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20/25

20話

 七月になると、冷房の風が紙の角で引っかかるようになった。

 ホワイトボードの端に時間のメモが一枚増えている。手書きで「90/10」。その下に小さく「理由は“合格ライン”の突破」とある。桐原の字だ。


「“理由は長く”だけど、長すぎないにします」

「必要なだけ長く。余白は明日に」

「はい」


 午前の九十は簿記論の総合問題。

 桐原は猫、炎、時間メモの順で付箋を並べ、タイマーのボタンを音を立てずに押した。

 最初の一問で目が迷う。僕はノートの隅に、短い矢印を一本だけ描く。“ここからここまでが動く”。

 彼女は十秒だけ目を閉じて、残りの八十九分で立て直した。


「“落ち込む十秒速”って、お守りみたいですね」

「単位があると、量が測れます」

「量が測れると、座り直せる」


 休憩の十分で、湯呑みの湯気がすぐ季節に負ける。

 斉藤が顔を出して「七月は紙が汗かく」と笑った。

「紙は汗をかかないです」

「情緒ゼロ!」

 笑いが散って、紙の海へ戻る。


 昼、机ランチ。

 桐原は卵焼きの黄色を、わざとゆっくり噛んでいた。

「“新しいことを増やさない”を貼ってから、噛む回数が増えました」

「続くための仕組みは地味なほど強いです」

「噛む回数が多い方が脳に良さそうだしね。」


 午後は財表。定義は短く。理由は“合格ライン”の長さで。

 彼女は口に出さない声で、順番だけ確かめていく。

 “その他の包括利益”“費用収益対応の原則”。

 僕は隣で、理由の語尾を「〜である」に揃えるための警備員になる。


 夕方、麻生さんからチャット。

 『本日版、二重保存。在宅』

 短く、正確。倒れないための距離は今日も保たれている。


 帰り際、桐原がホワイトボードに付箋を一枚。

 『“理由の過不足”は明日に回す』

 角を二度押して、猫を重ねる。


 エレベーターの非常灯は、今日も止まらないための色をしていた。

「七月の風って、“まだ途中”の匂いがしますね」

「いい定義です。まだ成長中ということですね。」

「理由は明日、長くします」


 理由を“合格ライン”にそろえたら、座り直しが少し速くなった。

 “まだ途中”の匂いが、今日の私を軽くする。

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