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 夏休みを経るとまるっきり人が変わったような生徒が必ず数人は出るとよく聞くが、ことこの九日市中学校、更には二年、更には二組においてはそんなの嘘っぱちだと思わざるを得ない。映画館から帰宅し阿修羅のような面をした母親に怒鳴られ寝不足の目を擦りながら登校したこの教室にいるクラスメイト達は一カ月強前と特に変わらず久々の再会を分かち合っている。何にも変わらない。けれどそれは傍から見れば多分自分もそうなのだろう、と那須野は窓際の最後尾にある自分の席に着きながら思う。けれど、俺は映画を見てきた。昨日のも含め夏休み中に八本も見てきた。少なくともこのクラスメイトよりは映画八本分は前に進んでいる筈だ、きっと、多分、恐らく。

「よう、相変わらずしけた面してんなあ」

「おはよ、元気だった? 那須野」

 頭を小突かれ振り返るとにやけ面した高山とそれに苦笑している秋吉がいた。那須野にとって唯一と言っていい級友の二人だ。

「痛―よ。まあ元気だったよ、うんざりするくらい。二人はどうだった……って、高山の方は聞くまでもないか」

 高山は日に焼けた腕を組みながらふんぞり返る。

「そりゃサッカー漬けの毎日よ! パスパスクロスシュートォ! ってな」

 一人でエアサッカーを繰り広げる高山を捨て置き那須野は秋吉の方に尋ねる。

「秋吉はどうしてた?」

「僕? 僕は特に何も。普通に田舎帰って普通に遊んで普通に宿題して、って感じだね。那須野はどうしてたの?」

 涼しい顔で尋ね返す秋吉に那須野は口ごもってしまう。この二人にはまだ自分が映画館に通い詰めていることは話していなかった。特に隠しだてする必要もないのだが何となく気恥かしくて言い出せないままでいた。そして、自分から映画館に通っている事実を除いてしまえば後には何にも残らないことも、那須野は嫌になるくらい自覚していた。

「俺も、秋吉と同じだよ。特に何もない夏休みだった」

「そうだよね、高山みたいに部活に入ってなきゃそんなもんだよね」

「ったく、お前らも運動しろ運動を!」

 柔和に微笑む秋吉。偉そうだが人懐っこく笑う高山。二年生になり最初の席決めでたまたま近くの席だったという理由だけで親しくなったこの二人を見ていると、たまに那須野は自分がどうしようもなく矮小な人間なのではないかと思えてくる。高山はサッカーという自分の核を見付けそれにひたむきに取り組んでいる。秋吉は自分が普通であることを何ら臆さず、というかそもそも疑問すら持たずさらけ出してしまう。そんな二人を目の当たりにしていると、自分がちっぽけなことで悩み苦しみ堂々巡りしている頭でっかちなどうしようもない奴であるという事実を突き付けられているようで、どうしようもなく虚しくなってしまう瞬間がある。ただ馬鹿話をしているだけなら何の問題もないのだが、ふと不安の虫が湧いてきてしまうのである。そんな時はただ、虫が引っ込むのを待つしかない。普段と何も変わらぬ体を装いながら。

 高山は窓の下の床に腰を下ろし、水平にした右手を目の上に当て教室中をぐるりと見回す。

「しっかしまあここの連中も変わり映えしねえなあ」

「そりゃあ、所詮一カ月ちょっとの夏休みを挟んだだけだからね。そうそう人間なんて劇的に変わるもんじゃないよ」

 教室の隅にある掃除道具入りにもたれかかりながら秋吉がそう言う。

「そりゃそうだ」

 那須野は椅子に後ろ向きに座りながら笑っている。

「そりゃそうだけどよお、淡い期待ってやつ? を抱きながら一カ月以上振りに通学路を歩いてきた俺の時間は何だったんだって話だよ」

「何だったって、そりゃ無駄だったんでしょ」

 那須野と秋吉が笑う。高山も少し悔しそうに笑っている。

「じゃあ高山はどんな風になってたら満足したの?」

「んー」と天井を仰ぎわざとらしい程に考え込み、高山は口を開く。

「例えば、一学期まで冴えなくて地味だった奴が急に可愛らしくなってるとか」

「案外普通だね。冴えない地味な奴って、このクラスだと誰かな?」

「そりゃ飯塚とか伊呂波とか夏目とかじゃね?」

 名前の出たクラスメイトを三人で顔を寄せ合い確認するが当然の如く変化は感じられない。高山が深い溜め息を吐き出す。

「はあー、やっぱ事はそう上手くは運ばないよなー。あとはあれだ、金髪でツインテールな転校生がやってくることを期待するしかないかー」

 秋吉が教室前方の入り口の方に目をやり肩をすくめる。

「ま、それもなさそうだね」

 入口を勢いよく開き担任である矢野秀一が教室に入ってきた。勿論その後ろには金髪ツインテールどころか誰も着いてきていない。

「おーいお前らーもうすぐ始業式が始まるから校庭に集合しろー」

 矢野の号令に従い教室内の全員がぞろぞろ退室していく。高山も腰を上げ汚れのついた尻を叩きながら「分かっちゃいたが現実はドラマやアニメのようにはいかねえなあ」と嘆く。

「だから、ドラマやアニメの需要が発生するんだけどね。じゃ、僕たちも校庭に行こうか」

 秋吉に促されて那須野も立ち上がる。また、学校生活が始まる。何もない、怠惰な日々が始まろうとしている。少し前を行くクラスメイト達の雑踏を、那須野はただ遠い目で眺めていた。


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