表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
1/18

第一話 婚約破棄する王子に転生しました

目が開いた。

天井が高い。

白い漆喰に金の唐草模様が刻まれた、豪奢な天井だった。

生まれてこのかた、こんな場所で眠ったことはない。

そのはずなのに、脳の奥が「これを知っている」と静かに告げてくる。

気持ちの悪い感覚だ。

身体を起こしながら、まず視線を自分の手に落とした。

細くも太くもない、均整の取れた手だった。

朝の光を受けて、薄い金色の産毛が透けている。

前世の俺の手ではない。

(どこだ、ここ)

混乱を後回しにしながら、ベッドから足を下ろした。

床に触れた足が、想像より長い。

立ち上がると天井が低く感じる。

廊下でよく頭をぶつけていた前世の身長より、明らかに高い。

窓際に移動して、外を見た。

整然と並ぶ幾何学模様の庭園が広がっている。

白く磨かれた石畳の小道が、中央の噴水へ向かって伸びていた。

遠くにそびえる白亜の城壁。

どこからどう見ても、城の中だ。

(城)

その一語が、脳の奥で何かを弾いた。

ドミノが倒れるように、記憶が一枚一枚と戻ってくる。

かつての自分。

窓のない薄暗いオフィス。

深夜まで続く残業の気配。

帰りの電車の中、揺られながら眺めていたスマートフォンの画面。

毎晩欠かさず読んでいたなろう小説の数々。

(ああ。そういうことか)

驚きは、ほとんどなかった。

驚く気力が先に蒸発した、という方が正確かもしれない。

代わりに、胃のあたりがじんわりと重くなってくる。

部屋の壁際に大きな姿見が置いてある。

引き寄せられるように近づいて、映った顔を見つめた。

金髪。

碧眼。

通った鼻筋に、薄い唇。

どこからどう見ても、王族の顔だった。

前世の俺は地方都市の、どこにでもいる普通のサラリーマンだった。

こんなに整った顔では、決してなかった。

(転生してる。俺、転生してる)

なろう小説を何百冊と読んできた経験が、この状況を「あり得ること」として静かに受け入れさせていた。

驚く前に胃が痛い。

職場でとんでもないミスを発見した時の、あの重さだ。

部屋を見渡す。

調度品はどれも一流だった。

細部まで職人の手が入った書棚。

窓辺には繊細なレースのカーテン。

足元の絨毯には複雑な紋章が織り込まれている。

疑いようもなく、王族の部屋だ。

文机の上に羊皮紙が置いてあった。

近づいて手に取ると、今日の予定表だった。

午前:剣術稽古。

午後:王立学院での授業。

夜:婚約者との茶会。

婚約者。

その文字を見た瞬間、脳の中で何かが大きく軋んだ。

記憶の照合が、猛スピードで走り出す。

この世界の名前。

この国の名前。

この王宮の構造。

そして、この身体の持ち主の名前。

レオン・アルヴァレス。

アルヴァレス王国第一王子。

(知ってる。この名前を、俺は知ってる)

間違いない。

前世で読んでいたなろう小説、『婚約破棄されたのに幸せになりました』に登場する、典型的な悪役王子だ。

物語の序盤で婚約者を衆目の前に呼びつけ、根も葉もない罪状を並べ立て、一方的に婚約を破棄する。

その場で逆に自分の醜聞が暴かれ、貴族社会から追放される。

最終的には王位も名誉も財産もすべて失い、読者から「ざまぁ」の声が飛び交う典型的なクズ王子のテンプレート。

そいつが、転生先の人物だ。

(俺がそいつに転生してる)

椅子に、力が抜けるように座り込んだ。

膝が、情けなくも微妙に震えていた。

文机の端に、封蝋のついた手紙が置いてある。

差出人を確認すると、こう書いてあった。

エレノア・ヴォルテール侯爵令嬢より。

 

「終わった」

 

声が出た。

意外に低くて、よく通る声だった。

前世の自分とは比べものにならないくらい威厳がある。

発した内容の情けなさと声の立派な響きが、盛大に噛み合っていない。

エレノア・ヴォルテール。

その名前を見た瞬間、胃痛が確定した。

前世で読んでいた小説の主人公だ。

ただ小説は名前がエレアだった気もするがこれだけ似ているのだ。

自分の直感もそうだと告げる。

婚約を一方的に破棄されながらも、己の力で幸せを掴み取る清廉で聡明な令嬢。

そして、転生先のレオンが卒業パーティーで衆人の前にさらし者にする相手が、まさにこのエレアだった。

婚約破棄の回避方法は、考えるまでもない。

そんなこと、しなければいい。

シンプルな話だ。

ただし、シンプルであることと実行可能であることは、まったく別の問題だった。

なろう小説の知識として、俺は知っている。

転生した世界に「シナリオの強制力」が働く場合がある。

どれだけ抵抗しても、物語が決まった結末へと引き戻そうとする力が存在することがある。

それが今の自分に働いているかどうかは、この時点ではわからない。

だが完全には無視できない話だ。

ひとまず現状を整理する。

俺は今、アルヴァレス王国の第一王子として存在している。

王立学院に在学中。

エレノア・ヴォルテール侯爵令嬢と婚約関係にある。

そして原作では、卒業パーティーで婚約破棄イベントが発生する。

残り時間を確認しなければならない。

 

「レオン殿下、朝の支度をお持ちしました」

 

扉の向こうから声が届いた。

落ち着いた、よく訓練された声だ。

 

「入れ」

 

口から出た言葉が、思いのほか王子らしかった。

威厳があって、迷いがない。

この肉体には、王族としての口調がすでに染みついているらしい。

扉が開き、歳若い従者が静かに入ってきた。

深々と礼をして、鮮やかな手つきで衣装を広げ始める。

 

「今年の卒業パーティーまで、あとどれくらいだ」

 

着替えの最中に、さりげなく聞いてみた。

 

「約一年でございます、殿下。最終学年は来年度からになりますので、卒業式典はその年の年末かと存じます」

 

一年。

再び確認しても、一年だった。

胃の重さが、わずかに引いた。

長いようで短い。

しかし一年あれば、何もできないわけではない。

着替えを終えて、鏡の前に立つ。

白と金の正装が、いかにも王子然としていた。

(やることは一つだ)

エレノアとの関係を丁寧に積み上げる。

婚約破棄に繋がり得る行動はすべて排除する。

必要であれば周囲の人間も動かして、あの最悪のイベントを何としても回避する。

今夜の茶会がまず最初の試練だ。

エレノアとの初対面で、印象を悪くしてはならない。

原作の記憶では、彼女は非常に聡明で礼儀正しい令嬢だった。

王宮の仕事も的確にこなし、使用人からも慕われている存在だ。

婚約を破棄された後も誰かを恨むことなく、ただ自分の道を歩んでいく。

そういうキャラクターとして描かれていた。

(こんな人を捨てようとする原作のレオンは、一体どんな神経をしていたんだ)

読んでいた当時も首をかしげたものだ。

どう考えても婚約破棄の理由が見当たらない相手だった。

窓の外では、庭師が丁寧に薔薇の枝を剪定している。

澄んだ朝の空気に、草木の青さとかすかな花の香りが混じっていた。

鏡の中の金髪の王子が、複雑な顔で俺を見返している。

見た目だけは完璧な悪役王子。

中身は小説のあらすじを丸ごと頭に入れた、ただの転生者サラリーマン。

これから先の一年で、この死亡フラグを必ず叩き折ってみせる。

前世でなろう小説を読み続けてきた知識が、まさかこんな形で役に立つとは思っていなかった。

それでも使えるものは何でも使う。

その決意だけは、本物だった。

さあ。

問題山積みの、この世界での最初の一日が始まろうとしていた。











評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ