六幕二場 「気合の入った魔導卿はマズい」
ヴェラツェレン王国は『常闇の国』として知られている。
建国は数百年前と言われている。
それ以前は各地に点在して生息していた吸血鬼達が団結してできた、というのが定説だ。
それ以降この国は対外戦争を一度も経験したことがなく、その意味では最も平和的な国家だった。
理由は単純で、国民すべてが吸血鬼であり、国力が他の国々と比べ物にならなかったからだ。
そしてもう一つの理由が、国全体を覆う闇だった。
闇の中では不死者である吸血鬼は無類の強さを誇る。
そんなところへわざわざ戦を仕掛けに行く酔狂な国はなかったのだ。
ヴェラツェレン王国はまた、外部に対しても極力不干渉を貫いてきた。
人間の世界とは必要最低限な交流のみに抑え、無用の衝突を回避するように努めてきたのだ。
その徹底した姿勢もあり、今ではヴェラツェレン王国は人間社会にとって“そこにあるだけの国”という存在程度の認識であった。
そんなヴェラツェレンの常闇の結界が破壊された。
どう考えても吸血鬼が自分達の命綱である結界を破壊するとは思えない。
外部の者による行為である可能性が濃厚だった。
「ルズ様、すぐにお戻りください。じきに夜が明けます。そうなれば国民たちが―――」
「わかった、すぐに戻る」
いうなりルズは立ち上がった。
「旦那様、わたしは戻ります。結界の維持に入らなければなりません。ゼスト、転送門の準備を頼む!」
声を掛けられた魔導卿がするするっと中庭へ入っていき、そこで術式を展開し始めた。
「ルズ、大丈夫なのか? また城に籠ることになるぞ?」
「……お気遣いありがとうございます。近日中にゼストが結界を直してくれるでしょうから、それまでの辛抱です。では」
言うが早いかルズは魔導卿が展開を完了した転送門に飛び込んでいった。
「………行っちゃいましたね、師匠」
リホ達もあまりの展開の速さにただただ見送るだけだった。
残ったのはルズに対しての強烈な印象。
まるで嵐のような存在だった。
「フーカ、研究室へ。新たな結界術式の構築を行います」
術式を完了した魔導卿がフーカに声を掛けた。
その目には青白い炎が煌めいている。
「私の術式を破壊するとは、どこの誰か知りませんが随分と挑発的なことをしてくれたものです。フフフ、いいでしょう。今度は誰にも破壊できない、より高度な結界術式をヴェラツェレンに展開させてみせますよ。そうですとも、今度はルズの力を借りずとも常闇を維持できる術式を展開させるのです。そのためにはまず………」
ブツブツと独り言を言いながら研究室に向かう魔導卿の後ろを、フーカが慌ててついていった。
「うわぁ、魔導卿、気合入ってますねぇ……」
「常闇の結界は卿の中でも自信作だったからな。壊されたと聞いちゃぁ、ああなるだろうよ」
「なんかとんでもない威力の術式作っちゃいそうで怖いですけど」
リホは魔導卿が自分の棒に施した各種の強化術式のことを思い返して、ヴェラツェレンの結界もトンデモ強化されなければいいな、と秘かに願った。
それから数日後。
「リ、リホさ~ん、できましたぁ~」
ふらふらの状態のフーカが食堂へ入ってきた。
あれから魔導卿の研究室に籠りきりでずっと新しい常闇結界の術式を開発していたのだ。
久しぶりにみたフーカはかなりやつれていて、目の下にはヤバいくらいのクマがあった。
「フーカちゃん大丈夫? とりあえずこれ飲んで」
リホは自分の手元にあったジュースを飲ませた。
グラスを両手で抱え込むようにして一気に飲み干したフーカは、そこでやっと一息ついて椅子に腰かけた。
すぐさま真ん丸一つ目達がフーカの元へ食事を運んできた。
運ばれてきたのはパンをスープに浸した、パンがゆとでも言えばよいのだろうか。
今の疲労困憊のフーカにちょうど良い食べ物だった。
「あ、ありがとうぅぅぅ」
早速運ばれてきた食事に手を付けるフーカ。
がっつく元気もないのか、ゆっくりと一つ一つ味わうように食べている。
「新しい結界術式、できたの?」
そんなフーカの姿を見守りながら、リホは訊いてみた。
「はい、出来ました。今度のは結界を維持するのにルズさんの力を使わなくてもいいくらい強力な結界です。そのおかげで私もかなりの魔力を消費しました」
「えっ、フーカちゃんも? そんなにヤバい術式なの?」
「リホさん、ヤバいは言いすぎですよ~。でも以前に展開していた術式の3倍以上の魔力は必要でした。そのためには補助として私の魔力提供が必要だったので」
「そんなに……。魔導卿もとんでもない術式を創り上げたのね」
「先生、終始目が笑ってて逆に怖かったです。作業中もいきなり動きが止まったままじっと空を見つめ始めて、私が呼んでも反応しないんです。それでしばらくしたらこんどはカクカク笑い出して。あとで訊いたら『考え事をしていました』っていうんです。そんなのがしょっちゅうで」
「……それは中々怖かったねぇ」
リホも宙を見つめたまま動かなくなったあと、いきなり笑いだす魔導卿を想像してみた。
そんなの夜中にやられたら恐怖でしかない。
「おや、ここにいましたか」
「うわぁっ!」
音もなく魔導卿が食堂へ入ってきたのを見て、魔導卿のことを想像していたリホは大声をあげてしまった。
「いつも騒々しいですね、貴方は」
「……ある意味魔導卿のせいですよ」
「何のことを言っているのか分かりませんが。それよりフーカ、早速ヴェラツェレンへ向かいますよ。一刻も早くこの新しい結界を展開させて、破壊犯に目にものを見せてやらなければ」
「ちょ、ちょっと魔導卿? フーカちゃんは休ませてあげなきゃ駄目ですよ! こんな状態なんですから」
フーカは食事の途中で目が半開きになってきて、時折うつらうつらと船をこぎ出すようになっていた。
お腹が満たされて睡魔が襲ってきたのだろう。
「何ですか、あれくらいの徹夜で。仕方ありませんねぇ、リホ殿にはフーカの面倒を見てもらって、出かけるのはフーカが回復してからにしましょう」
「それが当たり前なんです!」
その後フーカはシルフのシフィの手助けも借りて何とか自室に戻り、そのまま泥のように丸一日眠り続けたのだった。
「それではマスター、行ってまいります。戻りは10日前後になるかもしれません」
中庭に揃った魔導卿とフーカの師弟コンビが頭を下げる。
丸一日ぐっすり寝たとはいえ、まだ本調子ではないフーカは眠そうに時折あくびをしている。
「ルズにもよろしくな。結界の維持が要らなくなったらまた顔を出せって言っといてくれ」
「かしこまりました」
(エラさんにもここへ遊びに来いって言ってたけど、なんか違う。ルズさんだけちょっと扱いが違うんだよなぁ~)
そうこうしているうちに、魔導卿が転送術式を展開し始める。
因みにフーカはまだ一人では転送術式は使えないそうだ。
なんでも“ざひょうのこてい”に難があるらしく、魔導卿から使用を厳に慎むように言われているとのことだった。
「―――むっ?」
術式を展開中の魔導卿の様子が変わった。
「どうした、なにかあったのか?」
「―――転送が阻害されました」
「阻害?」
「ええ。前回同様ヴェラツェレン内に座標を定めようとしたところ、かなり大きな座標軸の歪みがありました。何者かがヴェラツェレンへの出入りを妨害しているのではと」
「それはちょっと厄介だな」
そういう師匠の目がきらりと光ったのを、リホは見逃さなかった。




