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短編集

天国列車

作者:海水
『鉄道記念日奉祝企画』『秋冬温まる話企画』作品です。
 天へと伸びる一本の軌道(レール)
 そのたもとにある、木造で、台風が来れば根こそぎ持っていかれそうな、頼りない駅舎。この駅から天国行きの三両編成の短い列車がでる。
 ここは閻魔大王の裁きで天国行きの判決を受けたものが集う場所。
 その駅の改札でパチンパチンと小気味いい音をたて切符を切っている若い男、金魚(きんぎょ)海羽(みう)は改札を通り過ぎる人たちの顔を見るのが好きだった。

 天国へ行く人々はみな笑顔だ。
 天国は癒しの世界。疲れた魂が眠る場所。
 地獄は輪廻の世界。生まれ変わってもう一度やり直すのだ。
「おつかれさまでした」と声を掛けながら、そんな満ち足りた笑顔を見るのが、海羽は好きだった。

 そんなある日、海羽は浮かない顔のおばあさんを見つけた。笑顔の波の中に、どんよりと黒い雲がかかったような、寂しそうな顔をしていたのだ。
 俯いたおばあさんが人の波から外れ、駅舎の壁際にある小さなベンチに腰掛けるのを、切符切りをせわしく動かしながら海羽は見ていた。
 ――どうしたんだろう?
 海羽は気になったが、押し寄せる人の切符を捌く事でいっぱいいっぱいだった。
「ふぅ、やっと波が収まった」
 海羽はやり切ったという満足の顔で帽子のつばを軽く上げ、大きく息を吐いた。
 天国行の列車は三両編成で一日に一本。混む時間帯も列車が発車するまでだ。
 海羽は一息ついでにおばあさんが座っていたベンチに目を向けた。
「あれ?」
 海羽が目を向けた先にはおばあさんがまだ座っていたのだ。今日はもう列車が出てしまっており、明日にならないと天国行の列車は発車しない。
 ――よし、いくか。
 列車が出てしまえば改札を空けてもあまり問題は無い。列車に乗りたい人はおおかた発車寸前に来るからだ。つまりもう暇なのだ。
 海羽は改札を出ておばあさんの元に向かった。

「おばあさん、どうしました?」
 海羽が掛けた声に、おばあさんがゆるゆると顔を持ち上げた。さっき見た寂しそうな表情は変わっていない。
 天国へ行けるほど満足した人生だったはずなのに、何故そんな寂しそうな顔をするのか分らない海羽は不思議に思い、理由を尋ねた。
「残してきたジャガーが心配で……」
「ジャ、ジャガー?」
 素っ頓狂な声をあげた海羽に、おばあさんが目を丸くした。 
「え、あぁ、飼っていた猫の名前なんです。柄がジャガーみたいに斑だから」
 おばあさんは目元に皺を作り、嬉しそうに笑った。
「そうだったんですか。てっきり本物を飼っていたのかと思っちゃいました」
 海羽は安堵に肩を落とした。
「それで残してきたとは?」
「あたしは一人で暮らしていたんです。病気にかかって入院したんですけど、そのまま死んでしまったようで……」
 おばあさんは暗い顔でぽつぽつと語りだした。

「で、飼い猫がどうなったかが気になって天国行きの列車には乗れないと」
 どうしたものかと悩んだ海羽の相談を受けた、上司である駅長の忍足(おしたり)は、フムと唸った。
 見掛けは痩せた中年で前髪がだいぶ寂しい風体だが、これでも地獄の十王の一人である。
 十王とは地獄において亡者の審判を行う十尊のことで、現世では閻魔のみが有名になってしまっているが基本的に立場は同等だ。
 この駅は閻魔を中心とした十王が取り仕切っており、冴えない風体の忍足も実は初江王(しょこうおう)だったりもする。偽名を語っているのは世を忍ぶ仮の姿という設定にして楽しむためらしい。
 ちなみに海羽は着任三年目の獄卒である。閻魔に地獄送りの判決を受けた後に、獄卒としてスカウトされ、この駅に配属になった、まだピチピチの新人獄卒だ。
「えぇ、あのおばあさん。名前は斑猫(はんみょう)好美(よしみ)さんですが、旦那さんは十年以上前にここを通って天国へ行っています。子供たちは遠方で家庭を作っていて、頻繁に会っていたわけではなさそうです」
 海羽は獄卒データバンクからおばあさんの資料を集め、調べた。
「頑張って(せい)を全うしたんだから安らかに眠って欲しい。天国へ行ける魂が彷徨ったとなれば沽券に関わる」
 忍足は薄くなった頭をペシペシと叩いた。
「金魚。おばあさんの代わりに下界に行ってちょっと様子を見て来い」
「え? 切符切りは?」
「改札員はお前の他にもいる」
 忍足の言葉とタイミングを合わせたかのように事務所のドアが開き、ガチムチな体を制服で縛っているかのような男が入ってきた。
「俺が変わろう」
魚狗(かわせみ)先輩?」
 魚狗と呼ばれた男がミチミチと筋肉を喜ばせて近づいてくる。
 ――この極卒(ひと)苦手なんだよなぁ。
「お前、下界での業務経験は無いだろ? いい機会だから行ってこい」
 魚狗が肩の僧帽筋を盛り上げ、文句を言わせない空気を振り撒いた。ちなみに魚狗も獄卒で三十年を超えるベテラン獄卒だ。
 海羽は迫りくるプレッシャーに勝てず「は、はいぃぃ!」と悲鳴のような声をあげた。

「下界に来たのはいいけど。どうしたらいいのさ」
 坊主頭直前まで刈った頭にビシッと折り目のついた濃紺のスーツに身を包んでサラリーマン然とした海羽は、おばあさんの自宅付近を歩いていた。
 都心から電車で行こうとは思わない、自然が豊かで紅葉が目に眩しく心休まる、ドが付く田舎だった。
「過疎化かなぁ?」
 獄卒ですらそう呟きたくなるさびれっぷりだ。
「そしてコレだよ……」
 おばあさんに教えてもらった住所に行けば既に更地になって、はやペンペン草が我が物顔でのさばっていた。
 ――マジかぁ……
 あまりの前途多難に海羽もため息をこぼす。
「役場に行ってみよ……」
 肩を落とし、海羽は役場へと歩いていった。

「え……売られた?」
「はい、相続しても誰も住まないそうなので、弁護士と相談の上で売却したそうです」
「ありゃー」
 役場ではさらに前途多難度が増した。遠くに住んでいる子供たちは手には余る家を売ってしまったようで、家も壊してしまったとの事だった。
「あのー」
「まだ何か?」
 胡散臭げに見てくる役場の中年のおばさまを前に海羽は口ごもる。仕事の邪魔、という視線がグサグサとささるのだ。
「……斑猫さんのお宅で、猫を飼っていませんでしたか?」
「猫、ですか?」
 予想の斜め上だったのだろう、応対している中年の女性がくるっと後ろを向き同僚たちに助けを求めている。助けを求めたいのは海羽も一緒だ。
「あー、斑模様(まだらもよう)の猫ちゃんのことかな?」
 助け舟的に奥にいる若い女性が声をあげてくれた。
「そうです! ジャガーちゃんって言う名前です」
「ジャガーて!」
 ツボにはまったのかその子が噴きだした。

「で、戻って来たと」
「収穫は……それだけです」
 駅舎に戻ってきた海羽は忍足に報告兼相談をした。もはや自分の手に余る気がしたのだ。
 おばあさんを笑顔にはしたいが、手掛かりが消えてしまっては探しようが無い。家がない以上ジャガーはどこかを彷徨っているだろうし、もしかしたら、と思うと海羽もやり切れなくなる。
「ばあさんには聞いたか?」
「いえ、まだ聞いてません」
「なら聞いてみろ。今日もベンチに座って暗い顔してる。出来る事はなんでもしてみるんだ」
 忍足にアドバイスされ、海羽は事務所を出ておばあさんが座っているベンチへと向かった。

「……そうですか」
 自宅が売られ、既に更地になってしまっていることを聞いたおばあさんが項垂れてしまった。
 ――そりゃそうだよなぁ。
 猫どころか家まで無くなっていると聞いたら落胆も二重奏だ。
「役場の方はジャガーの事は知っていましたが、どこへ行ったのかまでは知らない様でした」
「住むところがなくっちゃ、ジャガーちゃんもいられないものね」
 俯くおばあさんの手の甲にポツリと光るものがおちた。
 ――ッ!!
 海羽の胸では悔しさがとぐろを巻いており、叫んで口から出してしまいたかった。
「おばあさん!」
 海羽はある決意を胸に声をかけた。
「一緒に、探しに行きましょう!」
 おばあさんは、ゆっくりと顔をあげ、潤んだ目で海羽を見てきた。

「あの、大丈夫なんですか?」
「大丈夫! 上司の許可はとってきましたから!」
 海羽はまた下界に来ていた。今度はおばあさんも連れて。
 今日は灰色のストライプのスーツに坊主頭という、ちょっとアレな筋の方々と間違われそうな格好だが獄卒なので気にしてはいない。
 おばあさんは、白髪混じりだがふわっとした髪をうなじ辺りで一つに纏め、紺色の着物を着て不安げな顔をしている。ちなみにその姿は()()には見えない。
 二人が来ているのは、都会といえる地方都市から電車で三十分という住宅地だ。建売なのだろうか、同じような形の家が並んでいて、海羽だったら迷ってしまいそうだった。
「この付近なはずですが」
「娘の嫁いだ先はこの辺りだったはず……」
 おばあさんが体調を崩してから彼女の長女が足しげく通ってきていたらしく、ジャガーを知っているとしたらその長女だ、というのだ。一縷の望みともいえるその長女の家に、二人は来ていた。
「あぁ、ここですね」
 表札を見て、海羽そう言った。白と黒のツートンカラーで塗られた、二階建てのありふれた家だ。
 ――いるといいんだけど。
 海羽は躊躇なくインターホンを押した。すぐに「はーぃ」という可愛い声が応答してくれる。
「突然申し訳ありません。あの、わたくし斑猫好美さんの知り合いの金魚と申します」
「きんぎょさん?」
 インターホンの向こうではハテナマークが飛び交っているようだ。金魚などと言われればそうもなるだろう。
「好美おばあちゃんの飼っていた猫ちゃんを探しているんですけど」
「え? じゃがーちゃんを探してるの?」
 直後にバタバタっと騒がしい音がして、がちゃりと玄関のドアが開いた。顔をのぞかせたのはまだ幼稚園くらいの女の子だった。そしてその足元には豹と見間違う程の見事な斑模様の猫。
「あぁ、ジャガー!」
 その姿を見た好美が叫んだ。もちろんその声は人間には聞き取れない。
 ジャガーと呼ばれた茶色で斑模様の猫がじっと好美のいる空間を見ている。
「こわいおじちゃん、だれ?」
「顔は怖いけど、おかしな人じゃないよ?」
 明らかに怯えた女の子の顔に、海羽は罪悪感を覚えた。

 後から顔をのぞかせた好美の娘、朱美(あけみ)によって招かれた海羽は、畳の部屋で正座をしていた。目の前には年季の入った小さなちゃぶ台。そこに湯呑がコトリと置かれる。
「あの、お構いなく」
 海羽は恐縮しまくり、小さなちゃぶ台に合わせてなるべく体を小さくしようとした。
 ――どうにも居づらいな。
 そんな海羽の様子を、好美の孫にあたる朱里(しゅり)が、ジャガーを抱きながら不思議そうに首をかしげて見ていた。
「これ、うちにあったちゃぶ台だわ。あぁその箪笥も」
 好美は家中を歩き回り、生きていた頃に使っていた家具の姿を見て懐かしんでいた。ジャガーが無事だった事に安堵し、目の向く先が変わったようだ。
 ――おばあさん嬉しそうだ。
 海羽はその様子を横目に口を開いた。
「小さなちゃぶ台って、珍しいですよね」
 海羽の言葉が意外だったのか、朱美は少し驚いたが直ぐに頬を緩めた。
「これ、実は先だって亡くなった母の物なんです」
 少し寂しそうに、亡き母を懐かしむように、朱美ははにかんだ。好美はそんな朱美を見て、目を潤ませていた。海羽は気が付かぬ振りで話を促す。
「実家を壊すときに、みな思い出の品を持ち帰りました。母の飼っていたジャガーは、うちが引き取ったんです」
 ちょこんとお座りをし、返事をするように「にゃー」と鳴くジャガーを、皆が見つめていた。
「よかった……」
 ――これならおばあさんも納得だ。
 目を細めジャガーを見つめる好美を見た海羽は、これで天国行きの列車に乗って貰えると確信した。

「んで、ばあさんはどうした?」
 駅舎の事務所に帰ってきた海羽は報告を求める忍足を前にして直立不動だった。椅子に深く腰掛ける忍足の目が妖しく光る。
「今日の列車には間に合わないので、明日の列車で天国へ向かうとの事です」
「そうか、よかったな」
 ギッと椅子を軋ませ忍足が立ち上がった。忍足の重い手が肩に当てられる。温かい何かが伝わってくる気がした。
 その時、事務所内の電話がリリリとなった。一番下っ端の海羽は素早く電話を取る。
「はい、こちら駅舎の金魚です! は? うえぇ? ジャガーがいなくなったぁ?」
 海羽は受話器を耳に当てたまま叫んでしまった。天眼通という下界を監視する部署の同期の極卒にジャガーの様子を見て貰っていたのだ。
 海羽の叫びを聞いた忍足の目がまたも光る。
「その件は済んだはずだ。放っておけ。猫の所在が分かったんだ、ばあさんは安心して天国へ行ける」
 冷たく言い放つ忍足に海羽の頭に血がのぼる。
「そ、それでもジャガーがどこかに消えちゃったら見つからなかったも同然じゃないですか!」
 何も知らない好美は笑顔で改札口にいる海羽の前を通っていくだろう。しかし、その笑顔を裏切るようなことはしたくなかった。
「だって、おばあさんが笑顔になってたって、それは騙してる事と一緒ですよ!」
「我々の仕事は死者を笑顔で天国へと送る事だ」
 海羽の激昂も忍足には届かない。永遠ともいえる歳月を過ごした忍足のとって、この程度のことはよくある事なのかもしれない。だが海羽にとっては、よくある事にはしたくないのだ。
 ――そんなの、違う!
 海羽は爪が食い込むほど拳を握りしめた。
「……探しに行ってきます!」
「まて!」
 忍足の制止を振り切って、海羽は駅舎を飛び出した。

「探すって良いカッコしちゃったけど、どうやって探そう……」
 飛び出して下界に来たはいいが、ジャガーの行方に当てはなかった。
「何故いなくなったかを考えないと……」
 ジャガーが引き取られていた家の周辺を海羽は歩いていた。猫の足ではさほど遠くまでは行ってはいないと考えたからだ。
 ――ってことはまだ近くにいる?
 先程訪れたばかりで、それからいなくなったと考えれば、海羽のはじき出した回答も外れとは言い切れない。
「さっきおばあさんはいた時にジャガーは……」
 そこまで考えた海羽は「あ」と声を上げた。
「まさかおばあさんの存在に気が付いて、元の家に戻ろうとしたのか?」
 海羽は、好美の娘の家を訪ねた際にジャガーが見えないはずの好美に気がついていた様子を思い出した。
「ちょ、猫でも獣ってこと?」
 すでに陽も傾き茜色に染まりつつある住宅地を、海羽は当てもなく走り始めた。

「ハァ、ハァ……」
 獄卒でありながら改札員をしている海羽の息が上がるのは早かった。走り始めてから数分後、既に虫の息だ。情けないと思うが改札員に体力は必要ないのだ。
 ――やば……猫にも……負けた
 海羽は坊主頭にびっしりと汗をかき、膝に手をつき項垂れる。(ジャガー)が本気で走れば海羽など瞬時の置いていかれてしまうだろう。このままでは探すどころか離される一方だ。
「くそっ!」
「駅員さん」
 項垂れていた海羽がまた走り出そうとしたその時、聞き覚えのあるおばあさんの声が掛けられた。
 ハッとした表情の海羽が顔をあげれば、目の前には柔らかな笑みを浮かべ、腕に斑模様の猫を抱いた好美が立っていた。
「あれ? おばあさん? っていうか何でここに? なんでジャガーを? ってかなんでジャガーに触れるんですかァァ?」
 濃紺の着物姿の好美はしっかりとジャガーを抱いていた。猫の毛が着物についてしまうなどの心配をする余裕は海羽には無く、亡者の好美がなぜジャガーに触れる事が出来るのか理解できずにプチパニックに陥っているのだ。
「駅長さんが下界に送り出してくれました。しかもジャガーが疲れて蹲っている目の前に」
 好美はジャガーの頭をふにふにと撫でながら、微笑んだ。
「忍足さんが、ですか?」
 下界に好美を送ることは違反ではない。
 天国行の列車を管理する駅にも規則はある。おおよそが下界に干渉してはならない、という物だ。先日は駅長である忍足に許可はとったので違反ではない。
 今回も忍足が送り付けたのならば違反ではないが、好美が実体化していることは重大な違反だ。実態があれば下界に干渉できてしまう。
 獄卒である海羽ならばその危険性は熟知しているが、亡者である好美は知らないだろう。死に別れた懐かしい人物とあってしまえば自らの存在が何かなど忘れてしまうかもしれない。そうなると大騒ぎだ。
「えぇ、特別だ、と仰ってました」
 好美はそう言うと、顔をジャガーに向けた。
「ねぇジャガーちゃん。あたしはね、もう死んじゃったのよ。だから本当ならもう会えなかったの。でもこれでお別れね」
 好美が笑みを浮かべたままジャガーに話しかけた。ジャガーも言葉がわかるのか、真っ直ぐに瞳を好美に返している。
「これからはね、朱里ちゃんが一緒にいてくれるからね。あなたも、ちゃんと生を全うしたら天国に行けるから。あたしはそこで待ってるからね」
 優しく語り掛けている好美に向かい、ジャガーが「にゃー」と静かに鳴いた。
「最後にあなたに会えてよかったよ。また会える時を楽しみにしてるわ」
 好美が愛おしむようにジャガーの頭に頬を擦りつけた。
「さぁ、良い子だからお行き」
 好美がしゃがみ込み、そっとジャガーを地面に降ろした。トトトっと足を運んだジャガーが、顔だけ振り向かせてくる。ジャガーはじっと好美を見つめ小さく「にゃー」と鳴いた。そして振り返らずに、夕日に包まれた街の中へと消えていった。
 ジャガーが天国へ行ける確証など、何もない。これからのことなど、誰にもわからないのだ。
 ――無粋だな。
 海羽は、その事を言う気にはなれなかった。

「金魚さん、ありがとうね」
 ふわふわと空中を漂う好美がぺこりと頭を下げた。実体化は解かれ、元の亡者に戻っている。
「ジャガーが見つかってよかったです」
 海羽は、ちょっときまり悪そうに答えた。忍足が好美を寄越した事でなんとか収まったわけだが、そもそも海羽の行動が独断であり違反行為だ。
 今更ながら気がつき、ヤバイと思い始めていた。
「でも、よかったの? 駅長さんカンカンだったけど」
 好美の言葉に「やっぱり」と海羽は頭を垂れた。
「教えてくれてこうして安心していられるけど、もし知らなかったとしても、わたしは天国行きの列車にのったわよ? 違反してまで、どうして?」
 心配そうな瞳を向けてくる好美に、海羽は顔をあげ、にっこりと笑った。
「僕、改札で見る笑顔が好きなんですよ」
「笑顔?」
「はい、笑顔です。幸せそうに微笑んで改札を通って行く皆さんの、ね」
 納得できない顔の好美に対し、海羽は照れ笑いを浮かべた。 
「いえ、僕ね、若いでしょ?」
 海羽は歩みを止め、歩き疲れてくたびれている靴先を見た。
「僕、自殺したんですよ」
 海羽はポツリとこぼした。
「自殺?」
 海羽には、好美の驚く声が妙に大きく聞こえた。
「はい。就職して働き始めたんですけど、なかなかうまくいかなくてですね」
 独り暮らしをしていた海羽が就職したのは、小さな商社だった。社員も少なくアットホームは社風ではあったが小さいゆえに荒波にもまれる事も多かった。
 少し景気が悪くなり売り上げが落ち始めた時が始まりだった。残業が多くなったが売り上げが足りないために残業代は出ない。疲弊した体は家と会社を往復させるだけの物になっていった。
「体だけじゃなくって精神的にもきつくなって……」
 売り上げが落ちれば社内の雰囲気も悪くなる。ギズギスした空気が海羽に追い打ちをかけていったのだ。
「そんな中で大きなミスをしちゃいましてね。はは、注意力が欠けてたんですよ」
 海羽のミスで会社は大きな損失を出した。そして海羽は自主退社という名の首になったのだ。
「どん底の中で生きる気力も無くなっちゃいまして。気がついたらビルの屋上でしたよ、はは」
 海羽の口からはカラカラの笑いが転げ落ちた。
「ま、死んでしまって閻魔さまの前に立たされて、お前は生を全うしなかったがその境遇には考慮すべき点がある、なーんて言われまして」
 海羽は手をニギニギさせ、切符切りでもぎるそぶりを見せた。
「それで、駅員さんに?」
「えぇ、獄卒として、ですけども」
「公務員みたいな感じなのかしら?」
「まー、似たようなもんですね」
 海羽は苦笑いを浮かべた。
「で、あの駅で切符切りを始めた訳ですが、最初は改札を通る人の笑顔が憎たらしくってしょうがなかったんです」
「笑顔が好きだって言ってたのに?」
 好美が首を傾げた。
「僕は自殺するまで追い詰められてたのにこの人達は!って思ってました。八つ当たりですよね」
 海羽は苦笑いのまま坊主頭をポリポリかいた。
「そんな時に、改札口を笑顔で通って行く、小さな女の子を見たんです」
「えぇ!?」
 小さな女の子という単語に、好美は派手に反応した。
 改札口を通る人の姿は死んだときの姿をしている。お年寄りが多いが、若い人もいる。そして海羽の見た小さな子供も。
 もちろん死因も色々だ。交通事故で亡くなった亡者などは大抵生まれ変わりになった。
「その子もにっこりと笑っていました。こんな小さいのに。僕、気になって調べたんです」
「何があったんです?」
 気になったのか好美も地面に降りてきた。
「獄卒データバンクで調べたら、どうやら小児がんで亡くなってたんです」
「……」
 好美は声も出ないようで、口に手を当て黙ってしまった。
「闘病では辛い思いをしたと思うんです。でもその子は笑顔でした、やりたい事とかいっぱいあったはずなのに……」
 海羽はグッと顔をあげ、空をみた。
「その子の笑顔の理由は何かなって考え始めたんです。僕には無くてその子にはある物って何だろうって」
「何か、分ったんですか?」
 怪訝そうな顔で見つめてくる好美に、海羽はニッと笑う。
「一生懸命、かなと」
「一生懸命……」
 好美がまたも首を捻った。
「結果として、その子は病が元で亡くなってしまったわけですが、闘病中は諦めなかったんだと思うんです。もちろん両親の励ましもあったでしょうけども、本人が懸命に前を向いていたんだ、と思ったんです。だからこその笑顔なのかなと」
 海羽は眉を下げ、寂しそうな顔をした。
「僕は逃げちゃったんですよ」
「金魚さんは逃げてなんかいないですよ」
 好美はすぐに否定の言葉をかけてくれた。が、海羽はゆるゆると頭を振る。
「いえ、今になって思えば、辛くなった時点で会社なんて辞めても良かったんです。辞めちゃダメだ、なんて自分で選択肢を狭めて追い詰めてたんです」
 海羽はぎゅっと手を握りしめた。
「改札を通る人は、何かしら一生懸命に生きた人なんだなって思ったら、その笑顔が眩しくって、羨ましくって、好きになりました」
「わたしは一生懸命に生きたのかしら?」
 好美が浮かない顔になってしまった。慌てて海羽はすぐに言葉を挟む。
「一生懸命に生きていたからこそ、あの家に小さなちゃぶ台が、箪笥があったんですよ。好美さんとの思い出の品として、持ち帰るくらい愛着があったんです」
「そうでしょうか?」
「そうですとも」
 海羽は胸を張った。
「僕は寂しそうな顔をした貴女を何とか笑顔にできてうれしかった。だけど、折角笑顔になったその裏に隠し事をしたくなかったんです」
「その為に、駅を飛び出しちゃったんですか?」
「えぇ、勢いに任せちゃったところもあるんですけど。でも後悔したくなかったんです。これが僕なりの一生懸命の形です」
 海羽は照れ笑いを浮かべた。こうすることで、何かが掴めると思ったのだ。
 生きている間には掴めなかった、何かを。
「頑張って与えられた今の改札員を全うしたら、閻魔さまにお願いをしようと思ってるんです」
「お願い、ですか?」
「えぇ、もう一回、人間として下界に生まれ変わらせてくださいって」
 海羽は、夕日の輝きに負けない笑顔を見せた。

 翌日、天国行きの列車の発車時刻が迫る小さな駅は、笑顔の人でごった返していた。改札口で「おつかれさまでした」と声をかけながら切符を切る海羽は、その人の波の中に好美の顔を見つけた。
 海羽が切符を切り、彼女が改札を通り過ぎる時。
「頑張ってね」
 と小さな声でにこっと笑いかけてきた。
「もちろん!」
 海羽も笑顔で応えた。
 人の波に埋もれ、すぐに好美の姿は見えなくなった。海羽は黙々と改札で切符を切って行く。
 天国行きの列車の出発を告げるベルが鳴った。
 三両しかない列車はいつも満員だ。
 海羽は改札口から列車を見送る。
 赤いテールランプが寂しそうに揺れるが、それは気のせいだと海羽は思っている。
 彼らが行く天国とは如何なる場所なのかは知らない。
 が、いつかそこへ行けるよう、今を頑張るのだ。
「金魚君」
 列車の後姿を見ていた海羽に、背後から忍足の声がかかった。嫌に低いその声に、海羽の肩が派手に跳ねた。
「な、なんでしょう」
 ギギギとブリキのおもちゃのように首を回せば、黒い笑顔の忍足がお出迎えしてくる。
 ――うわぁ、えげつない笑顔だぁ…… 
 あまりの大歓迎っぷりに海羽は気を失いそうだ。失わないけども。
「昨日は、大活躍だったようだな」
 忍足の手には紙の束が握られている。指よりも厚いその束を見た海羽はごくりと唾をのんだ。
「ばあさんを下界に送るにあたって、各部署から多大なる支援を受けていてな」
 負け戦ばりの前髪前線がさらに悪化した額には、青大将並みの筋がくっきりと浮かび上がっている。忍足の目も異様に輝いていて、怖い。
 忍足は持っていた紙の束をボスッと海羽の胸に突きつけてきた。その紙には「始末書」という文字が楽しそうに躍っている。海羽にとって楽しくもありはしないのだが。
「ばあさんの姿を見た全ての人間の記憶を消さなきゃならないとか、ジャガーを探すために獄卒を派遣したとか、ジャガーがいなくなったこと自体の記憶を弄らなきゃならないとか、なんだかんだで各部署の獄卒フル動員したんだぞ?」
 忍足が有無を言わさない怪しい笑みで海羽を見てくる。忍足の暗い瞳には汗だくの海羽が映りこんでいた。
「頑張ってやり直すんだろ?」
 怪しい笑みのままだが、忍足はそう言ってくれた。
「は、はいっ!」
 元気よく答えた海羽に、忍足は続けた。
「まぁ、あと百年は頑張らないと、な」
「えぇぇ! 時代が変わっちゃいますよ!」
「頑張るのに時代なんか関係ないだろ?」
「そんなぁー」
「はは、人生にカンニングなんてないんだよ」
 忍足はカラカラと笑った。

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