第50話 届ける道は、もう俺だけのものじゃない
ラウゼン宿場から届いた白札は、十七枚あった。
妹。
兄。
父。
母。
夫。
妻。
息子。
娘。
恋人。
友人。
そこには、誰かが誰かを探している名前が並んでいた。
俺は局長席で、その札を一枚ずつ見た。
水でもない。
豆でもない。
塩でもない。
農具でもない。
けれど、どれも軽くなかった。
「これ、全部確認するんですね」
エマが言った。
声は緊張していた。
でも、逃げる声ではなかった。
「ああ。白札便、正式運用だ」
トマが胃を押さえながら言う。
「安否確認台帳を作ります」
「また台帳……」
「作らないと、誰が誰を探しているか分からなくなります」
「はい」
反論できない。
エマが札を抱えた。
「私、やります」
俺は頷いた。
「頼む。これはエマの道だ」
エマは少し驚いて、それから強く頷いた。
「はい!」
その日から、白札便が走り始めた。
南区。
西区避難所。
教会治療所。
三村。
街道宿場。
商会名簿。
騎士団避難者記録。
見つかった者もいた。
見つからない者もいた。
生きていると分かった返事もあれば、まだ未確認としか書けない札もあった。
それでも、返事は返した。
【確認中】
【無事】
【西区第二避難所にいます】
【ルッカ村へ移動】
【教会治療所で療養中】
【未確認。次便で再調査】
良い知らせだけではない。
でも、返事が届くことで、人は少しだけ前を向ける。
白札一枚で、人は泣く。
白札一枚で、人はまた歩き出す。
◇
それからの日々は、ひたすら地味だった。
塩は届いた。
農具も届いた。
豆の道は守られた。
西農道には、山羊と牛に注意する看板が増えた。
グレン牧場の問題牛モリーは、なぜか配送局の人気者になった。
南区の水は安定し、飲用と洗浄用の分離も定着した。
西区避難所では、サナ婆さんの漬物が出るようになった。
バルロは最初こそ文句を言っていたが、結局一番真剣に漬物の塩加減を見ていた。
旧ハルク村の労働班は、もう盗賊とは呼ばれなくなった。
ダリオたちは、街道補修班であり、農具修理班であり、時々ロイと喧嘩する面倒な職人集団になった。
ロイはロイで、南区の代表みたいな顔をして、毎日文句を言いながら誰より早く現場に出た。
エマは三村連絡役から、連絡札主任になった。
トマは帳簿係から、完全に記録部門の柱になった。
本人は毎日「胃が……」と言っている。
でも、誰よりも筆が速い。
ミレーユは商会と配送局の間で、物と金と契約の道を整え続けた。
セラフィナは教会で治療と救護を支えた。
リリアナはようやく剣を振れるまで回復し、ガルドに無茶をするなと叱られていた。
なお、ガルドも普通に無茶をするので、説得力は薄かった。
そして俺は。
相変わらず、局長席にいた。
時々走り出したくなる。
今でも、赤線を見ると足が動きそうになる。
でも、前より少しだけ我慢できるようになった。
俺が全部を運ぶ必要はない。
水は水班が運ぶ。
飯はバルロたちが守る。
薬は教会が届ける。
豆は農村連合と商会が繋ぐ。
農具は鍛冶屋と修理班が直す。
札はエマが管理する。
記録はトマが残す。
俺は道を見る。
そして、その道を誰に渡すか考える。
たぶん、それが局長の仕事なのだ。
◇
三か月後。
王都への第一月次報告、第二月次報告、第三月次報告が提出された。
トマは毎回死にそうな顔をした。
だが、一度も遅れなかった。
報告書には、水、食糧、医療、街道、農具、安否確認、連絡札、保存食、鉄材、塩、豆、全部が詰め込まれていた。
王都向けに整えられた文章の中に、俺の局長メモが何行か紛れ込んでいる。
【配る順番を説明できない配送は、後に摩擦を生む】
【悪い知らせを早く届けることも、信用維持に資する】
【修理可能な供給網は、災害復旧において新品供給と同等以上の価値を持つ】
トマに整えられた俺の言葉は、やたら賢そうになっていた。
正直、少し笑った。
そして今日。
王都から正式な返答が届いた。
届けてきたのは、ラウゼン宿場の門番ダンだった。
休暇を取り、王都商人組合の便に同行してきたらしい。
彼は局舎の前で、深く頭を下げた。
「妹のこと、本当にありがとう」
その横には、ミラと男の子がいた。
再会できたらしい。
ミラは泣いていた。
ダンも泣いていた。
男の子は状況が分からないまま、ニコから豆粉菓子をもらっていた。
白札便一号。
ようやく、本当の配達完了だった。
ダンは王都評議会の封書を差し出した。
トマが印章を確認する。
ミレーユが文面を見る。
リリアナが発行者名を見る。
セラフィナが静かに祈るように目を伏せる。
そして、俺が最後に読んだ。
【エルドベルク災害復旧配送局を、辺境西部災害復旧および街道物流支援機関として正式承認する】
正式承認。
三か月の仮ではない。
配送局は、王都に認められた。
局舎の前に、静かな歓声が広がった。
トマは椅子に崩れ落ちた。
「月次報告が……報われました……」
「お疲れ、先生」
「先生呼びが、今日は少し染みます……」
エマは白札箱を抱えて泣いていた。
ミレーユはいつもの涼しい顔をしていたが、少しだけ目元が柔らかかった。
バルロは鍋を叩いた。
「今日は濃い粥だ!」
それが一番大きな歓声を呼んだ。
◇
夕方。
局舎の看板の下に、新しい板が掛けられた。
【エルドベルク配送局】
【必要なものを、必要な場所へ、必要な順番で届ける】
災害復旧の文字は、まだ残した。
でも、その下に小さくこう足された。
【水・飯・薬・道・記録・声】
エマが描いた。
トマが文字を整えた。
ロイとダリオが板を取り付けた。
バルロは「飯の字をもっと大きくしろ」と言った。
セラフィナは笑った。
リリアナは俺の隣に立ち、看板を見上げた。
「ここまで来たな」
「来ちゃいましたね」
「後悔しているか?」
「まさか」
俺は看板を見た。
外れスキル。
荷物持ち。
そう言われていた力が、今は街の道になっている。
俺ひとりの力じゃない。
むしろ、俺ひとりでは何もできなかった。
でも、道を見て。
人に渡して。
記録して。
また次へ繋いで。
気づけば、配送局は俺の手を離れて走り始めていた。
それが嬉しかった。
少し寂しくて。
でも、やっぱり嬉しかった。
◇
夜。
局長席に座ると、机の上に札が一枚置かれていた。
白札。
発行者はエマ。
宛先は、俺。
【局長へ】
【今日、正式承認が届きました】
【でも、明日も水と飯と薬を届けます】
【だから、今日はちゃんと休んでください】
裏には、トマの字で追記があった。
【局長が倒れると報告書が増えるので、休んでください】
ミレーユの字もある。
【休息も運用計画の一部です】
バルロの字は荒かった。
【寝ろ。明日は濃い粥だ】
リリアナの字。
【帰る場所はここだ。だから無理をするな】
セラフィナの字。
【休むことも、誰かを助ける準備です】
最後に、誰かの小さな字。
たぶん南区の子どもだ。
【きょくちょう、ありがとう】
俺はしばらく、その白札を見つめていた。
胸の奥が熱くなる。
参った。
これはずるい。
水樽より重い。
豆袋より効く。
王都文書より逃げられない。
「……配達されたなぁ」
俺は小さく笑った。
いつも届ける側だった俺に、今日はみんなから荷物が届いた。
感謝。
心配。
居場所。
明日への命令。
全部まとめて、白札一枚。
俺は羽ペンを取り、最後の記録を書いた。
【エルドベルク配送局、正式承認】
【本日も配送継続】
【局長、休息予定】
その下に、少し迷ってから一行を足した。
【届ける道は、もう俺だけのものじゃない】
書いた瞬間、頭の中に表示が浮かんだ。
【エルドベルク配送局:独立運用開始】
【局長依存度:大幅低下】
【地域配送網:安定】
【次の道:継続】
次の道。
そうだ。
終わりではない。
水が足りなくなる日もある。
飯が薄くなりそうな日もある。
薬が足りない日もある。
嘘の札が混ざる日もある。
王都商人が金貨で殴ってくる日もある。
牛が道を塞ぐ日もある。
それでも、もう大丈夫だと思えた。
俺だけが走る必要はない。
この街には、道を見る人がいる。
道を直す人がいる。
荷を運ぶ人がいる。
飯を作る人がいる。
記録を残す人がいる。
札を届ける人がいる。
そして、待っている人がいる。
なら、配送局は明日も走る。
俺は白札を大切に机の引き出しへしまった。
外では、濃い粥の匂いがしている。
誰かが笑っている。
馬車の車輪が鳴っている。
札箱が揺れている。
エルドベルクの夜は、もう黒霧の夜ではなかった。
道のある夜だった。
俺は立ち上がり、局舎の灯りを一つ消す。
「本日の配送、完了」
誰に言うでもなく呟いた。
そして、明日の配送表を閉じた。
道は続く。
でも、この物語はここで一区切りだ。
エルドベルク配送局。
営業中。
そして、これからも。




