ワイバーン
ものごころがついた頃から、俺は絵を描くのが好きだった。言っておくが、俺はなにかを実物そっくりに書きたいわけじゃない。気に入ったものがあると、その気に入ったところを紙に描いて残しておきたい。そう思うから描く。それだけのことだ。大好きなおもちゃ、となりの家の犬、腹がへったときだけエサをねだりに来るノラ猫……。だが、両親がほめてくれたのは最初のうちだけで、教会で読み書きを習うようになったころには、俺が絵を描いているといい顔をしなくなった。全然似ていない絵を描くなんて、時間のムダでしかないってわけだ。近所の連中も同じだ。俺が広場で絵を描いていると、わざわざ何の絵かと聞いてくる。馬だと俺が答えると、そんな顔の短い馬がいるもんかと、にやにやしながらぬかす。俺が気に入ったのが、顔の長いところじゃないことが、連中にはわからない。
そんなわけだから、俺が十歳のスキル付与の儀式で〈絵師〉のスキルを授かった時には、両親は頭を抱え、他の連中は腹を抱えて笑った。もともと、絵師というのは描いたものを実体化させるスキルなのだが、ほとんど役に立たないハズレスキルだと見なされている。よほどレベルが上がらないと持続時間が短いし、オリジナルの性能を写し取るのも難しい。宮廷画家並みの画力を持った〈絵師〉がいたとしても、美味いリンゴ一つ作り出すのは不可能なのだ。
結局、俺はスキルの恩恵を何ひとつ受けることもなく、生まれ育った町、ホロルの冒険者ギルドの経理になり(計算は得意だった)、二十八の時、ギルド所属の冒険者(攻撃系の魔術師)だったケイトと結婚した。まもなく四つになる娘アイリーンがいる。〈絵師〉のスキルはほとんど使ったことがない。一度、子猫を描いて実体化したら、アイリーンに大泣きされた。
実りの女神テールの月七日の昼下がり、昼食休憩を終えた俺が、再び未処理伝票の山に挑もうとしていると、ギルドのロビーが急に騒がしくなった。炭焼きのデール爺さんの息子ハンスが、ワイバーン襲来の急報を持ち込んできたのだ。デール爺さんは、森の動物たちが水飲み場にしている泉のほとりで、一匹のワイバーンが雌鹿を餌食にしているところを目撃した。爺さんは肝をつぶしながらもどうにか家まで逃げ帰り、畑仕事をしていた息子にギルドへの報告を命じたというわけだった。
「まずいな……」
ギルマスのオーソンがそうつぶやくと、副マスターのルシンダがうなずいた。
「ええ、十中八九この町を襲ってくるわね」
通常、ワイバーンは山奥で群れになって生活し、大型の魔獣をエサにしている。単独でふもとに現れるのは、何かの理由で群れを追われ、食いつめている個体だ。こういうやつは、食いではなくても狩るのが簡単な小動物(体長十五メートルを越すワイバーンにとっての小動物で、そこには人間も含まれる)を狙う。
この時間帯だと冒険者の大半は出払っていて、救援を求める狼煙を上げても、Bランク以上の有力なパーティが戻るまでに、一、二時間はかかるだろう。しかも、空からの攻撃となると、少人数で防ぐのは難しい。
「とにかく、リタイア組に協力してもらって避難誘導だ。地下倉庫がベスト。入れないものは第一教会へ。誘導が終わったら結界の補強にあたってくれ」とオーソンはルシンダに言った。
「了解」
元パーティ仲間だけあって息が合っている。教会には元々簡易結界が張られている。Aランク魔術師のルシンダが補強すればワイバーンでも破れないだろう。となると、問題は第二教会だ。ケイトとアイリーンは第二教会のすぐ近くの市場に行っている。教会で勉強している子供たちを守るために、ケイトはアイリーンを連れて教会に向かうはずだ。第二教会はワイバーンがいる森とは反対側の町はずれにあるが、第一教会の結界が破れなければ、ヤツがそっちに向かう可能性は高い。
「補強なしだと、第二教会の結界はどのくらいワイバーンの攻撃に耐えられる?」と俺はルシンダに尋ねた。
「十分から十五分ってとこね」
「ギルマス、ここの倉庫に結界を張れる魔道具があったよな? 俺にそれを届けさせてくれないか? 多分、嫁と娘はそっちにいる」
「それじゃ頼む。ルシンダ、アンリに魔道具を」
「わかった。アンリ、安心して、一番強力な道具を出してあげる。ケイトは防御系は苦手だけど、使い方は知っているから、渡してくれさえすれば大丈夫」
まずいことに、俺が到着した時には、第二教会はすでにワイバーンの攻撃を受けていた。ルシンダの結界が破れそうにないので、早々に目標を変更したのだろう。想像していたよりはるかに知能が高い。ケイトは入り口の前で杖を構えている。結界が破られたら、火力は十分ではないが、炎魔法で攻撃するつもりなんだろう。普段この教会にいるのは年をとった神父と読み書きを習いに来ている子供達だけで、戦力になるのはケイトだけのようだ。
「ケイト!」
俺が魔道具を頭上に掲げると、ケイトは目を輝かせながら叫んだ。
「魔道具ね! こっちに投げて」
結界の外に躍り出たケイトは、チャンスとばかり迫ってきたワイバーンの首を狙って剣を斜め上に斬り上げ、相手をひるませた隙に魔道具を受け取った。
「ありがとう」
ケイトがすばやく魔道具を発動させると、簡易結界よりはるかに鮮やかな緑色の光が教会を包み込んだ。教会は二重の結界で守られ、ケイトは二つの結界の狭間にいる。これなら結界が破られることはないだろう。これにて一件落着、であればいいのだが、ひとつ問題が残っている。俺が身動きとれないということだ。発動した結界から出ることはできても、入ることはできない。ワイバーンは逃げようとするものを追いかける習性があるから、逃げ出すわけにもいかない。結界を破ることに気を取られていてくれるうちはいいが、あきらめてここを離れる際には腹立ちまぎれに俺を殺してゆくだろう。助かる可能性は、ワイバーンが結界を破ろうとしてる間に救援が来ることだけだが、もしそれがダメとなったら、俺はすぐに命を差し出さなければならない。ぐずぐずしていると、ケイトが俺を助けようとして、結界から飛びだしてきてしまうかもしれないからだ。
ただ死を待つだけの、不毛な時間を過ごすうちに、俺の頭の中はワイバーンを倒すことのできる聖獣のイメージで一杯になった。体は一本の銛のようで、バネのような短い三本の足で跳び上がり、鋭いくちばしでやつの心臓を貫く。胴体には二枚の矢羽根だけがついている。そうだ、一つだけ出来ることがある! 俺は足元の小枝を拾うと、夢中で地面に聖獣の絵を描いた。一筆書き程度の絵だが、なぜか〈絵師〉のスキルで実体化できるという確信があった。
「リアライズ!」
俺がそう叫んだ瞬間、描き上げた絵がまばゆい光を放ったかと思うと、俺が思い描いた通りの聖獣が足元に立っていた。体長は描いた時そのままで四十センチ程、だが、ワイバーンの天敵が間違いなく顕現したのだ。
「行け!」
勝負は一瞬で終わった。聖獣は切り裂くような叫び声を上げながら跳び上がり、ワイバーンの心臓をぶち抜いた。やつは仰向けにひっくり返ると、そのまま絶命した。胸板に二十セントほどの風穴が開いている。聖獣は俺の頭上で勝ち誇ったような叫び声を上げると、そのまま姿を消した。




