第5話 東門は、すでに死んでいる
「七日後、この街は東門から破られます」
俺がそう言った瞬間、応接室の空気が一段冷えた。
ガルドの表情が変わる。
騎士の顔だ。
先ほどまで俺を疑っていた目が、今は敵を探す目になっている。
「東門だと?」
「はい」
「あり得ない」
ガルドは即座に否定した。
「東門はこの街で最も新しい防壁だ。石材も厚い。門番も精鋭を置いている。魔物氾濫が来ても、正面から抜かれるとは考えにくい」
「でも、俺にはそこが赤く見えます」
「赤く?」
「危険って意味です。東門周辺に赤い線が集中してる」
俺の視界では、街の東側だけが嫌な色に染まっていた。
金色の線はそこへ向かっている。
だが、その周囲を無数の赤線が絡め取っていた。
ただ防壁が弱いだけじゃない。
何かがおかしい。
構造的に、もう壊れ始めている。
そんな感じだった。
ミレーユは腕を組み、楽しそうに俺を見る。
「なるほど。騎士団が安全だと思っている場所ほど、商売でも事故は起きます」
「楽しそうに言う話ですか?」
「失礼。儲け話と危機管理はよく似ているもので」
この人、怖い。
でも頼もしい。
ミレーユは机上の帳簿を閉じた。
「馬車と食糧の件はこちらで進めます。東門へ向かうなら、私の商会からも一人同行させましょう」
「商会の人を?」
「ええ。現場を見る目は、騎士とは違います」
ミレーユがベルを鳴らす。
少しして入ってきたのは、小柄な青年だった。
眼鏡をかけ、書類束を抱えている。
「お呼びでしょうか、お嬢様」
「トマ。あなた、東門の修繕費の帳簿を見たことがあったわよね?」
「はい。去年と今年の二回、資材納入の確認をしています」
「この方々に同行して。何か変な点があれば報告しなさい」
「承知しました」
トマと呼ばれた青年は、俺にぺこりと頭を下げた。
真面目そうだ。
商会の人間らしく、腰は低いが目はよく動く。
たぶん、こういう人の方が細かい異変に気づく。
「レンジ様」
ミレーユが俺に視線を戻す。
「私はあなたに投資しました。ですので、ひとつだけ忠告しておきます」
「何です?」
「街を救うなら、善意だけでは足りません」
彼女の声は、柔らかいのに冷たかった。
「食糧を動かすにも、人を避難させるにも、壁を直すにも、必ず誰かの損得が絡みます。正しいことを叫んでも、人は動きません」
「……でしょうね」
「だから、使えるものは全部使ってください。騎士の名誉も、聖女の信仰も、商人の欲も、民の恐怖も」
俺は少し黙った。
正直、嫌な言葉だった。
でも、間違ってはいない。
現代だってそうだった。
誰かに飯を届けるだけでも、店、客、配達員、アプリ、道路、天気、評価、手数料、全部が絡む。
人間の善意だけで街は回らない。
まして、街を救うなんて大仕事ならなおさらだ。
「分かりました」
「よろしい」
ミレーユは満足そうに微笑んだ。
「では、私は私の戦場で戦います。あなたはあなたの道を」
「はい」
俺たちはミレーユ商会を出た。
夜風が少し冷たかった。
空には薄い雲。
遠くで鐘の音が残響のように揺れている。
東門へ向かう金色の線は、まっすぐではなかった。
大通りを避け、裏道を抜け、途中で井戸の横を通る。
最短距離ではない。
最短経路。
危険や人目や時間を含めた、目的達成への道。
俺はもう、その違いを少しだけ理解し始めていた。
◇
東門に近づくにつれ、街の雰囲気が変わった。
商店や酒場の明かりは減り、代わりに兵舎や倉庫が増える。
石畳には荷車の跡。
壁際には補修用の木材。
見張り台には松明が揺れている。
一見すると、守りは堅そうだった。
巨大な石壁。
鉄で補強された門。
左右にそびえる見張り塔。
ガルドが言った通り、新しく立派な防壁に見える。
だが、俺の視界では違った。
赤い。
門の下部。
右側の塔。
壁の継ぎ目。
見張り台へ続く階段。
いくつもの赤線が、血管みたいに走っている。
「……気持ち悪いな」
「何が見える?」
ガルドが問う。
「門全体が危ない。でも、特に右側の塔と、門の下」
「右塔?」
ガルドは眉を寄せた。
「右塔は先月補修したばかりだぞ」
その言葉に、同行していたトマが小さく反応した。
「先月……ですか」
「どうした?」
「いえ、帳簿では右塔の補修完了は二ヶ月前となっていました」
「何?」
ガルドの声が低くなる。
「資材の納入も二ヶ月前です。石材、鉄具、補強材、すべて支払い済みです」
「実際の工事は先月だった」
「では、一ヶ月分の空白がありますね」
トマが淡々と言う。
空白。
嫌な響きだった。
俺の金色の線が、右塔の根元へ伸びる。
「行ってみましょう」
俺たちは門番にガルドの身分を示し、右塔の内部へ入った。
中は石造りの階段になっている。
壁には松明。
上へ行けば見張り台。
下へ行けば資材置き場らしい。
金色の線は、上ではなく下を示していた。
「地下です」
「右塔の地下には補修用の資材室がある」
ガルドが先導する。
分厚い木扉の前で、彼は門番から借りた鍵を差し込んだ。
扉が開く。
中には、木材、石材、鉄具、麻袋が整然と並んでいた。
特に変なところはない。
……普通に見れば。
【右奥の麻袋を移動】
表示に従い、俺は右奥の麻袋へ向かった。
「これ、どかしていいですか?」
「構わん」
ガルドと一緒に麻袋を動かす。
重い。
中身は砂か何かだ。
何袋か退けると、壁が見えた。
いや、壁に見える何かだ。
俺は指で触れた。
表面が、ぼろりと崩れる。
「……石じゃない」
トマが近づき、欠片を拾った。
眉間に皺を寄せる。
「これは、石粉を混ぜた粗悪な固化材です。表面だけ石壁のように塗ってあります」
「つまり?」
俺が聞くと、トマは眼鏡を押し上げた。
「補修したように見せかけていますが、強度は本来の三分の一もないかと」
ガルドの顔から血の気が引いた。
「馬鹿な……」
彼は壁を拳で叩いた。
鈍い音。
内部が詰まっていない。
「こんなもの、魔物が数体ぶつかれば崩れるぞ」
俺の背筋が冷えた。
七日後、この街は東門から破られる。
理由が、少し見えた。
強い門に見えて、実は中身が腐っている。
しかも、それを誰かが意図的に隠している。
「トマさん、この補修を担当した業者は?」
「帳簿を確認すれば分かりますが……たしか、バルガス建材です」
ガルドの目が鋭くなる。
「バルガス建材は、騎士団補給部と取引が深い」
「補給部?」
「武器、防具、修繕資材、食糧の一部を管理する部署だ」
俺の頭の中で、赤い線が一本太くなった。
【必要条件三:騎士団内部の裏切り者を特定】
【関連候補:補給部】
「……繋がりました」
「何がだ」
「騎士団内部の裏切り者。たぶん補給部が関係してます」
ガルドは苦々しく唇を噛んだ。
「団長が疑っていたのも、そこだ」
「リリアナさんが襲われた理由ですね」
「おそらくな」
資材室の空気が重くなる。
壁の偽装。
帳簿の空白。
補給部。
暗殺者。
全部が一本の線になり始めていた。
これは単なる魔物災害じゃない。
街を外から襲わせるだけではなく、内側から壊す計画だ。
俺は壁の崩れた部分を見つめた。
こんな壁で、何も知らない人たちを守れるわけがない。
「直せますか?」
俺が聞くと、トマは難しい顔をした。
「本格的に直すなら一ヶ月は必要です」
「七日では?」
「無理です」
「応急補強なら?」
トマは少し考えた。
「資材と人手があれば、崩壊までの時間を遅らせることはできます。ただし、門そのものを完全に守るのは難しい」
ガルドが言う。
「なら、門が破られる前提で第二防衛線を作るしかない」
その瞬間、金色の線が動いた。
東門の内側。
倉庫街。
狭い通り。
空き家。
水路。
線が複雑に組み変わっていく。
【東門完全防衛:成功率低】
【推奨:遅滞防衛及び避難誘導ルート構築】
「門を守るんじゃなくて、破られても街中へ一気に入らせない」
「そういうことか?」
「はい。東門の内側に、魔物を誘導する通路を作る。荷車、木材、石材で道を絞って、騎士が戦いやすい場所に流す」
俺は視界に浮かぶ線を追った。
「あと、民家側へ抜ける道は封鎖。避難路は西側へ一本化。教会に負傷者を集める。商会の馬車は北倉庫じゃなくて、東門内側の資材運搬にも回す」
言葉が勝手に出てくる。
まるで頭の中に配送ルートの地図が展開されているようだった。
何をどこへ運ぶか。
誰をどこへ逃がすか。
どこを塞ぎ、どこを開けるか。
街が巨大な配達エリアに見える。
ガルドがじっと俺を見ていた。
「レンジ殿」
「はい」
「今の案、騎士団の防衛会議で出せるか?」
「え、俺が?」
「そうだ」
「いやいやいや、無理です。俺、軍議とか出たことないです」
「俺も配達会議なら出たことない」
「比較対象が雑!」
ガルドは少しだけ口元を緩めた。
初めて笑った気がする。
「だが、必要だ。今の騎士団には、全体を見て順番を決める者が足りない」
「リリアナさんは?」
「団長は強い。判断も早い。だが、補給や避難や商会調整まで同時には見られない」
それはそうだ。
剣で戦う人間と、物流を見る人間は別だ。
前線が強くても、物資が届かなければ詰む。
現代でも、店が料理を作っても配達員がいなければ客には届かない。
異世界でも同じだ。
「分かりました。話だけはします」
「助かる」
その時だった。
上の階から、金属音が響いた。
続いて、短い悲鳴。
ガルドが即座に剣を抜く。
「敵襲か!」
俺の視界に、赤い線が走った。
【敵性対象:三名】
【目的:証拠隠滅】
証拠隠滅。
つまり、俺たちがこの偽装壁を見つけたことがバレた。
「上から来ます!」
俺が叫ぶと同時に、階段から黒装束の男が飛び込んできた。
教会で見た暗殺者と同じ装備。
ガルドが前へ出る。
剣と剣がぶつかる音が、狭い資材室に響いた。
「トマさん、下がって!」
「は、はい!」
俺は戦えない。
だが、金色の線が見える。
【左の木材束を倒す】
「ガルドさん、右に避けて!」
ガルドは一瞬も迷わず動いた。
俺は木材束を蹴る。
崩れた木材が暗殺者の足元に転がる。
男が体勢を崩した。
そこへガルドの剣が入る。
柄で腹を打ち、暗殺者を床に叩き伏せた。
「殺さないで!」
「分かっている!」
情報が必要だ。
だが、残り二人が階段から降りてくる。
狭い。
逃げ場がない。
【右奥の麻袋を切れ】
「麻袋を切ってください!」
「何?」
「早く!」
ガルドは剣を振り、右奥の麻袋を裂いた。
中から砂が流れ出す。
床に広がる。
【松明を落とすな】
松明?
俺が見上げた瞬間、暗殺者の一人が壁の松明へ短剣を投げた。
火を落として、砂埃に紛れて逃げる気か。
いや、違う。
この砂、ただの砂じゃない。
粉塵。
火が落ちれば、爆ぜる可能性がある。
「松明を守れ!」
俺は反射的に叫んだ。
ガルドが短剣を弾く。
金属音。
短剣が床に落ちた。
だが、その隙に暗殺者の一人がトマへ向かった。
まずい。
トマを消す気だ。
【三歩前進。帳簿束を投擲】
「トマさん、書類を投げて!」
「書類を!?」
「早く!」
トマは半泣きで抱えていた書類束を投げた。
紙が空中に散る。
暗殺者の視界が一瞬塞がる。
俺は近くの木材を両手で持ち上げ、思い切り横から突き出した。
「うおおおっ!」
情けない掛け声と共に、木材が暗殺者の膝に当たる。
男が崩れる。
すぐにガルドが踏み込み、二人目を制圧した。
三人目は状況不利と見たのか、階段へ戻ろうとする。
【逃走阻止:左壁の鎖】
左壁に古い鎖がかかっていた。
俺はそれを掴み、全力で引いた。
何に繋がっているか分からない。
分からないが、線がそう示している。
ガコン、と天井付近で音がした。
資材搬入口の滑車が動き、吊られていた木箱が落ちる。
ドンッ!
木箱が階段前に落ち、三人目の逃げ道を塞いだ。
「何だそれは!」
ガルドが叫ぶ。
「俺にも分かりません!」
「分からずにやったのか!」
「線が引けって言ったんです!」
「便利だが怖いな!」
ガルドが三人目を取り押さえる。
資材室には、荒い息だけが残った。
暗殺者三名、拘束。
証拠も残った。
偽装された壁。
粗悪な補修材。
帳簿の空白。
そして、証拠隠滅に来た暗殺者。
これで補給部への疑いは、ただの疑いではなくなる。
俺は床に座り込んだ。
「……また死ぬかと思った」
トマが震えながら散らばった書類を拾っている。
「私もです……商会勤務で命を狙われるとは思いませんでした……」
「俺も配達員で暗殺者と戦うとは思ってませんでした」
ガルドは暗殺者を縛りながら言った。
「レンジ殿」
「はい」
「あなたがいなければ、今ので全員死んでいた」
「いや、俺は木材で膝を小突いただけです」
「それが戦場では大きい」
ガルドは真剣な顔で言った。
「剣を振るだけが戦いではない。道を作る者も、戦っている」
その言葉に、胸の奥が少し熱くなった。
現代で、そんなことを言われたことはなかった。
届けて当然。
遅れたら悪い。
濡れたら悪い。
事故っても自己責任。
でも今、俺のしていることを「戦い」と呼ぶ人がいる。
少しだけ、報われた気がした。
◇
暗殺者を騎士団詰所へ引き渡す頃には、夜はさらに深くなっていた。
ガルドは信頼できる部下だけを呼び、東門の資材室を封鎖した。
トマはミレーユ商会へ戻り、帳簿の写しと補修契約の詳細を調べることになった。
俺はそのまま教会へ戻る。
体は限界だった。
でも、頭は妙に冴えている。
教会の礼拝堂では、リリアナがまだ寝台にいた。
セラフィナがそばで治癒を続けている。
俺を見るなり、リリアナが目を細めた。
「無事だったか」
「一応」
「その顔は、無事ではないな」
「暗殺者に襲われました」
セラフィナが小さく息を呑む。
「またですか?」
「俺もそう思います」
俺は東門で見つけたことを説明した。
偽装補修。
粗悪な壁。
補給部との関係。
証拠隠滅の暗殺者。
話を聞くにつれ、リリアナの表情は険しくなった。
「やはり補給部か」
「心当たりが?」
「補給部長オルデン。昔は優秀な兵站官だったが、ここ数年で金回りが妙に良くなっていた」
「黒ですね」
「まだ断定はできない。だが限りなく黒い」
リリアナは身を起こそうとした。
セラフィナが慌てて止める。
「リリアナ様、まだ動いてはいけません」
「寝ている場合ではない」
「寝ていてください」
セラフィナの声が、急に強くなった。
リリアナが少し驚く。
聖女は静かに、しかし有無を言わせぬ口調で続けた。
「あなたがここで倒れれば、騎士団はさらに乱れます。今のあなたの仕事は、回復することです」
「……セラフィナ」
「戦うのは、治ってからにしてください」
リリアナは苦い顔をしたが、やがて諦めて寝台に戻った。
強い。
聖女、意外と強い。
リリアナが俺を見る。
「レンジ。成功率は?」
俺は視界を確認した。
金色の線は少し太くなっている。
【必要条件二:東門防衛線の補強】
【進行開始】
【必要条件三:騎士団内部の裏切り者を特定】
【進行開始】
【都市崩壊回避成功率:九パーセント → 十七パーセント】
「十七パーセントです」
礼拝堂の空気がわずかに明るくなった。
まだ低い。
低いが、四パーセントから十七パーセント。
確実に上がっている。
「なら、道はあるな」
リリアナが言った。
「あります」
俺は頷いた。
その時、頭の中に新しい表示が浮かんだ。
【緊急分岐発生】
【二十四時間以内に対応しなければ、都市崩壊回避成功率が大幅低下】
「……また嫌な表示が出ました」
セラフィナが不安そうに俺を見る。
「次は何ですか?」
俺は金色の線を追った。
線は教会から南へ伸びていた。
倉庫街でも東門でもない。
街外れの貧民区。
そこに、赤い点が大量に集まっている。
【南区にて疫病発生の兆候】
【放置時、避難計画及び治療拠点維持に重大支障】
俺は乾いた喉で呟いた。
「南区で、疫病が出ます」
セラフィナの顔色が変わった。
「疫病……?」
「はい。二十四時間以内に対応しないと、避難も治療も崩れます」
リリアナが拳を握る。
東門。
裏切り者。
食糧。
そして疫病。
街を救うための荷物が、多すぎる。
俺は思わず笑ってしまった。
「これ、配達件数何件あるんだよ……」
けれど、逃げる選択肢はなかった。
金色の線はもう、南区へ伸びている。
届けなければならない。
今度は、薬と水と、希望を。
七日後の崩壊まで。
残り、六日。




