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 人通りがなくなったのを見計らい自販機で買ったビールを飲み干した夏目は幾分落ち着きを取り戻したようだったが、それでも平静を取り戻すには至っていないようだった。

 猫を捜す、といっても二人に具体的な方策があるわけでもなく、ただしらみ潰しに町中を捜し回ることしか出来なかった。夏目が先頭に立ち、その二、三歩後を那須野が歩き、見落としがないよう目を配りながら二人は歩く。

 カフカという名、オス、黒猫、長い尻尾、臆病な性格、六歳。チラシに掲載されている情報を頼りに二人は猫を捜す。

 埃を被った鍋が店先に並ぶ金物屋、老人しかいない診療所、魔女のような店主の煙草屋、下校途中の子供が憩う駄菓子屋、雑草の生い茂った路地裏、閉店の張り紙がシャッターに貼られた定食屋、無造作に積まれた本の山が乱立する古本屋、殆ど干上がっている小川、そんな所を隈なく見て回るが、一向に条件に合う猫は見付けられない。当初は時折交わされていた会話も次第に減っていき、最後は互いに首を振るばかりになっていた。

 陽が大分傾いてきていた。夕日が世界を橙色に染色している。どれくらいの間こうして捜しているのだろうかと那須野は時間を計算しようとしてすぐに止めた。何だかそれがひどく不毛な行為のように感じられたからだ。相変わらず夏目は那須野の数歩前を行き、辺りに気を配りつつ歩いている。那須野の目に映るその後ろ姿は時間を追うにつれ疲労と焦りが増しているように見えた。ただ猫を捜しながら歩くだけとはいえ、夏が残っている最中に行うと相当な労力を支払わなくてはならなくなる。容赦なく降り注ぐ夏の日差しは二人の体力と気力を削ぐのには十分な威力を備えており、全身に汗が滲み一歩毎に身体が重たくなるのを感じる。陽が落ち幾分気温が下がってきたとはいえ、それはさほど変わらなかった。

「なあ夏目、少し休まないか?」

 背中に問う那須野に夏目は足を止めず躊躇いがちに「でも……」とだけ言う。

「気持ちは分かるけど、このままだと二人ともぶっ倒れちゃうぞ」

「……うん、分かった」

 夏目はそう首肯し、ようやく足を止めた。


 二人は夕陽が彩る橙色の中、石で造られた鳥居の下、神社へと続く石段の一番下に腰かけている。この石段は町から少し離れた坂の上にあり、喧騒は遠くにある。ひぐらしが鳴いている。

 夏目はやはり人目を忍んで自販機で購入したビール缶を持っているが、あまり喉を通らない様子だった。

「こっち飲むか?」那須野は自分が半分程飲んだポカリのペットボトルを差し出すが、うなだれたまま座る夏目はかぶりをふるばかりだった。

 しばらくの時間、二人はただ無言で過ごしていた。時折吹く頬を撫でる風が心地良かった。昼間と夕暮れの温度差。それが夏休みの頃と今の一番の違いかもしれないなと足を投げ出して座る那須野はぼんやり思う。

「なあ夏目、ちょっと聞いていいか?」

「……何?」

 夏目は顔を上げないまま応答する。

「なんでそこまであの猫にこだわるんだ? そりゃ猫を見付けたいって気持ちも、あの子供を助けてあげたいって気持ちも分かるけど、それにしても今の夏目はちょっと普通じゃないぞ」

 夏目は何も答えない。那須野はポカリを一口飲み、慎重に言葉を繰る。

「もし、夏目が良いんだったら、猫を見付けるのに魔法を使っても俺は――」

「駄目」

「……夏目?」

 夏目はゆっくりと顔を上げる。那須野の方は見ずに、沈み行く夕陽を眼鏡越しに見る。

「手伝ってくれてありがとう。本当に感謝してるよ。でも、これは魔法どうこうって問題じゃないんだ。これは私が自力で解決しなきゃいけないんだ」

 夏目はそこで一拍置き、弱々しい声で、誰に言うでもなく続ける。

「じゃないと、心残りになっちゃうから……」

「心残り? それってどういう――」

 那須野の言葉を遮ったのは、近付くエンジン音だった。反射的に音のする方に二人が目線をやると、二人の間に突き刺さりそうな物凄い勢いで白いスクーターが迫ってきていた。どちらからか、喉の奥から声にならない悲鳴が漏れる。

 ぶつかる――。

 二人が身を固くした瞬間、目の前でスクーターが音と土煙を立てて急停止した。あと数センチずれていたら二人ともこの世のものではなくなっていただろう。驚きのあまり声の出ない二人を無視するように運転手はゆっくりとした動作でスクーターから降り、ゴーグルと黒い半キャップ型のヘルメットを外した。背中にカバーに入れられたギターを背負う、真っ赤なロングヘアーの若い女性だった。耳元にはごついシルバーのピアスが付けられている。

「あららー、まだ明るい内からデートぉ? 非常に健康的に不健康で結構だねぇ」

 その気だるそうな喋り方は那須野に取ってとても聞き覚えのあるものだった。

「姉貴かよ! 死ぬかと思ったぞ!」

「お姉さん!? 似てないなぁ……」

 那須野に怒鳴られているのにも関わらず姉は何処か誇らしげな表情をしていた。

「まあまあ、結果生きてんだからいいじゃないの」

 姉は笑いながら手をひらひらさせる。

「それよりさあ、あんた彼女出来たんだったら真っ先に姉である私に紹介しなさいな。あ、こいつ不束もんだけどよろしくねー」

「違―よ、彼女じゃねーよ」

 横でこくこく首を縦に振る夏目を姉は顎に指を当て値踏みするように見定める。

「そうなの? 確かにあんたには勿体ない程可愛らしいお嬢さんだと思ったけど、やっぱ違うんだ。いやあ、でもこの子は非常に素晴らしいと思うよ? 何処ら辺が素晴らしいかっつーと、この辺が!」

 姉は夏目の持っていた缶ビールを奪い取り、二本指で掴みぷらんぷらんと揺らす。

「中学生なのに飲酒しちゃってるとことかー」

「あ、いや、えっと、その……」

「いやいや、いいんよいいんよ。別にお姉さん怒ってるわけじゃないんだ。むしろ将来が有望で頼もしいと思ってんだから。ただ、ね……」

「ただ?」

「この事学校に黙っといて欲しかったら、このビールの残りくんないかなー?」

 姉は喜色満面でそう言い那須野はうんざりといった感じで言う。

「お前がついさっきまで跨ってたもんはなんだよ。飲酒運転は違法だぞ」

 姉は唇を尖らせる。

「はいはい、分かってますよーだ。んなもん冗談に決まってんじゃんねー?」

 そう姉は夏目に笑いかける。夏目もつられて笑う。

「つかさー、デートじゃないんならうら若き二人がこんなとこで何してんのさー? むしろ逆に不健全だぞー?」

 那須野が心底面倒くさそうに答える。

「猫捜してんだよ、猫」

「猫? 迷い猫か。そっちのお嬢さんの飼い猫かい?」

「いえ、違うんですけど……。こんな猫なんですけど、見ませんでしたか?」

 チラシを手渡す夏目。姉はわざとらしくチラシを遠ざけたり近づけたりしながらそれを見る。

「んー、いんや、私は見てないニャー」

「ニャー?」

「そうですか……」

 夏目は肩を落とす。

「あーでも私猫の溜まり場だったら知ってるニャー。色々あるけど、ここら辺だったらあっこの線路沿いにある資材置き場んとこか結構猫がいるニャー。私今日はそこ通ってないから分かんニャいけど、もしかしたらその猫もいるかもしんニャいニャー」

 指でその場を指し示す姉に対し夏目は幾ばくか生気を取り戻した表情をする。

「本当ですか? じゃあちょっと行ってみます!」

 そう言って夏目は立ち上がり、慌てて那須野も立ち上がる。

「何かよく分かんニャいけど、頑張るんだニャー。あ、そうそう、私今からバンドの練習あるから今日の夕飯いらニャいってお母さんに言っとくんだニャー」

「さっきからニャーニャーうっせえよ!」

 そう言う那須野に対し姉は笑いながらゴーグルとヘルメットを装着し、スクーターに跨る。

「んじゃ、まったねー。そうだ、ビールは早く飲まないと温くなって不味くなっちゃうよん」

 そう言いながらアクセルを捻りエンジンを掛け猛スピードで走り出すとあっという間に姉の姿は見えなくなった。那須野と夏目の前には排気ガスの残り香だけが漂っている。

「何だったんだ、あいつは」

「楽しいおねえさんだね」

「そうか? 五月蠅くて鬱陶しいだけだぞ?」

 夏目はそれには答えず、ただふふふと笑い、残っていたビールを一気に飲み干した。

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