歪曲多面機関
「ふっ」
『ぐう、っ!』
スカートを翻し、鮮血を思わせる大輪の花を咲かせたメアリーの回し蹴りを墓場の王は寸でのところで後方に跳躍して回避。
「メアリー、大丈夫?」
「問題ありません。マスターも、大事ないようで」
スカートの土を払うメアリーを、フードの奥に隠れた視線が射抜く。
『貴様……人形、ではないな。儂と同じ化外の者か』
「生憎と」
口調は淡々と、しかし葡萄酒色の瞳を縦に裂く瞳孔が僅かに細まる。
「私はマスターの忠実な従者でありますれば、あなた方のような死に損ないと同列に扱われるのは甚だ遺憾ですね」
『そうかね。だがその死に損ないも、死んでない、死なないという意味では決して敗者とならない。それを脅威とは考えぬかね?』
「詭弁ですね。流石は死ぬべき時を見誤った愚かな廃棄物、生の尊厳を忘れるほど頭の中まで腐り果ててしまったこと、いっそ憐れに感じます」
皮肉の応酬を重ねる二人、いやさ人外のモノ達。
不意に、死者を統べる王は右手を掲げ、配下どもがじわりと包囲を狭めていく。
『何にせよ多勢に無勢。貴様らはここで果てるが必定。さぁ、せめて口だけでなく最後の足掻きで楽しませてくれ』
意思なく意味なく、操られ蠢く腐肉の軍勢。生理的な嫌悪感を覚えるそれらに、けれどもチャーリーはそれ以外の恐怖や絶望を覚えなかった。
何故なら、この常識を彼方に追いやるメイドが、未だに余裕を崩さないから。
「マスター」
振り返るメアリー。その美しくもどこか猛獣や爬虫類――すなわち捕食者――を連想させる瞳が主人を真摯に見る。
「私の『機関』を起動させます。どうか、許可を」
「――いいよ、思いきりやっちゃえ」
そして、許可を得た紅の従者は、胸に輝くブローチに手を添えて――
◇◆◇
「起動、開始――」
――がちり、と。
赤き少女の内で、歯車の噛み合わせが変わった。
脈動する心臓部、内燃機関が白く煙る蒸気を吐き出す。
深く、深く、海の底が如き静謐に眠る歯車が、発条が、円筒が、歓喜するように永遠を思わせる微睡みから浮上する。
突き上げ、受け止め、押し込み、引き出し――無機質な鋼の構造物が有機的に絡み合い出力を余すことなく全身へ伝播させていく。
姿は変わらず。けれどもその中身は今、完全なる異界へと作り変わる。
「――異界“式”機構・歪曲多面機関起動」
統括局の宣言を以て、最後にして最奥の回路が組み上がった。
かちかち、かちかち。歪な多面体を中心に据え、小さく軋むそれこそが少女を少女足らしめる機構。
この世ならざる波動を汲み取り、現実を侵食する忌むべき装置。
『喰らえ! 殺せ! 忠実なる我が兵よ、押し潰せ!』
喚く敵――排除すべきものをそう称するなら――を一瞥し、少女は笑う。それは野辺の花が如く。それは初夜を迎えた生娘が如く。それは民草を踏み締める女王が如く。
――嗚呼、小さきものどもよ。汝らが不滅を謳うのならば――
「――陸號【闇をさまよう者】」
――闇裂き星焼く炎に朽ち果てよ!
◇◆◇
『な、に――?』
ほんの数秒。その間に起きた出来事に、墓場の王は眼球が腐り落ち虚ろになった眼窩を剥く。
総勢五〇を数える屍の軍団。さながら終末に訪れる死者の復活、その前倒しというべき進軍が――
『ウォオオオオオオオ』
――今、再び地獄へと突き返されていた。
あの従者姿の小娘。場違いにも程があるそれが胸元のブローチに触れた数瞬の後。
夜闇よりもなお深い、光を反射しないどころか果てなく吸い込むかのような、少女の影がむくりと延び上がった。
それを理解するよりも先に、影の中に浮かぶ三つの目。文字通り煌々と輝くその灼眼から零れ落ちた炎が生ける死者どもを焼き払った。
『あ、あり得ん……なんだそれは……』
赤く、紅く、朱く――けれど昏いその火炎は、人体の限界を以て蠢く屍喰鬼をさえ上回る速さでその身体を舐め、灰も残さず焼き尽くす。そして蛇――あるいは、おぞましい触手――となって手近な死者を新たな獲物に定める。
地獄というのは誤りか。それは罪人の魂を焔で浄化する煉獄に似て。
『なんなのだ……貴様は――!?』
冥府へ墜ちることを拒絶した死者の王を名乗るモノは、だからこそ一層恐怖した。
人ではないと理解した。けれどこれは、怪異の範疇を逸脱している。特級――最上位に君臨する吸血鬼ですら、これほどの力を持つものか。
ゆえに――眼前の脅威に全ての意識を持っていかれ、気付くのが遅れた。
「はぁあああっ!」
死者を焼く業火。その只中で、火傷一つ負うことなく飛び出してきた青年。
その手に持つ枝が、深々とローブを貫き怪異の胸に突き刺さった。
だが、それがどうした。確かに気付かなかったのは己の落ち度。
しかし、だ。
『ふ、はっ。そんなものが何の意味を――』
「意味なら、ある!」
痛覚のない身体に押し込まれる感触。この程度ものの三秒もあれば再生して――
『―――!』
ぞふり、と。
喪われて久しいはずの内臓が凍りつく錯覚。
そして。
――ぴき、ぴきぴきぴき……!
枝の貫通した胸部を中心に、不滅のはずだった身体が罅割れていく。
『馬鹿な、こんな……っ!?』
再生せよと、ありったけの架空燃素を傷に注ぐ。
――再生せよ。再生せよ! 再生せよ――!
だが、どれだけ念じたところで亀裂の拡大は止まらない。まるで、そうあることが当たり前であるとすり替えられているようで――
『そ、そうか! その枝といい、貴様カダスの――』
「終わりだ」
何かに気付き、言い終わるより先に。
無情にも枝が引き抜かれた衝撃で、墓場の王は硝子細工のように粉となって砕けた。
残されたローブがボロ布のように風に舞う。
「……こちらも終わりました、マスター」
スカートの端を摘まみ、貞淑に頭を下げるメアリー。残酷、なれど可憐な笑顔は既に消え失せ、見慣れた無表情に戻っている。
闇を照らす炎も鎮み、気付けば墓地に立つのは主従二人だけとなっていた。




