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カボチャの馬車 【後編】




 車内が一通りの落ち着きを取り戻し、やがてやってきたワゴンを止めて彼女が珈琲を2杯頼む。紙コップに注がれる、熱い琥珀色の液体。彼女には砂糖とミルク、和泉の分はブラックだ。


「生意気やよね、年下のくせにブラックやなんて」

「いいじゃないですか。飲み物の好みくらい、文句言わないでくださいよ」


 彼女はいつも珈琲をおごってくれる。

 『遠恋の先輩への敬意と、社会人の先輩としての意地やからね? 変に遠慮して、断ったら承知せえへんよ?』

 小気味よいその台詞に、一度は固辞した和泉も以降は素直にごちそうになっている。熱々の珈琲は、すぐには飲めない。しばらくは立ち上る湯気を見つめながら、同じように珈琲を飲んで別れてきた恋人(真咲)のことを思う。その横顔を面白そうに村木さんが突く。


「わっ、やーらしい顔してんの。なんや、“夜明けの珈琲”のことでも思い出してんの? わー、うらやましー」

「ちゃかさないで下さいよ、こんな所で。そんなの、お互い様やないですか」

「あ、エセ関西弁。それ、あかんで?」

「村木さんと話していると、うつっちゃうんですよ!」

「影響されやすいんやねー。ほな、そのうち、みゃあみゃあ言い出す?」

「名古屋弁は、残念ながらそこまで浸透力が強くないです」

面白(おもろ)ないなー。せやけど、新幹線の珈琲って、なんでこんなに熱いん? アイスクリームはスプーンが折れるほど固いし。こやつらには『ほどほど』という言葉はないんかい?」

「アイスクリームに珈琲かけたら良いらしいですよ? なんか、そういったオシャレな食べ方があるそうです」

「それ、なんか(ちゃ)う気がするわー」


 あまり社交的ではない和泉が、それでも彼女との“一時の交流”を続けるのは、彼女との会話が楽しいからだ。

 そして、安心できるからだ。

 同じ境遇にある彼女。同じように、『時間と距離の壁』の前で立ち尽くすことなく、そしてその壁を壊すこと無く乗り越えようとする姿に、互いが力づけられている。

 村木さんの雰囲気は、どことなく真咲と似ている。姿形はまるで違うが、性格や醸し出される空気が、同じように心地よい。彼女曰く、和泉も彼女の相手に雰囲気が似通っているらしい。

 だから、お互いに安心するのだろう。

 この車両で会えることを。

 似た者同士が、まだ、それぞれに諦めること無く、愛を育み続けていられることを確認して。


「今週もお疲れ様やね。明日から仕事?」

「はい。村木さんもお疲れ様でした。来週あたりから、また忙しくなるって言っていましたが、また再来週には会えますか?」

「うん。そうや、(うち)は再来週行ったら、次の三連休も行くんやで? 羨ましいやろ?」

「ふっふっふっ。僕の方だって、三連休には真咲が来てくれるんです!」

「なんやそれ、ずるい(ずっこい)なぁ。せっかく羨ましがらせたろと(おも)たのに。反撃くらうと思わんかったわ」


 村木さんが、態とらしい渋面で珈琲をあおる。まだ熱かったのか、『あちっ』と言って舌を出す姿がユーモラスだ。村木さんは猫舌なので、しょっちゅう見る光景だ。

 窓の外は真っ暗で、鉄橋を渡る振動に気付いても誰も窓の外を見たりしない。今年は例年に無く初冠雪が早かった富士山の姿は暗闇の中に埋もれて、誰も気付かないうちに過去へと流れていった。彼女と合流してから1時間弱。共に過ごす時間は、あと40分ほどだ。


 お互いに話すのは、他愛無い“のろけ話”。週末に(つちか)った幸せを、お互いに“おすそわけ”して温もりを分け合う。

 楽しいことだけを。

 嬉しいことだけを。

 お互いに、無理にでも意識して。



「――シンデレラ・エクスプレスってさぁ。嫌な呼び方やと思わん?」


 一通りの会話が終わり、ふと窓の暗闇を見つめていた村木さんがこぼした。視線は窓の奥を見つめたまま、ガラスに映る表情が固い視線で和泉を見据える。


「この列車のことですか?」

「そうや。(うち)らは、別に“魔法”に頼っとる訳やない。帰らなあかんのは確かやけど、そこに“魔法”なんて便利なもんはない。私らは、自分の意志で、自分の力で、相手の所に向かって帰ってくるんやないの。私らの側には、どこにも親切な魔法使いは居てへんし、カボチャの馬車だってあらへん。行きも帰りも、鋼鉄の『のぞみ』が私らを運んでくれてるんや。それは、魔法とちゃう。人の『希望(のぞみ)』や」

「村木さん……?」

「私らが履いてるんは、ガラスの靴やない。そんなもんでは走れへん。王子様が探しに来てくれるんを待つんやない。全力を出すために、靴を脱いで、裸足で相手のところに走って行くんや。なあ、正木くんもそうやろ? 君の足は、心は、ガラスの靴で走れるか? 魔法なんかを待ってるか? (ちゃ)うやろ?」


 東京発新大阪行きの最終列車。

 車両や出発時間は変わっていても、今も『シンデレラ・エクスプレス』と呼ばれる列車。

 遠距離恋愛の恋人達が、週末だけの逢瀬を迎え、そして帰っていく為の列車。

 テレビCMで有名となったそのモチーフは、十数年たった今も用いられている。

 切なさと憧れをもって語られることの多いモチーフだが、当事者にとっては別の意見もあるのだろう。目の前の村木さんのように。



「――僕は“おとぎ話”より、ゲームの方が好きな子どもだったんです。真咲も」

「ん? 何やねん、それ?」

「うん。僕は――僕たちにとって、だから“魔法”は『自分で使うもの』なんですよ、村木さん。“魔法”は『使い』ますけど、誰かが使うのを『待ち』はしません。

 僕たち、魔法使いなんです。『相手を幸せにできる』っていう魔法しか使えない、ちょっとへっぽこな魔法使い。村木さんもそうですよ?」


 和泉はガラスに映る村木さんに視線を合わせ、無理ない笑顔を浮かべて見せた。


「この列車は、シンデレラが乗るカボチャの馬車じゃなくって、魔法使いの列車なんです。魔法をかけ終わって、楽しく帰る列車なんです。シンデレラが魔法を必要すれば、また出発。……そう考えると月二回の出番って、働かされ過ぎですよね?」

「……超過勤務手当を要求するわな」

「だから、早く“シンデレラ”には幸せになってもらいたいですよね。ね? 僕の“シンデレラ”は村木さんで、村木さんの“シンデレラ”は僕にしましょう。どっちが先に相手を幸せにできるか、勝負です。僕はどんな魔法をかければいいですか? 僕は村木さんの楽しそうな笑顔で、素敵な魔法にかかりますよ?」


 ガラス越しに村木さんの表情が歪む。泣き笑うような、奇妙に歪んだ口元とまなじり。

 ――何かがあったのか、それは訊かない。

 それを、和泉は(・・・)訊いてはいけないのだ。

 訊けば、不安を口に出せば、それは抑えきれなくなってしまう。

 “戦友”の不安は、共に闘う者にも忍び寄る。

 嘘でいい。空元気(からげんき)でいい。

 自分たちは、時間にも距離にも負けていないのだと。

 窓の外のように、先の見えない将来だとは思っていないのだと。

 不安に押しつぶされることなく、笑って別れられるのだと。

 そう、お互いに伝え合う。それが、和泉と彼女との関係。

 二人は“戦友”なのだから。自分のために(・・・・・・)、相手を鼓舞することが、その役割。

 不安に揺れる心の声を聞き届けるのは、お互いが想う相手でなければ。

 “魔法”が解けても消えなかったガラスの靴。それは、真実の心。

 でも、僕たちの心はガラスじゃない。透き通ってもいなければ、(もろ)く割れもしない。

 



「…………あかん。正木くんと話してると、調子狂うわ。ちょっとはセンチメンタルな気分にさせてえな?」

「似合いませんよ、そんなの。第一、この件(・・・)に関しては僕の方が先輩なんですからね? バカにせんとって下さい」

「だから、そのエセ関西弁、むかつくから止めてーや。しまいにゃ、怒るで?」

「だからうつっちゃうんですってば。じゃあ、村木さんが標準語で話して下さいよ?」

(うち)にアイデンティティを捨てろっちゅうんか? しばくで?」


 いつもの雰囲気に戻る会話。村木さんに浮かんでいた憂いは影を潜め、いつものような快活な笑顔に取って代わる。

 彼女だって負けはしない。

 魔法になんて頼らない。

 カボチャの馬車も、ガラスの靴も。必要ない、と振り払える。

 自分の足で駆け寄るのだと、そう胸を張って言える彼女なのだから。


 やがて聞き慣れた車内チャイムが流れ、名古屋到着予定を告げるアナウンスが流れる。しばしの眠りから目覚めて荷物を準備しはじめる人々のざわめきが、和泉たちの周囲にもあふれ出した。


「――また、再来週ですね、村木さん」

「そやな。達者でな」

「……それで? 僕はどんな“魔法”をかければいいんですか?」


 和泉はデイパックを棚から降ろし、座席のリクライニングを戻して再び座り直す。乗り継ぎの電車への連絡は余裕がある。列車が止まる前に、出入り口に並ぶ必要はない。


「うわあ、まだ、それ言うかぁ? ほんま、若いやっちゃは恥じらいのない」

「なに照れてるんですか。僕だって、こっぱずかしいこと言っている自覚くらいありますよ!?」


 大仰に両手で顔半分を被った村木さんは、『ほんま調子くるうわぁ』とか『こいつ、最強やろ』とか、モゴモゴとつぶやいている。見慣れた予備校の建物が窓を通り過ぎ、列車はゆっくりとホームに滑り込んでいった。


「じゃあ、また再来週。切符とったらメールしますね?」


 まだ顔を被って天井を見上げたままの村木さんに、和泉は愉快げな声をかけて立ち上がった。通路を進む人々の列の最後に付くために、様子をうかがう。


「決めた」

「え? なんですか?」


 最後尾まで後5人ほどとなって、村木さんが急に和泉の背に声をかけた。


「なあ、正木くん。(うち)、負けへんで? だから、君が使う“魔法”は、その真咲さんだけのもんや。私にはいらん。私、負けず嫌いやねん。君が私の笑顔で“魔法”にかかる言うんやったら、私は何もナシでこの勝負、勝ってみせるわ。覚悟しいや?」


 振り返った和泉の目に飛び込んでくる、極上の笑顔。少し意地悪くも見えるその目元には、あふれんばかりの情熱と輝きがある。

 思わず見とれて足が止まった和泉の背を、村木さんが強く押す。


「なに、ボケてんねん? 乗り越すで? じゃあ、また再来週な?」


 入れ違いに乗り込んでくる乗客の姿をみて、和泉も慌てて人並みを逆走する。やがて閉まるドア。ゆっくりと滑り出していく車窓から、極上の笑顔のまま、目元に一滴だけ光るものを浮かべた村木さんが、手を振って通り過ぎていく。

 赤いテールライトが暗闇に消えて、ホームには静けさがやってきた。



 22時56分。

 新しい“魔法”にかけられた和泉の、また新しい“戦いの時”が始まる。








その魔法をかけるのは、自分自身。

ガラスの靴を脱ぎ捨てて、私はあなたの元へと駆けていく。

カボチャの馬車より速く。

(こだま)よりも、(ひかり)よりも。

人の希望(のぞみ)は速く届く。



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えっと……大幅遅刻となりましたが[鉄道記念日奉祝企画]参加作品です。ご笑納下さい。


正式な(?)「シンデレラ・エクスプレス」は、1987年の「ひかり289号」。この頃は、まだ100系新幹線でした。

作中では、すでに「のぞみ号」が登場している頃で、その頃の最終便は「のぞみ69号」でした。ダイヤが変わるたびに号車数は変わりますが、『東京発、新大阪行きの最終新幹線』は今でも「シンデレラ・エクスプレス」なのでしょうか。


懐かしい、と思っていただければ嬉しいです。




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