短距離の大通りは赤い。
市場を通るため、人が多すぎる。
荷車も詰まる。
混乱時には危険。
北回りは距離が長いが、道幅がある。
南西の細道は近いが、階段があり老人には不向き。
「北回りで行きます」
「遠いぞ」
「でも、馬車と老人が通れる。市場を避けられる。途中に井戸もある」
「分かった」
ガルドは部下へ命じる。
「北回りの道を空けろ。市場へは迂回を告知。武器は見せるな。誘導を優先しろ」
騎士たちが走っていく。
昨日までバラバラだった人たちが、少しずつ同じ方向へ動いている。
それが金色の線となって、街の中に広がっていく。
◇
午後。
南区から西区倉庫への試験避難が始まった。
対象は、病人十二名。
老人二十名。
子ども連れの家族十五組。
合計で七十人ほど。
少ない。
でも、最初の一歩としては十分だ。
バルロは巨大な鍋を馬車に積み込み、腕組みしていた。
「鍋を落としたら、お前を煮る」
「何で毎回煮ようとするんですか」
「料理番だからな」
「理由になってない」
住民たちは不安そうだった。
荷物を抱え、子どもの手を引き、何度も後ろを振り返る。
住み慣れた場所を離れるのは怖い。
たとえ一時的でも。
俺は広場の中央に立ち、声を張った。
「今日は試しの避難です! 全員を街の外に出すわけではありません! 西区の倉庫で水と食事を用意しています! 具合が悪い人、子ども、老人を先に移します!」
ざわめき。
疑い。
不安。
それでも列は動き始めた。
セラフィナは約束通り休んでいる。
代わりに修道女長が同行し、患者を確認している。
騎士たちは道の左右に立ち、武器を下げている。
商会の馬車は荷物と水樽を運ぶ。
バルロの炊事班は鍋と薪を持つ。
人が流れる。
ゆっくりと。
でも確かに。
金色の線が、南区から西区へつながった。
【試験避難進行中】
【混乱リスク:中】
【市場経由の群衆接触を避けよ】
「市場側に人を流さないでください!」
俺が叫ぶと、ガルドの部下がすぐに動く。
「そっちは通行止めだ! 北回りへ!」
途中、子どもが泣き出した。
母親が立ち止まり、列が詰まりかける。
【列停滞リスク】
俺は近くの商会員に言う。
「水を一杯。あと甘い干し果物ありますか?」
「あります!」
子どもに水と干し果物を渡す。
泣き声が少し弱まる。
列が再び動く。
老人の一人が疲れて座り込んだ。
【馬車余席使用推奨】
「その人、馬車へ!」
「荷物があります!」
「荷物より人優先!」
商会員が荷を詰め直し、老人を乗せる。
また列が動く。
小さな詰まり。
小さな不安。
小さな怒り。
それを一つずつ潰していく。
避難というのは、巨大な戦闘ではなく、無数の小さな配送の集合体だった。
水を届ける。
席を届ける。
声を届ける。
安心を届ける。
そのどれか一つでも欠ければ、人の流れは止まる。
◇
西区の空き倉庫に到着した時、俺は思わず息を吐いた。
中は広い。
埃っぽいが、屋根はある。
近くに井戸もある。
商会員たちが先回りして掃除をし、布を敷き、水樽を並べていた。
バルロは到着するなり鍋を据えた。
「火を起こせ! 水は煮ろ! 麦を出せ! 干し肉は細かく刻め!」
炊事班が一斉に動く。
修道女たちは病人を寝かせる場所を整える。
騎士たちは入口と裏口に立ち、外の混雑を防ぐ。
ミレーユ商会の馬車は次の荷を取りに戻る。
動いている。
避難所が、形になっている。
やがて、粥の匂いが倉庫に広がった。
最初に器を受け取ったのは、南区で水をもらっていた子どもだった。
湯気の立つ粥を見て、子どもが小さく笑った。
「……あったかい」
その一言が、倉庫の空気を変えた。
母親が泣きそうな顔で頭を下げる。
老人たちも黙って粥を受け取る。
誰かがぽつりと言った。
「本当に、飯があった」
その声が広がっていく。
捨てられていない。
逃げた先にも水がある。
飯がある。
知っている顔がいる。
その事実が、何よりも強かった。
バルロが俺の横に来た。
「まあ、最低限だな」
「厳しいですね」
「粥が薄い」
「そこですか」
「飯は気持ちを支える。薄けりゃ不安も薄まらん」
料理番の哲学が重い。
でも、間違っていない気がした。
「明日はもっと具を増やす」
「協力してくれるんですか?」
「ここまで鍋を運んで、今さら帰れるか」
バルロは鼻を鳴らした。
「南区の連中には俺から話す。避難先に飯があるとな」
その瞬間、金色の線が太くなった。
【市民代表者:バルロの協力を獲得】
【必要条件四:避難路の確保】
【進行開始】
【試験避難成功】
【都市崩壊回避成功率:三十八パーセント → 四十九パーセント】
「四十九……!」
あと一歩で半分。
ここまで来た。
本当に、ここまで来た。
俺は倉庫の中を見渡した。
粥を食べる子ども。
横になる病人。
炊事場を仕切るバルロ。
水を配る商会員。
入口で警戒する騎士。
祈る修道女。
まだ仮の避難所だ。
不完全だ。
足りないものだらけだ。
でも、これは道だ。
街が生き残るための道が、確かに一本できた。
◇
だが、安堵は長く続かなかった。
夕方。
西区倉庫に、ミレーユ本人が馬車でやってきた。
珍しく、顔に余裕がなかった。
「レンジ様」
「どうしました?」
「問題が起きました」
「またですか」
「ええ。またです」
嫌な予感しかしない。
ミレーユは西区の外れを指さした。
「あちらに旧西門へ続く橋があります。避難を本格化するなら、最終的にあの橋を使って外周避難地へ人を出す必要があります」
「はい」
「その橋ですが」
ミレーユの表情が硬くなる。
「貴族区の管理権限を理由に、封鎖されました」
「封鎖?」
「貴族たちが、自分たちの馬車と財産を優先して通すため、一般市民の通行を禁止したようです」
俺の視界に赤い線が走った。
西区。
旧西門。
橋。
避難路の出口。
そこが真っ赤に染まっている。
【避難路重大阻害】
【旧西門橋封鎖】
【放置時、避難計画成功率低下】
ふざけるな。
思わず、拳を握った。
東門から魔物が来る。
南区では病人が出ている。
街全体を逃がさなければならない。
そんな時に、貴族が自分たちの馬車を優先して橋を封鎖した。
人の流れが詰まれば、死ぬのは弱い人からだ。
子ども。
老人。
病人。
荷物を持てない人。
馬車を持たない人。
俺は奥歯を噛んだ。
「リリアナさんに伝えましょう」
「すでに伝令を出しました。ただ、騎士団の正式命令だけでは時間がかかります」
「なら、直接行きます」
ミレーユが目を細める。
「相手は貴族ですよ。商人や南区の住民とは違います。理屈だけでは動きません」
「分かってます」
「それでも?」
「橋は避難路です。詰まらせるわけにはいかない」
金色の線が、旧西門へ伸びている。
その途中で、いくつもの赤線が絡まっていた。
貴族の馬車。
護衛兵。
財産の積み出し。
民の怒り。
騎士団の遅れ。
全部が衝突しかけている。
これは戦闘じゃない。
でも、放置すれば死人が出る。
俺はバルロを見る。
「バルロさん。ここをお願いします」
「任せろ。鍋は守る」
「鍋だけじゃなくて人もお願いします」
「分かっとるわ」
ガルドも剣を手に立ち上がる。
「俺も行く」
「お願いします」
ミレーユはため息をつきながらも、馬車の扉を開けた。
「乗ってください。貴族相手なら、私もいた方がいいでしょう」
「心強いです」
「ただし、交渉に失敗したら高くつきますよ」
「何がです?」
「私の機嫌です」
「それは怖い」
俺たちは馬車に乗り込んだ。
西区倉庫では、粥の湯気がまだ上がっている。
避難所は動き始めた。
だからこそ、その出口を塞がせるわけにはいかない。
金色の線は、旧西門橋へ続いている。
七日後の崩壊まで、残り五日。
次に届けるべきものは――貴族たちの腐った都合をぶち破る、避難路だった。




