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悲劇の主人公

 寄宿舎だけあって余り良い作りではない騎士団の館は、千尋が階段を踏みしめるとギシギシと音がなる。徐々に近づいてくるその音に、ノアは全神経を集中していた。


 ノアが隠れたのは、兵士たちの寝室だ。それは本当に寝るための部屋で、二段ベッドが部屋の両脇に置かれているだけだ。


 ベッドに掛けられたカーテンだけが、兵士たちのプライバシーを守っていたのだろうか、他には何も無く寂しい空間だった。


 ノアは素早く全てのカーテンを閉め、右側の二段ベッドの上に隠れた。息を殺して、鼻から音が出ないように心を落ち着かせる。それは茂みの中に肉食動物が隠れるようでもあり、千尋と言う怪物から逃げ隠れるようでもあった。


 狩る側であり、狩られる側でもある2人の関係性は歪だ。千尋は木製の窓が閉め切られて月明かりすら入ってこない暗闇の中、ノアがいつどこから飛び掛ってくるのか分からない廊下を、警戒しながら進んでいた。


 千尋が歩くたびに廊下が軋む。その音を立てながら千尋はノアに話しかける。


「ノアさま〜。どこですか〜」


 ノアがどこかに身を潜めているのは明白だった。千尋が動けば廊下が軋む、ノアが動けば同様に音が鳴るだろう。1部屋、1部屋覗き込み声を掛けて回る。


「ノアさま〜、ここですか〜?」


 千尋は声をかけては暫く部屋を覗き込む。ノアの隠れている部屋でも同様に声を掛けてた。そして部屋を覗き込む。が、通り過ぎる。


 暗闇にも目が慣れてきた千尋は、気がついていた。この部屋だけがベッドのカーテンが閉められてる事を。そして、あえて何も見なかったように部屋を通り過ぎる。


 カーテンは4つ。下段は手前にはしごがあり、不意を突くには不向きだ。部屋の奥まで誘い込まなければ奇襲は出来ない。


 そう考えた千尋は2分の1の確率で勝負する事になるが、外せばただでは済まない。獣に背中を見せれば襲われるのは必然だ。通り過ぎるふりをしながら千尋は考える。


 デボネアに付き従っていた頃のノアの思考。そして、今。顔無しの怪物となったノアの思考。


 花を世話する時は両手を使っていた。デボネアを刺殺した時も両手。ランドルフの首を落とし時も両手だ。非力だったが故か、無我夢中だったからか、ノアは常に両手を使っていた。


 怪物になった後。昨日の戦闘、今日の戦闘ではどうだったか。昨日の初撃は右手、今日は右の首筋を狙っていた。怪物になってからは右に傾倒している。獣として生きる中で両手を同時に扱う事が難しくなったのか、ノアの変化に気がついた千尋は、暗闇の中で微笑む。笑い声が出ないように息を殺して。


 そしてまた千尋は考えた。部屋の中の作りは単純だった。入ってすぐ、壁にぴったりと付く形で部屋の両側に二段ベッドがあり、ベッドの手前にはしごがある。二段ベッドの上には転落防止の柵があって、飛び掛るのには都合が悪そうだ。


 右手で攻撃するには左手のベッドでは壁が邪魔だ。そう考えた千尋は右のベッドに狙いを定め、再び部屋へと侵入していく。


 千尋はノアの居る部屋の入口から中を覗く。部屋の中に変化はない。千尋は一歩一歩ゆっくりと部屋へと入って行き、千尋はナイフに紫炎を纏わせる。確信を持って右側を警戒し左側を背にしていた千尋は、左側のカーテンに手をかけると一気に開け放った。


 その瞬間にノアはカーテンの閉まったベッドから飛び出し、背を向けている千尋を攻撃する。はずだった。が、千尋はノアの攻撃よりも先に、揺れたカーテン越しにナイフを突き刺した。


「やっぱり右だったわね……」


「ぐああぁぁーーーー」


 カーテンが炎に包まれ、ノアが叫び声を上げる。千尋が満足げに微笑みながらナイフを抜くと、二段ベッドからノアが転げ落ちる。焼け付く痛みと刺された痛みに右肩を押さえながら、もんどり打って廊下へとノアは逃げたした。


「隠れるなら、敢えて逆を選択しなさい。単純思考で隠れるから、こうなるのよ?」


 千尋を狩るつもりで身を潜めていたノアの目論見は外れてしまった。千尋は紫炎のナイフを見せつけるように部屋から出てくると、廊下は仄暗くもあり、明るくもある異常な空間になった。


 松明と違い、遠くまで照らすことが出来ない紫炎のナイフは、千尋の歪んだ笑顔を照らす程度の明かりでしかない。


「思い出した?あなたを変えた痛みよ……」


 ノアは傷ついてなお、殺意は衰えなかった。紫炎を睨み、その向こうの千尋を睨む。紫炎を避けるためにノアは痛みに耐えながら、壁に向かって飛び、その反動で攻撃を加速させる。


「っ!」


 千尋が予想していなかった動きに驚き、ナイフで受けようとしたが間に合わなかった。ノアの左手の爪は千尋の腹部を抉り、傷を付けた。千尋の真っ白なエプロンドレスに血がにじむ。


「やるじゃない……」


 致命傷ではないが、痛みのせいか紫の炎は消えている。千尋の動きを鈍らせたノアは、下卑た笑い声を上げる。


「ヒハハ」


「まだよ?かすっただけ」


 千尋の腹部の血の染みは、少しまた少しと広がっていく。またノアが壁を蹴り千尋を噛み殺そうと、襲いかかる。痛みに動きが鈍る千尋は廊下を転がり何とか回避する。階段近くまで追い詰められた千尋は、腹部を押さえながら立ち上がる。


 ナイフを構える千尋を嘲るようにノアは、壁や階段の手すりを蹴り、反動で追い詰めていく。何とかナイフで攻撃を払う千尋は加速する攻撃についていくのがやっとだ。


「ほうひは、シシロ。わはへよ」


 ノアは優勢を確信し笑う。痛みに顔を歪める千尋を嘲り笑っている。


「もう勝ったつもり?こんなのは女の痛みに比べたら、まだましよ……」


 内臓をかき回されるような痛みよりは、皮膚と肉を切られた痛みはマシだろう。が、痛みには耐えられても、戦闘が出来るかとなると、そうではない。


「ほろひへてはる、シシロ!」


 ノアが両手の爪で千尋を狙う。先ほどから感じていた痛みなぞ、千尋の苦悶の表情で何処かに消えていった。両手の攻撃をかわすべく、千尋は階段を転げ落ちる。


「っ………………」


 転げ落ちた千尋はノアを見上げる。次の攻撃が


「ほれへ終わりは!」


 階段の上で手すりの上に立つノアは叫んだ。大きく口を開いたノアは言葉を話した。唇を失い、顔の皮膚が張り付いて可動域を失っていたノアの口は、叫んだ拍子に皮膚がちぎれて僅かばかりだが、言葉を取り戻していた。


「ダメ!」


 階下で千尋が叫んだ。ノアが立つ足場は、散々彼が踏みつけ蹴りつけた手すりの上だ。千尋が叫んだ瞬間に、手すりの支えが折れ、ノアの足場は崩れる。


「あ!」


 ノアが叫ぶ。ノアが落ちる階下には鎧が剣を掲げている。空中でノアは千尋に手を伸ばした、助けを請うためか、最後の攻撃か。誰かの手を握るように手を伸ばしてノアは落下する。


 ガシャンと金属がぶつかる音が広間に響いた。

 

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