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作戦

 ジャングルと一口にいっても、時間帯や場所によってまるで景色が違ってくるということをわたしは初めて知った。天井から降り注ぐ太陽の光が木の葉にさえぎられて、日傘を差したようにうす暗いところもあれば、視界が開けて明るい空を望める場所もある。

 木々の多くはほかの植物によって濃密に絡み合っており、まるで手をつないでいるみたいだ。

 太い幹のような根が地中に食い込んでいるため、歩くのにも注意を払わなければならない。うかうかしていると足を取られてつまずく。

 熱帯雨林特有の、肌にまとわりつくような湿気は、モニターの映像から感じられた。

「フルーツまでなっているみたいね」

 母がオレンジ色の果実を発見し、するすると木を登っていく。

 猿みたいな身軽さだ。バーチャル空間では多少身体能力が強化されているから、とっかかりの多い大木の表面を上がっていくのはそう苦労しないのだろう。

「美味しそうじゃない。パパイヤみたいなものかしら」

 なんの躊躇もなく口に含む。

「ちょっと、危なくないの?」

「毒入りのフルーツなんて作っても仕方ないでしょ。果実っていうのは食べられるのが目的なんだから」

「それはそうだけど……お腹壊しても知らないからね」

 エネルギー補給のついでに、生い茂った枝のあいだから顔を出そうとするが、密生する植物の塊に遮られてうまくいかない。

 諦めて地上に降りふたたび丘を目指して歩く。

 その途中で情報収集するのも忘れない。父はカメラのことなど気にせず、母と同じ目的地に向かっているようだった。

 あちこちでモニターに映り込む姿を見ていると余裕すら感じられる。正面衝突の対決ならば制する自信があるのだろう。それともなにか策があるのか。

「まったく、暑くて嫌になるわね。日本の八月みたい。小川かどこかで泳ぎたい気分よ」

「お母さんの裸なんて誰も期待してないから、絶対にやめてね」

「ちょっとは親を敬いなさい」

「年甲斐もないこというからだよ」

「ちょっとした思いつきでしょ。そのくらい許してよ」

 唇を尖らせる母。

 さっきから若ぶっているのはなぜだろう。

 十分も歩くと地面に傾斜ができて、上り坂になった。マップ中央の丘に近づいている証拠だ。

 ジャングルにはつきものの無数にはびこる昆虫や触れるだけでかぶれるような植物は排除されているようだった。ときおり眼にも鮮やかな色をした鳥が飛び去っていくほかには、動物の気配はない。

「トラなんかもいるって話よね」

「猛獣にいきなり襲われるってこともあるのかな」

 父と接触する前にトラの餌食になってゲームオーバーじゃ、悲しすぎる。

「意図的にけしかけるのは別として、突然牙をむいてくるってことはないでしょうね。彼らの目的はあくまで戦闘データの収集だろうから」

「……動物を上手く利用することはできないかな」

「面白いアイデアね。聞かせてちょうだい」

「たとえば鳥を斥候に使うとか。昔の人はヨタカとかを飛ばして相手の動きを探ったって読んだことがあるし。お父さんの動きをカメラなしで追うことができるかも」

 動物を利用するという思いつきは、なかなか良いかもしれない。

 わたしは浮かんできた作戦を次々と口に出す。自分でも驚くほど頭が働いている。

「トラをけしかければ戦闘で有利になれるし、猿だってブービートラップになる。ジャングルのステージってことは、そういう動物を活用しろっていうメッセージだったんじゃないの」

「もも太郎のきび団子でもあれば楽なんだけど」

 そうだ。動物は人間とそう簡単に意思疎通を図ることはできない。

 何年も付き合っている飼い犬とでさえ信頼関係を築けない人々がいるのだから、人間慣れしていないジャングルの住人と会話するのは難しそうだ。

「――残念だけどほかの作戦を考えるしかなさそうね」

 わたしは正直がっかりしたが、こんなことで挫けてはいられない。次なる手段を講じればいいだけの話だ。

 子どもの頃に友達から勧められて読破した三国志のあらすじを思い出す。こう見えてもわたしは文学少女なのだ。諸葛亮孔明のごとく鬼謀で、父をぐう音も出ないほど追いこんでやる。

 丘の傾斜を登りきると、いくらか視界が広がった。

 ジャングルのステージ全体を見渡すことができるため、戦略を編むにはちょうどいい場所だった。

 このまま直進すれば巨大な湖と、そこから流れ出す川に行き当たることになる。父のいる北側には地溝が走っており、二か所に橋がかけられている。

 どちらかを渡らないのであれば、南側に移動するためには大きく迂回路を取らなければならない。

「片方の橋を落として、お父さんを待ち伏せるっていうのはどう? 一本道の奇襲ならうまくいくんじゃない」

「私があの人だったら、もう片方の橋も落として持久戦に持ち込むわね。わざわざ不利な状況で戦う必要はないもの」

「お父さんってそこまで考えられるのかな」

 自分の親ながらあまり賢そうには見えなかった。

「仮にも上位ランカーなんだから。それにあの優花とかいう人工知能も侮れないわよ。あれを購入するのにかかるポイントは、純くんの三倍もするんだから」

 どうやら人工知能の性能は値段で決まるらしい。

「とにかく長期戦になれば情報処理能力において勝るあちら側が有利になる。あんたコンピューターと計算勝負して、負けない自信ある?」

「ない」

 電卓を使っているような相手に勝てると盲信するほどわたしは馬鹿じゃない。

 つまり短期決戦に持ち込んだほうが得策ということだ。短時間で勝負が決すれば、それだけ戦闘ポイントも高くなる。

 料理対決での苦戦が想定される以上、こちらで差をつけておくのが最低条件だ。

「うまくおびき寄せて、優勢な状態で一気に片をつけるしかないわね。一撃必殺、これ以外に勝機はないわ」

 弱気な母の発言に、わたしは父の巨大な影を感じた。

 上位ランカーとの戦いは、ネズミがネコを倒すのに似ている。可能性は薄いが一瞬の隙を狙っていくしかない。

 わたしは母の眼前に広がっている湖に注目することにした。

 特殊な地形ならば、上手く立ちまわれる選択肢が増える。対策も練りづらいことだろう。

「お母さん、湖のほうに下りていってくれる?」

「了解」

 父の影がちらりとカメラに入ったのを横目で確認しつつ、地図で位置を重ね合わせてみる。まだ南北を隔てる橋は渡っていないようだ。時間があるうちに地の利を得るべきだと判断し、わたしは母を急かせる。

 赤褐色に染まった湖は、血を薄めたような不気味さだった。

 湖岸に出てみるとその異様さがはっきりと認識できる。水は青いものだという常識を覆すだけでなく、危険な信号を放っている。

「――ピラニアがいるみたいね」

 母が小声で報告する。

 たしかに凶暴そうな顔つきの小魚が、岸のふちを泳いでいるのが見える。ここに飛び込めば、肉の塊が綺麗に骨となって帰ってくることだろう。

「お父さんを放り込めないかな」

「トラップを作れば、あるいは押し出せるかもしれないわね」

「丸太みたいなものをつり下げて、鐘をつくみたいに弾きだせばいいんじゃない。お父さんなら軽そうだし、成功するって」

「問題はどうやって罠を起動させるかよね。ただ待ち伏せしているだけなら、うまい位置に足を運んでくれる可能性は低いし、おびき寄せるにもリスクが伴う。ま、オペレーターに任せるわ」

 丸投げという名の一任らしい。

 わたしはトラップを作るのに役立ちそうな調理道具を調べることにした。包丁で大木を切り倒すのには、すこし無理がある。――だが、時間ばかりが経過して、いっこうに候補となりそうな武器は見つけられなかった。

 仕方がない。

 中華用の肉切り包丁を選択する。母が刃物類を好まないのでショートカットキーには入っていないのだ。

「それで切れるものを材料にしてどうにかしよう。お母さん、とりあえず手当たりしだい切り落としてみて」

「もっと具体的な指示にしてちょうだい。目的もなく働くのって疲れるのよ。あんただって適当にその辺で買い物してきてって頼まれたら困るでしょ」

「お釣りをもらっていいなら喜んで行くけど」

「私にはそんなもの……」

 ぶつぶつ愚痴りながら作業をはじめるあたり、きっと素直な性格なのだろう。わたしを信頼してくれている証拠だ。

 人の胴をもすっぱりと切断できそうな凶器を振り回すと、足元に木の葉や枝が雨のように落ちてくる。とにかく適当に暴れまわっているだけでも多種多様な資源が手に入った。さすがはジャングルだ。

 焼きイモをするには多すぎる量の落ち葉に、大小様々な木の破片、それからいつ落ちてきたのか果実も混じっている。

 キャンプを作るには事欠かないだろう。二週間は暮らせそうだ。

「……これは潰れちゃってるわね。もったいない」

 主婦の本能からか、毒でもはいってそうなくらい鮮やかなフルーツを手にとり嘆いている。

 無残にも中身がはみ出しているそれを見て、わたしの聡明な頭脳はぴくりと反応した。

「お母さん、ひとつだけ約束してくれる?」

「なによ」

「勝つためだったらどんなことでもする。わたしの指示に逆らわないって」

 長い沈黙があった。

 わたしへの信頼と恐怖とで気持ちが揺らいでいるのだろう。失礼極まりないがそのくらいの迷いは許してあげるべきかもしれなかった。

「失敗したらお小遣いは廃止だからね」

 その心配は必要ない。

 いまのわたしは、泉のように湧きでる自信に満ちあふれている。万が一しくじったとしても和也から恐喝すればいいだけなのだから。

 父は南北をわける橋の付近に痕跡を残したきり消息不明になっている。よもや谷の底へ落下して気絶しているなんてことはないだろうが、動きを警戒しつつ母に指示を出すのは楽な作業ではなかった。

 小一時間もかかっただろうか。

 わたしの注意力が散漫になっていたのかもしれないが、父は目立ったアクションを起こさないまま隠れているようだった。

 渾身のトラップが完成すると母は満足そうに息を吐き出した。

 バーチャル空間ではいくら動いても疲労を感じることはない。戦闘に支障のある要素はなるべく排除されているのだ。

 あとは父をおびき寄せるだけでいい。

「お母さんが『助けてー!』って叫んだら駆けつけて来てくれるはずだよね」

「それで来なかったら離婚を考えるわね」

 やめておこうと思った。

 それじゃ本末転倒だ。いくら勝負事だとはいえ自分の妻が助けを求めていたら颯爽と現れるのではないかと期待したが、よく考えてみると確率は低そうだった。

 女子高生が転んでいたらどんな苦境でも助けに走ってきそうではあるが。

「しかたない。女子高生が裸で倒れてるって大声で宣伝しよう。そうすれば絶対に誘われる」

「――それもそれで離婚の原因になりそうなものだけど」

「お母さんは文句いわないで。駄目もとで試してみようよ」

 息をすうと吸い込み、あらん限りの大声で「女子高生が倒れているぞー!」と叫ぶ。反応はない。追い打ちをかけることにした。「それも服が破けているみたいだぞー!」

 すぐに反応があった。

 橋の向こうから、獲物を発見したチーターのような勢いで眼を血ばらせながら走ってくる。わたしは母に、

「来たよ」

 とだけ告げた。余計な情報は伝えない方が賢明だ。

 ため息をつきつつ物影に隠れる。ジャングルは身をひそめるのに事欠かない。茂みや巨木が多いので伏せていればまず見つかる心配はなさそうだった。

 十分ほどすると、父が正確に位置を特定しながら疾走してきた。たった一度声を上げただけなのに寸分たがわず一直線に目的地を目指せるのは流石というところだろう。

「……嫌になるわね」

「お母さん、わたしの命令には従ってもらうからね」

「はいはい」

 諦めたように力なくうなずく母の表情は、うまく読み取れない。

 さきほど暴れまわった際に手に入れた大量のフルーツを塗料にして、顔中に塗りたくったのである。化粧品並みの大奮発だ。カメラ越しに指示を与えながら、化け物のようなメイクを形作っていくのは楽しかった。

 それに加えて洋服にも細工を施してある。

 背中から突き出た二本の枝は、母を実物以上に大きく見せる効果があるはずだ。エリマキトカゲと同じ原理である。さらに即席でこしらえた槍も携えている。これで母が飛び出していけば、原住民と間違えて父は逃げだすだろうという算段だった。

 それだけでない。

 わたしたちには切り札がある。

「……来たよ」

 父はイヌのように鼻をひくつかせながら、いるはずのない女子高生を探しているようだった。筋金入りの変態だ。わたしはこの男が父だという事実を受け入れたくなかった。

 敷き詰められた緑の道をかきわけて進む。

 手にはフライパンとハサミ。攻守に優れたスタイルだ。服の破けた女子高生を探している最中でも、ランカーとしての本能は忘れないものらしい。

 その父が、不自然に道の中央へおかれたマンゴーの存在に気付いたようだった。

 コロンブスの卵のように直立するマンゴー。本来なら倒れているべきはずの形状なのに、地面に枝で突き刺してあるため静止しているのだ。

 父からは地面との接続部が見えないようになっているため、仕掛けを見破ることはできない。たとえできたとしても、作戦の目的はそこではない。

「……」

 不審げに自立するマンゴーを注視している父は、思い立ったようにフライパンを高々と投擲した。重たげな音を立てて落下した調理器具は、マンゴーの周りにめぐらされていた落とし穴を崩壊させる。

 父がほっと胸をなでおろしたその瞬間、わたしは合図した。

「お母さん、いまだよ」

「泣ぐ子はいねがあぁー」

 鬼のような形相で突如草むらから飛び出してきたそれを、父は果たして母だと認識できたのだろうか。あわてて逃げだしていく。母は容赦なく父の背中を追いかける。甲高い奇声を発しながら。槍を投げつけると、父の前方十メートルにそれていった。

 わたしはすぐさま武器をロードする。

 母の愛用のお玉だ。中華鍋は重たいので追撃には向かない。

「泣ぐ子はいねがあぁー」

 父はどんどんスピードを上げて逃走している。

 幼いころ獅子舞に頭をかまれて以来、トラウマになっているのだそうだ。幼児の恐怖体験は理性をかく乱するのに十分な効果がある。

「そのまま右手側に追い込んで」

 母が左に進路をとり、父の背後から追い立てる。牧羊犬とヒツジみたいに追いかけっこを続けるふたりは、もうすぐ所定の場所へ到達するはずだった。

 父の行く手にはふたつめの落とし穴が用意されている。その下には鋭くとがった杭が仕込まれているので、瞬殺の予定だった。

 しかし父は天才的な鋭さで罠の存在を感知すると、走り幅とびの要領で跳躍して穴を回避した。

「――お父さんって意外とすごいんだ」

 わたしは驚くとともにほくそ笑んでいた。

 孔明が軍師をやめられないわけがわかった。想定通りに物事が運ぶと、いいようのない快感が生まれるのだ。

 落とし穴の罠が看破されるのは想定内だ。いくらふざけた父親だとはいえ上位ランカーを侮るつもりはない。むしろその能力に期待しての作戦だった。

「お母さん、いまだよ!」

 空中に浮いていた父の片足が地面についた瞬間――木の葉で埋もれた足場がスリップした。

 スケートリンクに初めてきたばかりの小学生のように盛大に体勢をくずす。よく熟れたバナナを皮ごと敷き詰めておいたのだ。

 それだけではない。

 母はふたつ目の落とし穴を避けてジャンプすると、父の右側――ピラニアの泳ぐ湖の方向に着地した。そこにも第三の穴が掘ってある。だがこれは、人を埋めるためのものではない。

 父と母とをつなぐようにカモフラージュされている丸太が、てこの原理で跳ね上がる。シーソーの端に立っている父の軽い身体は完ぺきな弧を描いて湖面へと落ちていった。

「やった!」

 水しぶきが上がる。

 これならピラニアに喰われて相当なダメージを受けることだろう。運が良ければこのまま勝てるかもしれない。

「……ちょっと穴を深く掘り過ぎたかしら」

 ヤマンバのようなメイクをほどこした母が落とし穴から這い出てくる。服が土まみれになっているのは不可抗力だ。

「はやくして。お父さんが出てくる前に」

 ピラニアに喰いつかれた状態で水中を長距離移動するのは困難だ。手近な岸を目指して、泳いでくることだろう。

 弱った父を待ち受けるのは簡単だ。

 そこでゲームセット、のはずだった。

「どうしてピンピンしてるのかしらね、遥香」

 湖のなかを遊泳している中年の男は、のんきそうに手を振っている。ピラニアなんて存在しない市営のプールで遊んでいるかのような余裕だ。

 わたしは腹が立つ前に、疑問でいっぱいになった。

「なんで……」

「池にピラニアがいるのを見て嫌な予感がしていたんだ」

 泳ぎながら近づいてくる父。

 水中にいる相手との戦闘ならば、陸地にいるこちら側が有利だ。しかし慣れた動きで湖を散歩する姿からは、隙が感じられない。

「コイのたくさんいる池に落ちたら大変なことになるだろう。あいつらは口をパクパクさせて、餌が欲しいというような目つきで睨んでいる。ピラニアなんて怪獣みたいに凶暴そうな顔つきをしてるんだから、かみつかれたら無事じゃいられないだろ。そこで考えついたんだ。先に餌をやっておけばいいんじゃないかってな」

 ゆとりのある平泳ぎで湖を渡ってくる。

 両手には、武器。

「優花の報告によればお前たちは移動していないようだった。つまり罠かなにかを仕掛けているんだろう。わざわざ湖の近いこの場所を選んだってことは、ピラニアを有効活用するつもりのはずだ。そこまでくれば対策は簡単だ」

 父の表情がはっきりとわかる距離になる。

 母の四肢に緊張が走った。

「そこらへんで動物を捕まえて湖に放り投げる。やつらが腹いっぱいになるまで何度も繰り返すのは骨が折れたが、お前たちを逆におびき出すことに成功したんだから、結果的にはよかったんだろうな。それと、ひとつだけ教えといてやろう」

 湖面から上半身が浮き出て、それから全身になった。

「ピラニアは自分より大きな生物を襲うことはすくない。獲物が元気ならなおさらだ。優花がそういっていた」

 お玉を右手にした母が素早い動きで殴りかかる。クリーンヒットすれば一撃必殺の威力を秘める伝家の宝刀を鼻先で見切ると、父はフライパンを投げつけた。

 中華鍋で弾くは近すぎる。

 避けるために不自然な姿勢をとったところに、ハサミによる第二撃が襲いかかってくる。

 お玉の表面でコースをずらす。滑るように切っ先を変えたハサミは母の右脚をかすめていった。視線を上げる次の瞬間には、すでに両手いっぱいの飛び道具を抱え込んでいる。

「マナイタ、シャモジ!」

 母の怒号に、一拍おいて武器が転送される。

 動きを目で追うのが精いっぱいだ。守備範囲の広いまな板でしのぎながら、小回りの利くしゃもじで細かい武器をたたき落としていく。

 だが、母の反応は悪くないのにも関わらず徐々に体力をけずられていく。

 優花という人工知能の判断能力が異様に早いのは、対面してようやくわかった。その時点での最善な武器を、タイムラグなしに送り込んでくる。

 父が一言も発しないのに対して、母の指示がなければ動けないわたしとでは実力差があり過ぎた。

 ピーラーが皮をはぎ、包丁が頸動脈のすぐ横を通過していく。

 結婚して子どもをもうけた相手にここまで非情になれるものかと震撼するほど、父の手に迷いはない。降り止まない雨のように注ぐ調理武器を、的確に急所へ投げつける。

 反撃の暇など微塵もない。

 当たれば即リタイアの攻撃を受けるので精一杯なのだ。

 武器を送ることしかできない自分の非力さがもどかしい。その唯一の仕事すら、わたしは満足にできていない。

 距離をとるためにうしろへ足を出そうとすれば、絶妙なバランスでしのいでいる父の連撃が襲いかかってくる。背中を見せるなんて論外だ。

 一方的にけずられていく母の体力。アリ地獄から逃れられない微小で無力な昆虫を思わずにはいられなかった。

 さきほどまでの気楽そうな表情は影を潜め、能面のように無表情で両手を動かしている父を打ち破る方法は、なにかあるのだろうか。

「考えろ――」

 完全な作戦負けだった。

 わたしのプランは父と優花に見破られていた。

 対戦相手が姿を現さなかった時間をラッキーと楽観していたわたしと、罠を設置しているのだと警戒していた彼らの違いが、いま死闘を繰り広げている夫婦にそのまま表れてしまっている。

「――考えろ」

 初めて目の当たりにした圧倒的な技術の差。

 ふたりの人工知能が話していた。

「予選とははっきり申し上げてレベルが違います。動き、予測、戦術、戦略、どれをとっても完全にいままで経験したことのない世界です」

『そのときにどれだけ落ち着いて対処できるか、そいつが明暗をわける。圧倒的な格の違いに驚いて相手のペースに呑まれたらお終いだ。立て直す暇なくもってかれるぞ』

 いまのわたしは、プロの試合をテレビの向こうで観戦している客にすぎなかった。

 彼らのレベルに入りこむことができない。

 わたしが介入していい世界ではなかったのだ。足手まといにしかならないのなら、せめて空気のように存在を無視してほしい。

 悲しそうな眼を、見せないでほしい。

「――遥香」

 母が唸るような声でいった。

「あんた、自分の親が誰だかわかってる?」

「そんなの、お母さんに決まって――」

 間断なく牙をむく大量の武器にさらされながら、母は怒鳴った。

「私とお父さんの子どもなのよ! あんたにも、この目の前にいるさえない男の血が通ってるの。それで才能がどうのこうのと嘆いてるわけじゃないでしょうね」

「お父さんの……」

「悔しいけど私より強い。それは認める。だけど、だからこそあんたは強くなれる。その素質がある」

 母の言葉が刺さっていく。

 わたしは、自然と拳を握りしめていた。

「いきなり天才になるなんて、あんたには出来ない、期待していない。優花とかいう人工知能にも勝てない。一瞬だけでいいの。ほんの一秒だけ、私と遥香の呼吸が合えば、勝負をひっくりかえせる」

 父にもその声は聞こえていたはずだ。

 それでもなお、母は続けた。

「奇跡は起こらない。それでいい。自分を信じなさい。あんたは努力した。その過程はきっと裏切らない。私の考えてることを、感じ取りなさい。あんたならできる――だって」

 私の子どもなんだから。

 心臓の鼓動が速くなっていく。そういえばE4が無茶な注文をしていた。モニターの向こうに精神を飛ばせ、と。

 カメラの倍率を上げ、母の目線に立って父と相対する。トランプを際限なく出現させるマジシャンのように、父の指の間には武器がにぎられていて、両手を一閃するたび高速の調理器具が手足の先を裂いた。

 距離は五メートル。

 そのわずかな飛行時間で、無数の軌跡を予測し、まな板を盾にして防ぐ。すでに何十本もの包丁やアイスピックが刺さっている板は、表面が見えないほどだった。

 それでもなおイレギュラーな動きをする一部の弾丸を、しゃもじで反らす。

 最軽量の道具に、威力はない。かろうじで身体に当たらないようにするのが精一杯だ。耳元を凶器の風が駆け抜ける。

 わたしはそうして初めて、足がすくむ感覚を経験した。

 バーチャル空間に痛覚はないので、いくら傷つけられても平気なのは理解しているつもりだった。それでもなお一瞬の判断を誤れば敗北に直結する緊張感は、わたしを縛りつけて離さない。

「……」

 誰もが無言だった。

 わたしも両親も、口を開く余裕はない。

 短く息を吸う。呼吸するのを忘れてしまいそうになる。

 ほんのわずかな時間が何十倍にも引き伸ばされ、わたしの心臓はより早く拍動する。父の放ったハサミの先端が見える。

 眉間に吸い込まれていくそれを、寸前でしゃもじにぶつける。

 すでに幾回にも渡る連撃で薄くなっていた表面を刃先が貫通し、ほんのわずかに顔へ突き刺さった。

「シャモジ、リロード」

 用済みになったしゃもじを手首のステップだけで投げ捨てると、わたしは新たな武器を手に入れる。母と一体になっていく感覚。

「サイバシ、マナイタ」

 盾を変更する合間に、飛び道具をはさむ。

 一方的に送りつけられるだけだった武器の嵐に、一筋だけ逆流する。

「それでいい」と母の唇が動いた。「それでいい」

 微力な反撃は、しかし、父の手元をすこしだけ狂わせた。

 攻撃がそれることによって作られた隙を、見逃さない。

「ナベブタ、サイバシ」

 ブーメランのように飛ばした蓋と、直線的な動きで進む菜箸は、ほとんど同時に父のもとへ届いた。

「チュウカナベ」

 ふたつの弾丸は父の両手を防御に使わせた。

 母が間合いを詰める。接近され、苦し紛れに投げつけたアイスピックは、金属製の鍋にたやすく反射された。

「チュウカナベ、アゲイン」

 両手に抱えた鍋の片方を、ブラインドに利用して、母は跳躍した。

 ――ダメだ。

 父が一発逆転を狙っているのだと、本能的にわかった。

「ツケモノイシ」

 わき腹をえぐるはずだった父の包丁は不格好な石によって遮られる。刃が当たる瞬間、火花の散るのが見えた。

 ブラインドは、相手にとっても反撃の余地を与えることになる。

「オタマ」

 空いた右手に武器を転送する。

 母のもっとも好むお玉は、無防備になっている父の頬を痛打した。

 手に伝わる衝撃とともに、父が吹っ飛ばされる。ピラニアの待つ湖へとふたたび落ちると、アナウンスが流れた。

『早坂喜美子様の勝利です。戦闘ポイント三十対二十』

 全身から力が抜け落ちていくのが、わかった。

 モニタールームの椅子にぐったりと倒れこむ。無意識に呼吸を止めていたせいで頭がふらつく。モニターの向こうで、母が親指を立てていた。

「やった……」

 わたしは、片腕を高々と突き上げた。

 だが、本当の戦いはこれからだ。

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