墓の王
「ぐはっ!」
ゴーレムが爆散し、足場を失ったハーシェルが地に叩きつけられる。
幸い、爆発自体は見た目こそ派手であったが衝撃はそれほどでもなく、至近距離にいた彼も落下以外のダメージは見当たらない。
「ジョン! 大丈夫!?」
取り巻きの少女達が駆け寄る。だが、
「「動くな!」」
ハーシェル、そしてチャーリーがほとんど同時に制止する。
一方で、手出し無用と言われていたはずの赤い従者はいつの間にか主人の傍らに侍っていた。
三者三対の目が夜霧に包まれた墓地に向けられる。
――ズッ、ズズッ……
引き摺るような音を響かせて現れたのは、フード付きのローブを纏う小柄な人影だった。
顔は隠されているが、体重を預ける杖を握る枯れ枝のような手から、恐らくは老人。
『五月蝿いのぅ……こんな夜中に、人の庭でそうドンパチやられては敵わんわ』
煩わしげな嗄れた声。だがそれは冥府の底に繋がる洞窟から響く音が如く、その場にいる若者達の背筋を凍らせる何かがあった。
「あなたの庭……ですか。とは言っても、とても悪餓鬼に有難い説法をしに来た牧師さまには見えませんけど?」
慎重に出方を伺いながらチャーリー。その皮肉に、ローブはくっくっと肩を揺らす。
『応とも。儂は聖職者に在らず、神の従僕に在らず。その栄光を地に墜とし、神の隣に並ばんとする者なり』
その言葉に呼応するように、蒼白い燐光がぽつ、ぽつと波のように墓石の上に広がっていく。
それは視覚化した架空燃素。だが、魔術として化学エネルギーに変換させるためのモノではなく――
「「まさか、あなた(お前)は――」」
二人が言い切るよりも先に、
『オ、オォオオオオオオオウ――』
地の底――比喩ではなく、文字通りの意味で――から沸き上がる呻き声。
独唱、二重奏、三重奏……七重奏を越えた辺りで数えるのをやめた。
『さぁ――再誕せよ、我が同胞達!』
ローブが杖を掲げると、真似をするかのように――
――大地から、手が生えた。
「き――きゃあああああああ!!」
そのおぞましい光景に三人の少女が叫ぶ。
「やっぱり、墓場の王……!」
墓より生まれ出る屍喰鬼の軍勢、その先頭に立つ怪異の銘をチャーリーは口にする。
そもそも屍喰鬼とは、死して魂を永遠に喪った肉体に、架空燃素が宿って魂の代替となった『動く死体』である。
あくまで代替でしかないために生前の記憶や自我はほとんど喪失し、秒ごとに崩壊する肉体と魂の苦痛を補填しようと人を襲い屍肉を喰らう獣のような怪物。
しかし、稀にではあるが高い知能と新たな個我を構築する個体が出現することがある。ソレは知恵を揮いより効率的に自らの存在を維持するために活動。そして成長の果てに同類へ干渉し、あるいは自らの意思で死体を作り替え手駒とする――墓場の王と呼ばれる上級怪異として君臨する。
『活きのいい肉がひぃ、ふぅ……六か。餌としては上々じゃの』
「ほざけ!」
言うが早いか、怯える取り巻きを庇いながらハーシェルは土の槍をフードに向けて放つ。
チャーリーに使ったものと違い、より太く全体を固め必殺性を高めたそれは、
『ふん』
『グギャッ』
王の命令によって踏み出した腐肉の盾によって防がれた。
土手っ腹を貫かれ、大きく吹き飛んだ死体はしかし何事もなかったかのように槍を生やしたまま立ち上がる。
しかし、それこそがハーシェルの狙い。
「油断したな、腐れ頭!」
パチンと指を弾く。すると槍の中に大量に仕込んだ石が、地雷の如く弾ける。
爆心地の死体はもとより、その周辺にいた仲間の死人ごと肉片となる威力だった。
『……ふむ。活動を脳や心臓に寄らない屍喰鬼に対して、確かに有効な攻撃だ』
屍喰鬼への対処法は主に二つ。『架空燃素を消耗させる』か『活動不能なまでに破壊する』、特に後者はとにかく大威力で攻撃すればいいというだけあって、咄嗟の遭遇における最適解とされる。
『だが、それはあくまで単独のものであれば、じゃな』
「な――」
杖で地面を叩く墓場の王。蒼焔が吹き上がり、砕けた肉片を繋ぎ合わせていく。
ものの数秒で、数が減った代わりに一回り大きくなった新たな屍喰鬼が誕生した。
「くっ……なら、もっと速く壊せばいいだけだろう!」
「ちょっ! 待った、ハーシェル!」
思考力に劣る屍喰鬼は動きが鈍い。そのセオリーに従って完全な破壊よりも足止め程度のダメージを主眼に切り替えるハーシェル。
しかし――
『グウッ!』
牽制のような礫の雨を、死体の群れは人間の限界を越える速度で走って回避。
その反動で腐った脚が崩れるが、それもまたすぐに再生する。
『どうじゃ? 不死の兵を相手にする気分は』
余裕綽々といった風のローブ。一方でハーシェルはどうすれば反撃に出られるか必死に考えるものの、天啓は降りて来ない。
「……ハーシェル」
「なんだよ、今半端者に構ってる暇は――」
ちらりと視線を横にやって、言葉を失う。
魔術もロクに使えない半端者と見下していた男が、
「――――――」
不安も絶望も全く無縁な目で、その案を口にしたのだから、それも当然だろう。
「……いいのか? ボク達だけ逃げるってことは」
「まぁその時はその時。だけど、キミが言ったんだろ?」
――高貴なる者の義務。
「……はっ。キミ、馬鹿だとは思ってたけど真性だ」
「馬鹿で結構。仲間内でも言われ慣れてる」
『相談は終わったか?』
杖を掲げる死人達の王。それを振り返り、
「あぁ。というわけで」
「三、二、一……っ!」
ハーシェルが全力で地面を殴る。
墓地全体の地面が揺れ、中心を縦に裂く巨大な虎鋏が形成された。
『愚かな』
大きさゆえに動きが鈍い。火事場の馬鹿力を常時発揮出来る死体達はひとっ跳びで射程を逃れる。
中心にいた死者達の盟主、杖に身体を預けていた王も軽々と跳躍し大地の牙から逃れる。
「今だ、走れ!」
しかし、まるで避けることをこそ狙っていたかのようにハーシェルは少女達を引き連れて、今や直下立つ壁となった大地に向かって走る。
『抜け穴……だと?』
見ればぴったりと噛み合ったように思っていた土虎の顎に、人一人なら余裕で通れる隙間が空いているではないか。
攻撃に見せかけたのは囮。最初から狙いは逃走経路の確保にあった。
『だが、忘れたようじゃな』
この墓地の土は、墓場の王の影響力が染み渡っている。先程のゴーレムのように、壁ごと爆破しようとして。
「せいっ!」
『!?』
反射的に杖を構える。振り抜かれた枝とぶつかり硬質な音が響く。
『貴様……!』
「惜しいな、あと少しだったのに」
くるくると枝を回すくすんだ金髪の青年。その後ろには家政婦姿の少女。
「……よし、あっちは逃げられたみたいだ」
チャーリーが見上げた先では、白い光を放つ小石が宙を待っていた。
「ハーシェルが通報すれば、ここにお前がいることが知れ渡る。討滅されたくなければさっさと去るんだな」
『………』
チャーリーの警告に対して、ローブはしばらく無言で立ち尽くしていたが、
『……く。くくっ、くははははっ』
やがて堪えきれないと言わんばかりに笑い始めた。
『あぁ。ここはもう拠点として使えんな。儂を屠るために有能な魔術師が送り込まれるだろう……だが、それはいつだ?』
「………」
今度はチャーリーが無言になる番だった。
確かに、墓場の王は上級怪異の中では、個体戦力は下位の部類だ。しかし、不滅の軍勢を引き連れるその恐ろしさは今見た通り。
確実に潰すともなれば、それこそ戦闘訓練を積んだ魔術師が十人単位で必要になる。
退路を絶つように、屍喰鬼が円を描いて主とその敵を囲む。
『貴様らを喰らってから悠々と立ち去る程度の余裕は残されているんじゃよ。さて、その枝一本でいつまで保つか、のぅ!』
一歩で彼我の距離を殺し、剣の如く杖を振るう。
見た目よりも遥かに頑丈な杖に想像を絶する膂力から放たれた一撃は――
『な、に……?』
「………」
――無言、無表情、無感動のメイドの細腕に、傷を付けることさえ出来ずに弾かれた。




