時計仕掛けの輪舞
「ふぅ……」
影を引き戻し、溜め息を吐くメアリー。
その周囲には無惨な木片と化した椅子やテーブル、そしてつい数秒前まで人間だったモノが転がっている。
「どこかで見たような気はしてましたが、【夜鬼】の幼体でしたか」
メアリーが相手していた屍喰鬼たちだが、突然もがいたかと思えばその身体を突き破り、漆黒の身体をした人型の怪物たちが中から這い出て来た。
「触れたら死ぬ、というのも今なら納得です。夢界へ誘う魔のくすぐり……犠牲者は死んだのではなく、帰って来られなかったのでしょう」
そう呟くメアリーに、【夜鬼】どもはにじり寄る。
本来であれば、【夜鬼】ら神話生物と、メアリー――【這い寄る混沌】ら外なる神との間にはどうしようもない隔絶した差が存在する。それこそ対峙するだけで神話生物が平伏するほどに。
「まぁ、今の私にそれほどの圧はありませんが」
この機械が混ざる実体で顕現するにあたって、【這い寄る混沌】としての神性は極限まで希釈されている。
もし、今のメアリー・ブラッドクインが他の【這い寄る混沌】の化身と遭遇したとして、ほとんどの場合おそらくは勝負にもならないだろう。
「ですが、今の私は『この私』をそれなりに気に入っているので」
料理をするのも楽しいし、掃除や洗濯も清々しい。買い物で人と触れ合うのも好きだ。
しかし、その全ての根底にあるのが、主と仰ぐチャールズ・バベッジの存在。彼に尽くすことが、話すことが、喜んで貰うのが――堪らなく幸せだ。
その感情が彼の発明品としての想いか、それとも神格【這い寄る混沌】としての自意識か。今はどうでもいい。
「メアリーが彼をお慕いする。それだけが何よりの真実です。ゆえに――」
その彼に仇為す者を、排除することこそ至上の使命。
そう決意すると同時に、胸に輝くブローチに手を添えて――
◇◆◇
「起動、開始――」
――がちり、と。
赤き少女の内で、歯車の噛み合わせが変わった。
脈動する心臓部、内燃機関が白く煙る蒸気を吐き出す。
深く、深く、海の底が如き静謐に眠る歯車が、発条が、円筒が、歓喜するように永遠を思わせる微睡みから浮上する。
突き上げ、受け止め、押し込み、引き出し――無機質な鋼の構造物が有機的に絡み合い出力を余すことなく全身へ伝播させていく。
姿は変わらず。けれどもその中身は今、完全なる異界へと作り変わる。
「――異界“式”機構・歪曲多面機関起動」
統括局の宣言を以て、最後にして最奥の回路が組み上がった。
かちかち、かちかち。歪な多面体を中心に据え、小さく軋むそれこそが少女を少女足らしめる機構。
この世ならざる波動を汲み取り、現実を侵食する忌むべき装置。
『ヴォオオオオオオオオオオオオオ!』
喚く敵――排除すべきものをそう称するなら――を一瞥し、少女は笑う。それは野辺の花が如く。それは初夜を迎えた生娘が如く。それは民草を踏み締める女王が如く。
――嗚呼、小さきものどもよ。汝らが最強を謳うのならば――
「――肆號【機神飛翔】」
――星さえ砕く暴虐の嵐に打ち震えよ!
◇◆◇
メアリーに飛び掛かった【夜鬼】の群れ、その第一陣が、弾けた。
『!?』
何が起こったのか、身体のあちこちに穴の開き、あるいは抉れた仲間を目のない顔で見やる。
そして、改めて獲物を見た怪物は――
「さぁ、蹂躙の時間です」
赤いメイドの背後に聳える、影色の機械に全身で驚愕を露わにした。
幾つもの立方体を積み上げたそれから伸びる無数の筒――何のことはない。それらはみな砲身だ。
大小長短様々な銃口、今や時代錯誤な代物から本来この時代に有り得ない遥か未来のものまで、その全てが明確な殺意を四方八方手当たり次第に向けていた。
「お相手はこちらで用意しました」
さらにその箱から、【夜鬼】とほぼ同じ数の少女たちが整然と歩み出た。
こちらも影色という点を除けば、背格好はメアリーと変わらない。
だがその両手は鋭利な刃物に置き換わり、頭は出鱈目に時間を刻む時計盤だった。
時計人間――機械と融合したメアリーに最も近しい化身。
「準備は万端――踊って下さりますか?」
笑顔で手と共に差し伸べられた、その言葉を合図に――暴虐が始まった。
◇◆◇
銃声を伴奏にした神話生物と外なる神の舞踏会は、ものの数分で閉会となった。
「……少し、やり過ぎましたでしょうか」
もはやメアリー以外にその場に立つ者はなく、【夜鬼】の群れは欠片さえ残らず無慈悲に消し飛んだ。
酒場の壁面も砕け散り、かろうじて建物として最後の一線で踏み留まっている有り様だ。
「……っ、少し調子に乗りすぎましたね」
目眩を覚えて膝を付くメアリー。
メアリー有する機構の中で、肆號は最も破壊に特化し、そして最も燃費が悪い。
それをフル稼働した結果、かつてないほどの疲労感に少し休もうと――
「――マスター!?」
――した瞬間。
主が危機に陥った。唐突にそう察した。
理屈などない。それでもこの脳裏を過った不安が事実だと確信する。
「動き……なさい、私の身体っ!」
もう一度、自分の中で歯車を組み換える。
力ない動力を必死に駆動させ、なんとか形にした影の翼を羽撃かせ、もはや剥き出しになった地下へ向かう階段に飛び込んだ。




