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一度それぞれの自宅に帰り荷物を置き私服に着替えた後、那須野と夏目は喫茶店に再集合していた。二人の住む町にある商店街に店を構える少し古ぼけていて煤けた、ごく普通の喫茶店。BGMに二人が生まれるより遥か昔に作られたジャズが流れるここを指定したのは夏目で、那須野にとっては初めて訪れる店だった。二人は窓際の席に向かい合って座り、那須野はコーラを、夏目はビールを注文しようとしたのを那須野に止められアイスティーを飲んでいる。
「こんな店あったんだ。初めて知った」
夏目は眼鏡を押し上げながら少し得意そうな顔をする。
「まあ、ね。あんまり屋上に入り浸り過ぎて誰かに見付かったらまずいから、他にもどこか落ち着く場所が欲しくて探したんだ。ここには私達みたいな学生はまず来ないし、たまに来る大人の客も互いに干渉しないよう気を使い合ってるの。だから、とっても居心地がいいんだ。私の第二の秘密の場所」
落ち着いた所作でアイスティーを口に運ぶ夏目を、那須野はコーラをストローでずるずる吸いながら眺めていた。
「で、これからどうするんだ?」
夏目はコースターの上にアイスティーを置く。
「まず、魔法の使い道を考えなくちゃいけない。どんな願い事でも叶えられるけど、叶えられる願い事はたった一つだけなの。だから慎重に、極めて慎重に考えなくちゃいけない」
「それを二人で考えよう、と」
頷く夏目。
「今の状況を、糞ったれな現状を一発で引っくり返せられるような、そんなたったひとつの冴えたやりかたを、私達は考え出さなくちゃいけないの」
「たったひとつの冴えたやりかた、か」
腕を組み天井を見上げ考え込む那須野。じっとアイスティーを覗き込む夏目。店内では老夫婦やスーツを着崩したサラリーマン達が思い思いに時を刻んでいる。
那須野の頭の中に様々な案がコーラの炭酸のように浮かんでは消えていく。例えば学校を失くしたって他に何らかの方法で勉強は行わなくてはならないのだろうし、かといって勉強そのものを失くしてしまえばいい、とも流石にそこまでは思えない。結局、俺はどうなりたいのか、どうなるのがベストだと思っているのかだ、と那須野は天井を見上げたままで思う。今まで抱いてきた漫然とした不安、焦燥、虚無、それらは何処から来てどう処理すべきなのか、それを考えなければならない。己と、真正面から向き合わなければならない。そうすれば、自ずと夏目の魔法の使い道も見えてくる筈だ。
一体俺は、どうなりたいんだろう。
そして夏目は、どうなりたいと思っているんだろう。
那須野は顔を下ろしストローを咥えコーラを啜る。口内で炭酸が弾け飛ぶのを感じながら、何となく窓の向こうへ目線を送る。平日の昼過ぎに商店街を行き交うのは大体主婦がメインで、あとは散歩する老人や営業に走り回るサラリーマン、放課後の子供達がちらほらいる程度だ。クーラーの効いた店内にいると忘れそうになるが外はまだまだ暑く不快指数も高そうだった。
ふと、那須野の目に一人の女の子が留まった。小学校低学年くらいに見えるその子は、窓の外で何やらせわしなく動いている。那須野はストローを咥えたまま、一人で何やってんだろう、と何となしに眺めていたが、気付くと前に座る夏目も同じようにその女の子を見ていた。何処となくその目は虚ろで、遠くを見ているようだった。「夏目? どうした?」と声をかけようとした瞬間、夏目は突然立ち上がったと思うと弾かれたように走り出した。
「おい、夏目!」
那須野の声に耳も貸さず夏目は乱暴に扉を開け店の外へ駈け出して行く。
慌てて那須野も立ち上がり何事かと店中の視線を集める中手短に会計を済ませ夏目の後を追う。
夏目は女の子の前で屈み込み同じ目線になっていた。近くで見ると女の子は大量の紙束とセロハンテープをその胸に抱え込んでいた。
「どうしたんだよ、急に」と問う那須野を気にもかけず、夏目は女の子に話しかける。
「ねえ、何やってるの? ちょっとお姉ちゃんに聞かせてくれない?」
突然話しかけられたせいか女の子は戸惑い、視線があちらこちらに行ったり来たりしている。そんな女の子に、夏目は優しい声色で言う。
「大丈夫、お姉ちゃんは味方だよ。それ、どうしたの?」
夏目に指差され紙束を持つ女の子の手に力が入るのが那須野の目にも見て取れたが、『味方』という単語に安心したのか幾分か緊張の解けた様子の女の子が紙束から一枚を夏目におずおずといった感じで差し出した。
「ありがとう」と笑顔でそれを受け取った夏目だが、その紙に書かれた内容確認した時、ほんの一瞬だが表情を曇らせたのを那須野は見逃さなかった。夏目が手にしているそれを那須野も後ろから覗き見る。
さがしています。
冒頭にそう書かれていたそれは、迷い猫のチラシだった。猫の名前、身体的特徴、性格、年齢、いなくなった日にち、見付かった時の連絡先、猫を模して描かれた絵、それらが拙くも懸命な筆致で列挙されていた。
「この猫、捜してるんだ?」
夏目の問いに女の子は伏し目がちに頷く。
「大事な、友達なんだね」
同じように頷く女の子。
「そっか……」
じいっと手作りのチラシを見つめる夏目は「よしっ」と小さく呟いてから立ち上がり、女の子の頭に優しく手を置いた。
「お姉ちゃんも、この猫を捜すの手伝ってあげるよ」
女の子はその言葉に驚いて夏目の顔を見上げると、夏目は優しく微笑んでいた。それは那須野が初めて見る、慈愛に満ちた表情だった。女の子の顔が「本当に?」と問う。
「本当だよ。もし何か分かったら、ここに連絡するね」と夏目はチラシに書かれた住所と電話番号を指差した。
「邪魔してごめんね。猫捜すの、頑張ろうね」
女の子は満面の笑みで「うん、ありがとう!」と大きな声で言い、走り去っていった。多分これから、ここら一帯にチラシを貼ったり配ったりするのだろう。夏目は少女の姿が見えなくなるまで、ずっと手を振っていた。
「……夏目?」
夏目は振り向かず那須野に背を向けたままで言う。
「ごめんね、会議は一旦中止。猫、捜さなきゃ。あ、勿論キミは手伝わなくていいよ。これは私の個人的な事柄だから。どうしよっか、取り敢えず次にまた会議を開く日取りを決めようか。何時がいい? 明日? 明後日?」
その声色は、落ち着きを装ってはいるが切迫感が見え隠れしていた。その焦りが何に由来するものなのか、那須野は計りかねていた。
「いや、いいよ、俺も手伝う。うちにも野良猫が出入りしててさ、猫は好きなんだ。だから、猫を捜すの手伝うよ」
「……ありがとう」
そう振り返った夏目の顔は、笑いたいが顔が強張って上手く笑えていない、そんな風に那須野の目に映った。その顔のままで夏目は言う。
「ビール、飲んでいい?」




