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歪みきった恋の歌  作者: 水澤しょう
7/7

仮面 ~7~

「如月さんが好き……とかじゃないんだと思う」


 ようやく如月みちるが泣き止んで、ふたりして校舎に背を預けて座り込んだ時、俺はぽつりと言った。


「へ?」

「ほら、松木が『一方的にうんぬんかんぬん』って言ってたから」


 ああ、と如月みちるは話を聞く体勢に入ってくれた。言葉を慎重に選びながら、俺は続ける。


「なんか……如月さんに、嫌悪感丸出しの目で見られるのが、好き、なんだと思う」

「なにそれ引くわ」


 慎重に選んだ意味は特になかったらしい。


「え、なに、Mなの?」

「Mなら如月さんを困らせて楽しんだりしないかな」

「確かに」


 疲労の色が濃い如月みちるは、ふんっと鼻を鳴らして、投げやりに返した。


「SでもMでも、どちらにしろキモいけど」

「申しわけないけど、それすらも悪口にはならないかな」

「うわ、面倒くさ。貶すたびに悦ばれるわけ?」


 はは、と如月みちるが渇いた笑い声を上げる。教室で笑うのとは違う、皮肉げで乱暴な笑い方だが――不覚にもドキリとした。


 完璧人間然とした彼女には一ミリも覚えたことのないような動悸が、なぜか今、唐突に心臓を襲う。


「てゆーか、なんであんたがここに来たわけ?」

「え、俺呼ばれたんじゃないの?」


 動揺を悟られないよう平常心を心がけながら、冷静に返す。


「演習室Cにメモを残したのって、俺があれを読むって踏んだからでしょ? あそこに行くのなんて、俺くらいのもんだし」

「……あれは、落としただけだから」


 図星だったのか、唇を尖らせてそっぽを向く。彼女のことだから、計算でやっているのではないだろう。素でこんなに可愛らしい仕草が出来るのに、男が嫌いとは実にもったいない。


 ああ――そうか。そこで俺はようやく気が付いた。


「如月さん」

「なに」


 拗ねたまま返事をする如月みちるに、俺は言う。


「俺さ、如月さんの素の表情を見せてもらうのが好きなんだ」


 彼女の顔が、わずかにこちらを向く。


「いつも思ってたんだよ。委員長からあの作り笑顔を取っ払ったら、どんな表情が残るんだろうって。『仮面』の下に興味があったんだ」


 だから、男子に対する嫌悪も、皮肉げな笑いも、拗ねた横顔も、すべてが素の彼女で、欲しくなる。


「もっとも、如月さんに睨まれて興奮する困った性癖は否定しないけど」

「やっぱキモい」

「だからそれ悪口にならないんだって」


 疲れと怒りの混じった溜め息に、俺は苦笑する。


 それからしばらく、ふたりの間に沈黙が横たわる。それは決して気まずいものではなく、少なくとも俺にとっては非常に心地のいいものだった。


「……あたしからも、三つ」


 不意に、彼女が口を開く。三つ、ということは、この沈黙の間にぐるぐると考え込んでいたのだろうか。


「どうぞ」

「まず、ブレザー汚してごめん」

「ああ」


 俺のブレザーの胸元は、まだ彼女の涙で湿っていた。しかも、顔を押しつけた際に、口の中に残っていた吐瀉で、ほんのわずかにだが、白く汚れているのだ。


「別にいいよ」

「よくない。クリーニング代出さないと……あ、でもその間、学校にブレザー着てこれないか。それはどうしよう」

「大丈夫だよ。まだぎりぎり合服期間だし」

「そうじゃなくて、寒いじゃん」


 気持ち悪い、と突き放した相手にすら、ここまで気を遣う。律儀な彼女らしいといえば、まさにその通りだ。


「それと、一応、助けてくれてありがとう」

「まあそれは、呼ばれたからには」

「だから呼んでない」

「はいはい」


 噛みつく彼女を宥めつつ、最後の件を待つ。


 如月みちるは「だから、その」と口の中でもごもごと呟くと、そろり、と隣の俺を見上げてきた。


 女子の上目遣いに弱い男は、多い。そして俺も例に漏れず、そういう馬鹿で単純な男のひとりだったらしい。不自然に目を逸らした俺に、彼女は突っ込まなかった。有難い。


「なに? 如月さん」

「……」


 またしばらく口ごもった末に、彼女はぽそりと呟いた。


「松木にされた時よりは、嫌じゃなかった」

「……」


 なにが、と如月みちるは言わなかった。俺も訊かなかった。

 唇の端が変に吊り上がっていくのがわかる。それを見て、彼女は非常に不可解そうな顔をしていた。


「……え、それってまたキスしていいってこと?」

「は? 冗談! マジ無理! マジキモい! ふざけんな!」

「ごめんごめん」

「あたしは松木よりはマシって言ったんであって、要するに最低の一個上ってことだからね! 自意識過剰とかほんとないから!」

「わかったわかった」


 ぎゃいぎゃいと喚く彼女を落ち着かせながら、俺は心の底からおかしくて笑っていた。


 気持ち悪がられるのが好きな俺と、男が嫌いな如月みちる。


 彼女の裏の顔に恋する俺と、俺のほうが松木よりかはマシだという彼女。


 お互いに歪んだ感情を持つふたりの恋は、すでに始まってしまったらしい。



 これは、決して綺麗な恋物語にはならない。

 面倒くさい気持ちと気持ちが、不協和音を奏でながら交差する。



 そんなふたりの、笑っちゃうくらい、歪みきった恋の歌。


〈fin〉

これでおしまいです。読んでくださって、ありがとうございました!

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