ふるきもの
「体を張る? は。その程度で、この圧倒的な戦力差を覆せるとでも?」
佇立する異形たちの女王。その顔は余裕に満ちて、自身の敗北を微塵も予想しない。
「――残念ながら、その認識はどこまでも正しい。だから」
――胸に手を添える。それはちょうど、従者の少女が真の自分を引き出す姿のように。
「ここに、僕は『命』を上乗せしよう」
血潮と共に全身を巡る生命の焔。
心臓と共に鼓動し、あるべき熱量を膨れ上がらせるその数式を、この瞬間破却する。
そして新たに想起するは、あの夜与えられたこの世ならざる情報。
「異界よりの式を以て、世界を再び定義する――」
「何をするつもりか知らぬが……もう遅い!」
蛹依が天を指差す。彼女の分身にして忠実な下僕たちが一斉に飛び立ち――
「――君臨せよ、古の王」
――しかしその翼は、自由を知る前に握り潰された。
「な――」
夜鬼の女王は絶句する他なかった。
――それは何時からそこにいたのか、あるいは初めからそこにいたのか。
それは脈動する鋼。
それは呼吸する歯車。
それは命持つ蒸気機関。
それは、それは、それは――
「【強壮なる監視者】ウルタール……招かれざる同胞に鉄槌を」
それは鋼鉄の身体を持つ、勇壮なる鈍色の巨神。
鋼線の筋肉ははち切れんばかりに盛り上がり、蒸気の白煙が呼吸するたびに零れ、水銀を湛えた眼球は爛々と輝き小さな黒い羽虫を睥睨する。
生ける鋼鉄の巨人が伸ばした腕を振り払う。たったそれだけの挙動で、恐るべき神話生物は小石のように吹き飛ばされた。
無機質な鈍色に輝く巨躯が一歩踏み出す。たったそれだけの動作で、おぞましき【夜鬼】は葡萄のように砕け散った。
「なんだ……なんなのだ、これは……!」
一方的、あまりに一方的な蹂躙を前に、蛹依は頭を抱えて叫ぶ。
その姿に、自分が地上で為そうとした虐殺を見せつけられ絶望する様に、チャーリーは憐れみすら覚えた。
地下墓地の地面は怪物の体液で黒く染まり、気付けば夜鬼は両手で数えるほどに減っていた。
「馬鹿な……クルーシュチャ方程式はこの世ならざる数式。全容などこの世界の人間に理解出来る筈もなければ、世界を改変するなど建前に過ぎぬ!」
死霊魔術の専門家にして太古の魔術都市を旅した蛹依ですら、式の解読は一部、それも自分の領分に限定した範囲でしか出来なかった。
「そう考える限り、お前は方程式が使えても、カダスの使い手としては三流だね」
実在すれど思う儘に現実を改変するという風聞はやはり戯言――性急にもそう結論し、チャーリーをカダスの使い手と理解した上で理解しなかったことこそが、蛹依の敗因。
そして全ての【夜鬼】が、反撃ままならぬうちに跡形もなく磨り潰された。
「これで――」
「ま――」
最後に残った二人の影。その一方を、
「――おしまい」
巨神ウルタールは頑強な拳で、命乞いの間すら与えず無慈悲に叩き潰した。
◇◆◇
「――っぐぅ!」
ウルタールの一撃とほとんど同時、チャーリーは心臓を押さえて蹲った。
「さすがに、全力は無茶だったかな……」
ウルタールを顕現させるため、チャーリーは自分の命を繋ぎ止めるために使っていたカダスの制御を放棄した。
その結果は見ての通り。敵を撃退した代償に、大量のカダスの制御による疲弊以上に衰弱していた。しばらく自力で立てそうにもない。
本来在るべきでない鋼鉄の巨人も、今や霞のように存在が薄らいでいる。
「メアリー、迎えに来てくれないかなぁ」
そんなことを誰ともなく呟いていると。
――ただでは、死なぬ。貴様も共に、死ね。
「え――」
洞窟に響く怨みの声。
地面を覆う黒い体液。それが最後の抵抗とばかりに津波となってチャーリーを飲み込んだ。




