快楽殺人者の手ほどき
車椅子に乗ってしまうと千尋に逃げ場はなかった。千尋の現実的な意見など聞く耳を持ってもらえず、ターニャに半ば無理やりアリシアの泊まる部屋に連行されていた。
「言いたいことは分かったわ」
アリシアの話した夢の詳細を聞き終えると、千尋はため息を吐いた。作りのよいベッドに腰掛けて、その両手で紅茶の温かみを感じているアリシアとは対照的に、ターニャが自慢げに仁王立ちをしているからだ。
「なんで、あなたが自慢げなわけ?ターニャ」
「当たり前だ!主人の誉れは、従者たる私の誉れだ!」
当事者以上に胸をはる従者に呆れているのは千尋だけではない。チュクチもアリシアも苦笑して、ターニャを見ている。その視線に気づくこともなく、ターニャは興奮した様子で話し続ける。
「この街の危機を救うのがアリシア様の神託の試練というのなら、アリシア様の従者たる我々の出番だ」
「ハーリスがアリシアの為の試練とか言ってたのなら、手伝ったらダメなんじゃないの?」
千尋の揚げ足とりに、ターニャはその顔を引きつらせる。千尋の本心は面倒くさいのひと言なのだろうが、全うな事を言う異常者の意見は、ターニャを黙らせるには十分だった。
「ハーリス様は、そのような事は言っていなかったような……」
アリシアは顎に手を当てて、夢の中のなかの出来事を思い出していた。思わず呟いたアリシアのその一言は、ターニャにとっては百万の味方を得たかのように感じられ、再び千尋を指さした。
「と、いう事だ!千尋。おまえも手伝え!」
「いやよ、面倒くさい。大体、その魔族の血を受け継いだ獣人ってのが分からないのに、私が付き合う必要ある?車椅子を押すチュクチに悪いと思わないの?」
急に自分の名前が出てきたチュクチは、思わず苦笑する。
「それは……そうですけど。僕も同じ獣人として気になりますし……」
「……仕方ないわね。チュクチまでターニャの味方をするとは思わなかったわ」
そっぽを向く千尋の横顔を見て、アリシアとチュクチは微笑んでいる。ターニャだけが千尋に勝ったと笑っていた。それが気に入らなかったのか、千尋は暫しの沈黙の後、何かを思いついたのかニヤリと笑う。
「その代わり、アリシアとターニャでその獣人を探して来なさい?やり方を教えるわ」
「なっ……!それは、手伝うと言えるのか?」
ターニャの不満げな反応に千尋は満足そうに微笑み、車椅子にどっしりと背中を預けると、ちょうど丹田のあたりで指を組む。
「なるわよ。いい?憎しみを抱えているものは、何らかの破壊衝動を抱えているの」
千尋の言葉を食い入るように聞いているアリシアは、先ほどまでゆったりと座っていた姿勢を改め、背筋を伸ばして頷きながら千尋を見据えている。その忠実な生徒の反応に気が良くなったのか、千尋は少し口角を上げると言葉を続ける。
「その破壊衝動は多くの場合、弱者に向くわ。一つは物、一つは弱者、最後に自分」
「自分に向けるやつなんているわけないだろ?」
トラウマを抱え、自己肯定感が低かったターニャが半信半疑と言う表情を千尋に向ける。アリシアに尽くすという事を生きる理由にしていなければ、自分もそうなっていたかもしれないというのに。そんなターニャの言葉に千尋は呆れたように肩をすくめる。
「何をはけ口にするかは顔や動きを見なさい。キョロキョロと他者の視線を気にするものは、物を壊す機会をうかがっているかもしれない。大きく目を見開いて、他者に向けて薄ら笑いを浮かべているなら、小動物や子供、弱いものを探しているのかもしれない」
「そんな……」
優しいアリシアには想像がつかないのだろう。口を手で覆い隠し、驚きに目を大きく見開いた。
「最後は自分を対象にしている場合は髪や指をみなさい。指先が荒れて傷ついていたり、髪がボサボサで色つやが悪かったりするわ」
「そうなんですか?」
チュクチも千尋の話が気になったのか、快楽殺人者の授業に参加していた。千尋は新しく増えた生徒、チュクチの手を取ると説明を再開する。
「ええ、そうよ。爪を噛んだり、指先を爪で傷つけたり、髪の毛を抜いたりするから、その刺激で頭皮が痛んで白髪が増えたりしているの……」
そう言うと千尋は、自分の手を見つめる。かつて家庭内暴力に曝され、快楽殺人者と成り果てるまでの自分を思い出しているかのように。
「なるほど……。それなら分からんでは、ないな。しかし、街の住人からその一人を探すのは……」
ターニャは無意識に部屋を歩き回り、千尋の授業の内容から早速どうするか考えている。文句を言いながら、千尋に巻き込まれていくターニャの悲しき性に、チュクチは失笑する。
「ん?なんだ。チュクチ」
「いえ、なんでもないです」
ターニャは、不思議そうな顔でチュクチを見る。やんわりと誤魔化したチュクチの尻尾が、微妙に揺れており、その反応の曖昧さにターニャは首を傾げる。
「とりあえず、事案がないかを聞き込みしてきなさい。何か壊されていたとか、つけ回されたとか」
「なるほど……。アリシア様、準備がよろければ参りましょう」
アリシアの為とはいえ、千尋の掌の上にいる事に何も疑問を抱かないターニャが、座っているアリシアに手を差し伸べる。アリシアもターニャが抱える矛盾に苦笑しながら、その手を取って立ち上がる。
「では、千尋様。行ってまいります」
アリシアは千尋にしっかりと礼をするとターニャと共に部屋をあとにする。残されたチュクチには、一つ気になることがあった。
「どうして千尋さんは、一緒に行かなかったんですか?」
チュクチの質問に、千尋は微笑む。
「このホテルの寝室に小次郎の伝記があったよ」
その千尋の返事にチュクチは驚き、少し尻尾を太くした。その後、表情を柔らかくすると哀れなターニャに同情するように苦笑いをする。
「本が読みたかっただけですか?もしかして」
「ええ、そうよ?」
あっけらかんと真実を認める千尋に、呆れ果てたチュクチはため息を一つ吐く。
「仕方ないですね……千尋さんは。お茶をご用意しますね?」
「ええ、頼むわね?」




