第九話
一匹の黒紫色の鱗を持つ蛇が深い霧の中を進んでいる。
『死毒蛇』と呼ばれるその蛇は、名前の通り死に至らしめる猛毒を持ち、一度その毒に侵されれば数分と持たず命を失うとされる程だ。
至る所で毒の発生しているこの場所で魔物として産まれた自分が毒を持っているのは必然だろう。
しかしそれは自分と同じように産まれた他のものも同じ。
初めは弱かった自身の毒も、蜘蛛や百足、蠍などの同じく毒を持つ敵を倒し喰らっている内に強化され、今や殆どの敵に通用するようになった。
産まれてからずっと敵に怯え、がむしゃらに生きてきた蛇は、自身力の成長を実感して少し心の余裕が生まれた時に偶然発見した洞窟を住処とした。
暗く湿度の高い環境が心地よく、数週間程は時々入ってくる他の魔物を喰らいながらじっと動かず、食事が足りなくなれば外に出て狩をするといった生活を行なっていた。
洞窟に住み着いたから数十回目の外の森での食事を終え、数日ぶりに洞窟に帰ってきた。
暗くじめじめとした洞窟を進む。
いつもなら自分が居ない間に他の魔物がいくらか中に住み着いているのだが、今回は一匹も見当たらない。
少し物足りなさを感じながらも最奥にある自分の寝床へとたどり着き、いつもの定位置でとぐろを巻いて動きを止めた。
—いや、正確には止められたと言った方が正しいか。
異常を感じ、必死に体を動かそうとするが地面に縫い付けられたかのように微動だにしない。
カチカチカチカチ
頭上から硬い物がぶつかり合うような音がしたと同時に首にチクリと鋭い痛みを感じた。
体が痺れ魔力が上手く扱えない。
徐々に感覚が無くなりそして意識が途絶えた。
ぶちぶちと肉を引き千切る音が響く。
その身を侵す猛毒をものともせず喰らい尽くす。
洞窟の奥深く暗闇の中、黒紫色の鱗を持つ蛇の頭が無造作に転がっている。
よく見ると無数の細い糸が張り巡らされ天井付近には真っ赤なルビーのような8つの瞳が輝いていた。
《魔人の器か満たされました。進化を開始します。》
機械音声の様な無機質な声。
その声は誰にも聞こえない。
唯一匹を除いては。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「あっ!リンゴみっけ!」
日課の修行を終えた蓮は、食糧を探しながら森の中を散策していた。
今日のお供はメデュアとクロ。
少し小さくなってくれたクロの背に跨り、首にはメデュアが器用に巻きついている。
見つけた林檎擬きを慣れた手つきでもぎ取り、袖口で軽く拭いてから齧り付いた。
「うんっ!美味しい!メデュアも食べる?……メデュア?どうしかしたの?」
林檎擬きを差し出した蓮に首を横に振り答えたメデュアは、森の奥に視線を戻しじっと見つめている。
視線の先は毒沼の森がある方向。
クロも鼻をスンスンと鳴らして同じ方向を向いていた。
「え?何か来る?強そうだから隠れてろって?」
どうやら敵が来るようだ。
2匹とも眷族になる以前と比較して格段に強くなっている。
それに攻撃手段のない自分がいても足手纏いになるだろうと考え、クロとメデュアに強化魔法をかけると後ろに下がり、少し離れた木の陰に隠れた。
蓮が隠れた事を確認し、クロは元の大きさに戻り牙を剥き出しにして威嚇し、メデュアは地面に降り立ち静かに魔力を練り上げた。
ザッザッザッ……
視線の先の木々の奥から足音が近づいて来る。
「あいつは……居ないようだな。お前達、白い羽の生えた亜人種を知ってるか?ちっこい人間のガキと一緒にいるはずなんだが……」
姿を現したそいつはクロとメデュアを視界に捉えるとそう話しかけた。
短く切り揃えられた白髪の青年。
血のように真っ赤な瞳がギラギラと妖しく輝いており、口には鋭く尖った歯が上下二本ずつ生えている。
紫色の服を身に纏い、細身ながらもよく鍛え上げられた身体から溢れんばかりの威圧するような魔力を放っている。
(えっ、人間……!?でも、なんだかすごく、嫌な感じがする。それに、あの人が探してるのってルーと僕の事、だよね……?)
木の陰から様子を窺っていた蓮。
突然訪れた人間との邂逅に驚き、戸惑っていると自分達を探していると言う。
声を掛けるべきなのだろうかと迷っている内に話は進む。
「なぁ、おい、知らねぇのか?」
「「「ガルルルル……」」」
「……。」
「知らねぇってか……?はぁ。まぁいい。それよりお前ら中々強ぇみたいだな。どうだ?俺の仲間《下僕》にならねぇか?」
クロとメデュアは目の前の男から感じる危険な香りを感じ取っていた。
先程から身体中が警鐘を鳴らし、すぐにでも逃げ出すべきだと訴えてくる。
しかし、主人である蓮に忠誠を誓った身。
一人で生きてきた今までとは違い、危険だからと容易に逃げる事は眷族としての矜持が許さない。
お互いの視線で合図を交わし、男の話を無視して先手必勝とばかりに攻撃を開始する。
クロは轟々と燃える火の玉を、メデュアは鋭く尖った氷の礫を、自身の持てる最速を持って男に向かって放った。
ドドドドドドドッ!!!
二人の放った無数の魔法は男に着弾する。
広範囲に渡って放たれた魔法は木を燃やし、地面を氷つかせている。
しかし、二人は警戒を解かない。
その場を支配する緊張感は先程よりも膨れ上がる。
「おいおいおい、危ねぇなぁ。素敵な提案をしてやったってのに、返事がこれか?ひでぇじゃねぇか。」
立ち込めた煙が晴れる。
そこに見えたのは白い繭。
無数の細い糸で出来たその繭は、パラパラと解け、中から無傷の男が出てきた。
「交渉は決別。まぁいいや。弱者は強者の糧になれ。」
「「「グラァァァァァァァァ!!!」」」
クロは目にも止まらぬスピードで駆け出し、その自慢の牙で噛み砕こうと男に飛びかかる。
同時にメデュアは男の足を凍らせ拘束する。
が、しかし……
「ぬりぃ攻撃だな、おい!」
氷の拘束を一瞬で抜け出し、右足を一閃。
蹴り飛ばされたクロは木々を薙ぎ倒しながら飛ばされ、地面を大きく削り動きを止めた。
「次はテメェだ!クソ蛇!」
男は右手をメデュアに向けると毒々しい紫色の巨大な玉を放つ。
逃げきれないと悟ったメデュアは咄嗟に氷の壁を作り上げる。
壁に激突した玉ははじけて拡散する。
飛び散った液体がジュウジュウと音を立てながら地面を溶かしている。
壁が保たない。
メデュアはその場を脱出すべく動き出す。
「逃がす訳ねぇだろ。」
背後に回っていた男はいつの間にか持っていた白い糸で出来た槍をメデュアに突き出す。
「「「ガァァァァァ!!!」」」
槍がメデュアに届く直前、吹き飛ばされたはずのクロが炎を纏った前脚を男に振るう。
見事に命中したクロの攻撃により男は吹き飛ぶ。
ズザーっと足で地面を削りながら滑る男。
止まった男は口元を伝う血を無造作に拭う。
「キシャッ……。やるじゃねぇか、おい!いいねいいね、滾ってきだぜ!」
男から紫色の魔力がぶわりと湧き上がりビリビリとした威圧がその場を支配する。
「まっ、まって!」
緊迫した場に黒髪の少年が飛び出してきた。