エピローグ
『時間終了です。対戦者はそれぞれ料理を提出してください』
父と母がそれぞれキッチンから出てくる。エプロン姿こそが正装といわんばかりに似合っていて、どちらも真剣な表情だった。
コンピューターが判定を下すまで時間がかかる。
トーナメントになると基準が違うので、より複雑な作業が必要なのだろう。
画面のなかの両親はお互いに視線を合わせないままアナウンスを待っている。戦闘ポイントでのリードを守り切れたかどうかで、勝敗は決するのだ。
『判定が終了しました』
緊張が走る。
待機室にいるわたしたちも、同じように息をのんで見守る。
『料理ポイント十五対二十八――トータル四十五対四十八で、早坂夢人さんの勝利となります。本日の対戦は以上です、お疲れさまでした』
母が負けたという事実は、思いのほかあっさりと受け入れることができた。
心のどこかでそうなることを願っていたからかもしれない。父の事情を考えれば、現状のままでいたほうが幸せなのだ。
長年わたしたちは家族三人で暮らしてきた。
それがもはや、正常な状態なのだから。
「遥香――」母が待機所の室内に姿を現す。父も一緒だった。「ごめんね、負けちゃった」
「ううん、仕方のないことだもん。負けた相手がお父さんでよかった」
わたしは青色の使い古したエプロンをつけている父に向きなおる。
「残念だけどわたしたちの負け。お父さんは帰らなくていいよ。お父さんがいなくたって、わたしたちは上手くやっていけると思う」
「そうか」
父は微笑を浮かべた。
戦いを終えたばかりの母の様子をうかがう。こちらもかすかに笑っているようだった。
「会えて嬉しかったよお父さん。これからも頑張ってね」
「約束の内容は、母さんが勝ったら家に戻る、ということだったな」
父が唐突に確認したので、首を縦に振る。
「つまり、負けても帰ってはいけないわけじゃない」
なにがしたいのだろう。
呆然とするわたしの顔を覗き込んで、父はニッと笑った。
「実に久しぶりに、我が家に帰ろうと思ってる。そうしてはいけない理由がどこにある?」
わけがわからない。
母に助けを求めようと、視線を向ける。
「結局、寂しがり屋なのよ」
「そろそろ潮時だと思っただけだ。大きくなった子どもたちの顔も見たいし、なにより遥香の彼氏とやらを監視しなければならん」
眉毛は動いていない。
嘘をついてるわけではなさそうだった。
「家事は分担だ。お前たちも手がかからなくなってきてるし、共働きでもなんとかなるだろう。キッチン・ド・ランカーは引退する。母さんに任せることにした」
「でも……なんで? お父さんの夢は主夫だったんでしょ、どうしてそれを諦めちゃうの?」
「家族といちばん触れあえるのが主夫だと思っていたんだ」と父は弁明した。「それで母さんと口喧嘩になって、家を飛び出した。仲直りするにはしたが、それで帰るのも癪だったんで、ひとり修行してたんだよ」
「意地を張ってたってこと?」
「男のプライドだ」
偉そうに胸を張る。
「久々に家族と再会して、懐かしくなっちゃったんでしょ」
母が茶々を入れると、父は眉毛を小刻みに震わせながら否定する。
男のプライドなんて、脆いくせに強がりなのだ。
わたしはふと優花を見やった。
その姿と自分の影を重ねてみるのは、すこし無理があるだろうか。
まあ、どちらにせよ、父にいわなければいけないことがある。
「お帰り、お父さん」
やれるところまでやってみたいということで臨んだ父の引退試合は、トーナメント三回戦敗退という結果に終わった。
十数年間失踪していた父の帰還に和也は驚いていたが、同じ血が流れているだけあって、そう時間をおかずに打ち解けることができたみたいだった。ときおりテニスコートを借りては、ふたりで遊んでいるようだ。
母はパートの仕事をはじめた。
キッチン・ド・ランカーとの両立は大変そうだったが、父が家事を分担しているので、思ったより苦労していないらしい。母が以前よりすこしだけ綺麗になった気がするのはわたしだけだろうか。
高校生になって和也に彼女ができてからは、わたしのことを好きだというようなこともなくなった。思春期の甘酸っぱい記憶のなかに、わたしへの偽物の恋心は消えたのだろう。
もう四十を過ぎている父の再就職は難航したが、新しい国家プロジェクトが立ちあげられるときに雇用され、いまは公務員として働いている。
キッチン・ド・ランカーのバーチャル技術に関する仕事ではないかと睨んでいるのだが、社外秘だといって父は教えてくれようとしない。
おかげでそれなりにゆとりのある生活になったので、文句はいうまい。
そしてわたしは、大学生となり、華のキャンパスライフを送っている。優一との交際も順調で、最近は家族公認の付き合いになっている。
父は頑固親父を演じているようだったが、優一とともにあいさつに行く日も遠くないかもしれない。
そのときの顔が、楽しみだ。




