21話
金曜の夜、所内は珍しく全員が早めに切り上げた。
資料のアップロードを終えて、会議室の窓から見える夜に風があった。
「五分だけ、屋上いきませんか」
桐原の声が、風の軽さに似ている。
屋上は暗くなりすぎない暗さで、風鈴の回廊を思い出させた。
街の音が遠く、空の音が近い。
ふたりで手すりに肘を置く。背もたれを持ち上げるみたいに。
「七月の音は、置き場所がむずかしい」
「置き場所」
「“がんばれ”を置く場所です。近すぎると苦しい。遠すぎると届かない」
「では、手すりの上に」
「……ちょうどいい」
沈黙は、夜の風で形がわかる。
僕はポケットから付箋を出して、手すりの影に『今日のがんばれ=手すりの上』と書いた。
桐原がそれを受け取って、猫をひとつ描く。
付箋は風で少し揺れ、落ちない。
「麻生さん、明日も在宅ですよね」
「はい。二重保存は夜になります」
「いないと寂しいけど、いない夜が、歩ける夜のときもある」
「分かります」
帰り際、彼女が言う。
「“ありがとうの交換帳”、明日は“何も書かない”を置いてもいいですか」
「置かないのも当日仕訳」
「はい。濃度を保ちます」
エレベーターの緑が、ゆっくりと目に馴染む。
“言えること”と“言わないこと”の境目を、今日は風が測ってくれた。
*
《桐原カット》
手すりの上に“がんばれ”を置いたら、胸が少し楽になった。
置かない“ありがとう”も、当日仕訳のうち。




