表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/32

第7話 消えた薬草と、腐った補給部長

 薬草を取り戻す。


 言葉にすると簡単だ。


 だが、現実はまったく簡単ではなかった。


 南区の広場では、まだ患者の手当てが続いている。


 水の配布も止められない。


 井戸を封鎖したまま、代替の水を運び続けなければならない。


 東門の補強も必要。


 北倉庫の麦も乾燥させなければならない。


 そして今度は、消えた薬草の奪還。


「これ、街を救う前に俺が倒れるやつでは?」


 思わず本音が漏れた。


 ガルドが隣で剣の柄を確認しながら言う。


「倒れるな。困る」


「優しさが雑ですね」


「今は優しくしている暇がない」


「それはそう」


 セラフィナは南区に残ることになった。


 本当なら一緒に来たがっていた。


 だが、彼女がここを離れれば治療拠点が止まる。


 患者はまだいる。


 住民の不安も消えていない。


 聖女がそこにいる。


 それだけで、人は列に並び、井戸を我慢し、煮沸水を受け取ってくれる。


 それは立派な戦力だった。


「レンジ様」


 出発前、セラフィナが俺に小さな布包みを渡した。


「これは?」


「浄化の祈りを込めた布です。傷に当てれば、少しだけ悪化を抑えられます」


「貴重なやつでは?」


「貴重です」


「そんな普通に渡さないでください」


「必要な場所に届けてください」


 そう言われると、返せなかった。


 配達員に「届けてください」はずるい。


 俺は布包みを懐に入れた。


「必ず戻ります」


「はい」


 セラフィナは微笑んだ。


 だが、その目には疲れがあった。


 彼女も限界に近い。


 この街は、皆に無理をさせている。


 だからこそ、早く薬草を取り戻す必要があった。


   ◇


 金色の線は、南区から西外れへ伸びていた。


 目的地は廃酒場。


 かつて旅人や商人で賑わっていたらしいが、今は看板も傾き、窓は板でふさがれている。


 その周囲に赤い線が集まっていた。


「敵は何人だ?」


 ガルドが低く聞く。


「たぶん、中に六人。外に見張りが二人」


「たぶん、か」


「俺の表示、人数はたまに曖昧なんです」


「便利なのか不便なのか分からんな」


「俺もそう思います」


 同行しているのは、ガルドと騎士二人。


 ミレーユ商会からは、トマが来ている。


 本人はかなり嫌そうだった。


「私、帳簿係なのですが……」


「帳簿が読める人が必要なんです」


「命がけで読む帳簿とは」


「俺も命がけで道案内してるので、仲間ですね」


「嬉しくない仲間意識です……」


 トマは震えているが、逃げなかった。


 偉い。


 商会員というより、もう完全に巻き込まれた苦労人である。


 俺たちは建物の正面ではなく、裏手へ回った。


 正面から踏み込めば、薬草を燃やされる可能性がある。


 金色の線は、酒場裏の古い搬入口へ伸びていた。


【正面突入:薬草焼却リスク高】


【推奨:裏口より侵入、搬出路を遮断】


「裏口から入って、先に逃げ道を塞ぎます」


「了解した」


 ガルドが騎士へ合図する。


 静かに、しかし素早く。


 騎士たちの動きは無駄がない。


 俺とは違う。


 俺はそっと歩いているつもりでも、普通に床板を鳴らしそうで怖かった。


 裏口には鍵がかかっていた。


 だが、金色の線は扉ではなく、横の壁へ伸びている。


「ここです」


「壁だぞ」


「たぶん、隠し戸」


 俺が古い樽を退けると、壁板の一部にわずかな切れ目が見えた。


 ガルドが押す。


 ぎ、と小さな音がして、壁が開いた。


 中から湿った酒と埃の匂いが流れてくる。


「……本当にあったな」


「俺も驚いてます」


「自分のスキルだろう」


「まだ慣れてないんです」


 中は薄暗い廊下だった。


 奥から男たちの声が聞こえる。


「急げ。夜明け前に西門から出す」


「南区の連中は?」


「知らん。貧民が何人死のうが、上は困らん」


 その言葉を聞いた瞬間、ガルドの空気が変わった。


 殺気。


 俺でも分かるほど、鋭い怒りだった。


 俺は慌てて小声で言う。


「殺さないでください。情報が必要です」


「分かっている」


「今の顔、分かってない人の顔でした」


「努力する」


「努力じゃ不安なんですけど」


 廊下の先に、広い倉庫部屋があった。


 積まれた木箱。


 麻袋。


 薬草の束。


 そして、数人の男たち。


 騎士団の補給部らしき制服を着た者もいる。


 その奥に、一人だけ明らかに立場の違う男がいた。


 丸い腹。


 整えられた口ひげ。


 高そうな指輪。


 それでいて、目だけは油のように濁っている。


 たぶん、あれがオルデン補給部長だ。


「まったく、面倒なことになった」


 オルデンは苛立たしげに杖で床を叩いた。


「リリアナが死んでいれば、もっと楽だったものを」


 ガルドの手が剣に伸びる。


 俺は慌てて袖を掴んだ。


 止まれ。


 まだだ。


 金色の線が、部屋の左側へ伸びている。


 そこには、油の入った壺があった。


【敵行動予測:証拠焼却】


 やっぱり燃やす気だ。


 踏み込むなら、最初に油壺を押さえないといけない。


「左の油壺」


 俺は小声で言った。


「最初にあれを止めてください。薬草を燃やされます」


 ガルドが頷く。


 騎士二人に目配せ。


 一人が左。


 一人が右。


 俺とトマは後方。


「行くぞ」


 ガルドが踏み込んだ。


「騎士団副官ガルドだ! 全員、動くな!」


 倉庫内が一気に騒然となる。


 男たちが武器を取る。


 オルデンが目を見開いた。


「ガルド!? なぜここに!」


「それはこちらの台詞だ、補給部長。消えた薬草の説明をしてもらう」


「誤解だ! これは保管場所を移していただけで――」


【右の男、火打石】


「右! 火をつけます!」


 俺が叫ぶ。


 右側の男が火打石を取り出した瞬間、騎士が体当たりした。


 火打石が床を滑る。


【左の男、油壺】


「左も!」


 別の騎士が油壺へ走る男を押さえつける。


 ガルドは中央へ進み、剣を抜いた。


「武器を捨てろ。抵抗すれば斬る」


 数人が怯んだ。


 だが、オルデンは叫んだ。


「馬鹿者! 相手は三人だ! やれ!」


 男たちが一斉に動く。


 狭い倉庫で乱戦になった。


 俺は当然、戦えない。


 だから木箱の陰に隠れた。


 隠れながら、線を見る。


 情けないが、これが俺の戦い方だ。


【三秒後、背後より敵接近】


「後ろ来ます!」


 ガルドが振り返らずに肘を入れる。


 背後から忍び寄った男が吹っ飛んだ。


【右上棚、落下可能】


「右上の棚、崩せます!」


 騎士の一人が棚を蹴る。


 木箱が落ち、敵の進路を塞ぐ。


【トマ危険】


「トマさん、伏せて!」


「ひゃい!」


 トマが変な声を出して伏せる。


 その頭上を短剣が通過した。


 危ない。


 本当に危ない。


「私、帰って帳簿だけ見たいです!」


「俺も帰って寝たいです!」


 叫び合いながら、俺は次の線を探す。


 オルデンがじりじりと奥の扉へ下がっていた。


 逃げる気だ。


 しかも、その扉の向こうに赤い線が伸びている。


【地下搬出口】


【逃走成功時、裏切り者特定遅延】


「オルデンが逃げます! 奥の扉!」


 ガルドが動こうとする。


 だが、敵が二人立ちはだかる。


 間に合わない。


 金色の線は、俺の足元から部屋の中央へ伸びていた。


 嫌だ。


 ものすごく嫌だ。


 でも、行くしかない。


「くそっ!」


 俺は床に転がっていた麻袋を掴み、オルデンの足元へ向かって投げた。


 中身は乾いた薬草の屑だったらしい。


 軽すぎて、まったく届かない。


「何をしている!」


 ガルドが叫ぶ。


「俺にも分かりません!」


 だが、金色の線はさらに続いている。


【落ちた薬草屑に着火させるな】


 いや、着火させるなって言われても。


 その瞬間、オルデンが床の火打石を拾った。


 俺を見て、嫌な笑みを浮かべる。


「愚か者が。これで全部燃える」


 まずい。


 薬草屑に火がつけば、煙と混乱で逃げられる。


 最悪、薬草そのものも燃える。


 俺は懐の布包みを思い出した。


 セラフィナの浄化布。


 傷に当てれば悪化を抑えると言っていた。


 火を消す道具ではない。


 だが、金色の線はそこへ伸びている。


「届け物、雑に使ってごめんなさい!」


 俺は布包みを取り出し、薬草屑の上へ投げた。


 オルデンが火打石を打つ。


 火花が散る。


 だが、布が淡く光った瞬間、火花はふっと消えた。


「なっ……!」


「聖女様の布です。高いんだぞ、たぶん!」


 俺が叫ぶと同時に、ガルドが敵を弾き飛ばした。


 そして一気に踏み込む。


「オルデン!」


「ひっ!」


 ガルドの剣が、オルデンの喉元で止まる。


「終わりだ」


 倉庫内の男たちは、次々と武器を落とした。


 数分後。


 薬草は無事確保。


 オルデン補給部長は拘束。


 部下たちも縛り上げられた。


 俺は床に座り込み、深く息を吐いた。


「……今度こそ死ぬかと思った」


「毎回言っているな」


 ガルドが言う。


「毎回死にそうなんですよ」


「それは否定できん」


 トマが震える手で帳簿を拾い上げる。


「レンジ様、これを」


「何です?」


「裏帳簿です。薬草、補修資材、食糧の横流し記録があります」


 ガルドの目が鋭くなる。


「誰に流していた?」


 トマは帳簿をめくり、顔色をさらに悪くした。


「名義は商人を通していますが、最終的な受取先が……黒霧の森の北側です」


「黒霧の森?」


 俺の視界に、赤い線が太く走る。


 街の外。


 魔物氾濫の発生源。


 そこへ、街の物資が流れている。


 薬草。


 補修材。


 食糧。


 つまり、ただ横流しして金を得ていたわけじゃない。


 街を弱らせるために、必要なものを抜いていた。


「オルデン」


 ガルドの声が低く沈む。


「誰に売った」


 オルデンは床に座らされ、顔を青くしていた。


「し、知らん。私はただ、仲介人に渡しただけだ」


「仲介人の名は」


「知らん!」


 ガルドが剣の柄に手をかける。


 オルデンは慌てて叫んだ。


「本当だ! 顔も知らん! ただ、金を払うと言われた! それだけだ!」


「それだけで街を売ったのか」


「街を売るなど大げさな! どうせ南区の貧民が少し困るだけだと思って――」


 ガルドの拳が、オルデンの顔面に入った。


 鈍い音。


 オルデンが床に転がる。


 俺は止めなかった。


 止められなかった。


 南区で、子どもが倒れていた。


 母親が震えて水を求めていた。


 セラフィナが疲れ切った顔で治療していた。


 それを「少し困るだけ」と言った。


 殴られて当然だと思ってしまった。


「連れて行け」


 ガルドが部下へ命じる。


「リリアナ団長の前で、すべて話してもらう」


   ◇


 薬草を積んだ馬車が南区へ戻ったのは、深夜だった。


 セラフィナはまだ起きていた。


 というより、休んでいなかった。


 患者の一人一人を見て、修道女へ指示を出し、住民に声をかけ続けている。


 俺たちが薬草を運び込むと、彼女は一瞬だけ目を見開き、それから安堵したように微笑んだ。


「戻ってきてくださったのですね」


「薬草、取り戻しました」


「ありがとうございます」


 セラフィナは深く頭を下げた。


 俺は慌てる。


「いや、頭下げるのは早いです。浄化布、すみません。燃えそうな薬草屑に投げました」


「役に立ちましたか?」


「火花が消えました」


「なら、正しい使い方です」


「絶対違うと思うんですけど」


 セラフィナは少しだけ笑った。


 その笑顔を見て、ようやく胸の奥が緩んだ。


 薬草が届いた。


 これで南区の治療は続けられる。


 俺の視界に表示が浮かぶ。


【目的:薬草備蓄の奪還】


【達成】


【必要条件三:騎士団内部の裏切り者を特定】


【主要裏切り者:オルデン補給部長を拘束】


【必要条件五:聖女セラフィナの治療拠点を維持】


【進行率上昇】


【都市崩壊回避成功率:二十六パーセント → 三十八パーセント】


「三十八……!」


 思わず声が出た。


 セラフィナがこちらを見る。


「また上がりましたか?」


「はい。三十八パーセントです」


「かなり上がりましたね」


「でも、まだ半分以下です」


「それでも、道は太くなっています」


 その言い方が、なぜか嬉しかった。


 道は太くなっている。


 最初は四パーセントの細い糸だった。


 今は、三十八パーセント。


 まだ不安定だけど、人が通れるくらいの道にはなってきた。


   ◇


 明け方。


 俺たちは教会へ戻った。


 リリアナはまだ寝台の上だったが、顔色は少し良くなっていた。


 ガルドがオルデン拘束と裏帳簿の件を報告すると、彼女の目が鋭く光った。


「やはり、街の中から崩されていたか」


「団長、申し訳ありません。補給部の腐敗を止められませんでした」


「謝るな。私も見抜ききれなかった」


 リリアナは俺を見る。


「レンジ。お前がいなければ、東門も南区も薬草も、すべて手遅れだった」


「俺だけじゃないです。ガルドさんも、セラフィナ様も、ミレーユさんも、トマさんも、みんな動いてます」


「それでも、お前が道を示した」


 そう言われると、言葉に詰まった。


 褒められるのは慣れていない。


 怒られる方がまだ楽だ。


 リリアナは続ける。


「だが、これで終わりではないな?」


「はい」


 俺は視界を見る。


 金色の線は、まだ街全体へ伸びている。


 食糧。


 東門。


 避難路。


 治療拠点。


 裏切り者。


 いくつかは進み始めた。


 だが、最大の赤線はまだ残っている。


 黒霧の森。


 魔物氾濫。


 それが本番だ。


「次は、避難路です」


「避難路か」


「東門が破られる前提なら、民を西側へ逃がす道が必要です。でも今のままだと、南区と市場周辺で人が詰まる」


 金色の線が、街の中心部で何度も途切れている。


 人が多すぎる。


 道が狭い。


 荷車が邪魔。


 門が足りない。


 そして何より、情報が届かない。


「混乱した状態で避難を始めると、たぶん死人が出ます。魔物より先に、人の波で潰れる」


 リリアナは重く頷いた。


「避難誘導は騎士団だけでは難しい」


「だから、商会の馬車、教会の鐘、騎士団の誘導、南区の住民代表、全部つなげる必要があります」


「また物流だな」


「はい」


 俺は苦笑した。


「人間の配送です」


 その時、頭の中に新たな表示が浮かんだ。


【推奨行動:市民代表者との接触】


【対象:南区の料理番バルロ】


「あの頑固な料理番のじいさんか」


 共同炊事場で、水瓶と鍋を止めた時に睨んできた老人。


 だが、たしかに南区では顔が利きそうだった。


 ああいう人が協力してくれれば、住民は動く。


 逆に敵に回せば、避難誘導は難しくなる。


「次の届け先は、南区の料理番です」


 俺がそう言うと、リリアナが不思議そうな顔をした。


「料理番?」


「はい。たぶん、この街を救うには偉い人だけじゃ足りません」


 南区の老人。


 商会令嬢。


 聖女。


 騎士団長。


 副官。


 帳簿係。


 皆、違う場所で街を支えている。


 それをつなぐのが、俺の仕事なのかもしれない。


 リリアナは少しだけ笑った。


「面白いな。街を救う鍵が、料理番とは」


「俺も元配達員ですし、今さらです」


 窓の外が白み始めていた。


 長い夜が終わる。


 だが、崩壊までの時間は減っている。


 七日後の崩壊まで。


 残り、五日。


 俺たちはまだ、半分にも届いていない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ