夏便り、海より(一)
このエピソードは本編『いろどりの追憶』(https://ncode.syosetu.com/n9483kk/)の『夏の霜に潮騒は凪ぐ』編直後のお話です。未読の方はよろしければ、本編にお立ち寄りくださいませ。
真昼の庭は、眩いというより白く灼けていた。白砂は陽光を容赦なく照り返し、熱を帯びた庭石の上では、立ちのぼる陽炎が景色をゆらゆらと歪ませている。
小聿が窓をわずかに開けると、むっとした熱気とともに、木陰へ逃れた蝉たちのけたたましい声が押し寄せてきた。
庭の向こう、本殿から水鏡殿へと続く回廊を、小さな人影がこちらへ向かって駆けてくる。夏らしい水色の一枚衣が、走るたびにふわりふわりと翻っていた。その少し後ろを、若草色の裙に身を包んだ少女が、急ぐ様子もなく歩いてくる。
「美瑚さんっ!走らないでくださいっ!」
二人の小さな客人を迎えに出ていた汝秀が、声を張り上げた。
その声に、水色の一枚衣の少女はぴたりと足を止め、振り返る。
「はぁーい!」
実に素直な返事をして、再び前を向く。
一歩、二歩、三歩。
きちんと歩いたのは、そこまでだった。
次の瞬間には、また先ほどと同じ勢いで回廊を駆け出している。
「美瑚さんっ!!」
その後ろでは、星那が口元を手で覆い、ふふふ、と笑みをこぼしていた。けれど、その歩調はいささかも変わらない。
そんな二人の様子に、小聿の形のよい唇にも、自然と笑みが浮かんだ。
やがて、回廊を駆けてくる威勢のよい足音が、すぐ近くまで迫ってくる。
「美瑚ちゃん、ようこそ。若さまはこちらでございますよぉ」
「こんにちはっ、琳さん!」
居室の前に控えていた琳が、美瑚を迎えているらしい。その声に重なるように、明るい挨拶が返ってきた。
「美瑚さん。こちらの歩廊は滑ります。走っては危ないですよ」
続いて聞こえたのは、駆けてくる美瑚をたしなめる紗凪の穏やかな声だった。
「はぁーい!」
元気のよい返事が返ってくる。
けれど、こちらへ迫る足音は少しも緩まない。
「まったく、返事だけは良いのだから……」
小聿が呆れたように呟いた、その直後。
ばぁんっ!と勢いよく居室の扉が開いた。
「小聿、おかえりーっ!お土産もらいに来たよ!」
真昼の陽光を背負い、水色の一枚衣を翻した美瑚が、満面の笑みで部屋へ飛び込んでくる。
「……そなたは私に会いに来たのか、土産を受け取りに来たのか、どちらなのだ」
「両方!」
美瑚は一瞬たりとも迷わず答えた。
その遠慮のないまっすぐな答えに、小聿は小さく吹き出す。
「そうか。ならば、わざわざ用意した甲斐もあったというものだね」
「何を買ってきてくれたの?」
「まだ星那どのが来ていないだろう。少し待ちなさい」
「えー。見るだけでも駄目?」
「駄目だ。二人が揃ってからだよ」
小聿がたしなめても、美瑚の視線はすでに、部屋の隅に置かれた包みへ釘付けになっている。
その時、回廊から衣擦れの音と、ゆったりとした足音が近づいてきた。
「小聿さま。星那でございます」
静かな声に続いて、開け放たれたままの扉の向こうに、若草色の裙を纏った星那が姿を現す。そのすぐ後ろでは、美瑚を追いかけてきた汝秀が、わずかに肩で息をしていた。
星那は敷居の前で一度立ち止まると、姿勢を正し、胸の前で両手を重ねる。そうして、流れるような所作で優雅に腰を折った。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます。また、小聿さまがご無事に海蘭よりお戻りになられましたこと、心よりお慶び申し上げます」
先ほど扉を勢いよく開け放ち、土産を催促しながら飛び込んできた少女とは、なんとも対照的な挨拶である。
小聿も椅子から立ち上がり、星那へ丁寧に揖礼を返した。
「こちらこそ、暑い中をよく来てくれたね。星那どのにまた会うことができ、私も嬉しく思うよ。どうか、楽にしておくれ」
「ありがとうございます、小聿さま」
星那が顔を上げ、ふわりと微笑む。
「星那、早く! お土産、二人が揃ってからだって!」
待ちきれない様子で美瑚が手招きする。
「美瑚さん。まずは小聿さまに、きちんとご挨拶をなさいましたか?」
「したよ。おかえりって」
「……それだけですか?」
「あと、お土産をもらいに来たって言った」
「美瑚さん……」
星那が困ったように眉を下げる。その隣で、小聿は笑いを堪えるように口元へ手を添えた。
「構わないよ、星那どの。美瑚が急に礼儀正しくなったら、その方が私は心配になる」
「どういう意味?」
「そのままの意味だよ」
不満そうに唇を尖らせた美瑚を見て、小聿と星那は顔を見合わせ、揃って笑みをこぼしたのだった。




