番外編2 それでも私は彼が好き
完結話直後のちょっと冷静になった結衣視点の話。
私は世の中のどこにでもいる悩める女子高生の一人だ。
つい最近まで一番の悩みは唇がとても乾燥しやすいことだった。
しかし、そのワーストは、自分に合うリップクリームを見つけたことで……いや、それ以上の悩みができてしまったために、順位が入れ替わってしまった。
私は、同じクラスの男の子、真野拓真くんとお付き合いすることになった。
きっかけは当初悩みワーストNo.1だった唇の乾燥について、真野くんが私の相談に乗ってくれるようになったことだった。
身だしなみやおしゃれで、もっと可愛くなりたいと思ったり、もっと綺麗になりたいと思うのは、多くの世の女性が願うことだろう。私もそうだ。
だから、私は一番の悩みと言い切れるほど、唇の乾燥について悩んでいた。
そんな一番の悩みについて親身に相談やアドバイスをしてくれた真野くんを好きになるのには、そう時間を必要としなかった。
彼の優しさや気さくさに、あっという間に恋に落ちた私は、鈍いといわれる私にもわかるくらい積極的なアプローチをしてきた真野くんに気持ちを伝えられ、そして応じたわけなのだが。
彼は唇フェチだ。そのことについては、付き合うことが決まったのと同じタイミングで知った。そしてそんな彼は、私の唇がまさに好みなんだそうだ……。考えようによっては、自分の好きな相手が自身のことを好みだといってくれていると。そう考えられる。しかし、彼が好きなのは、私がコンプレックスに思っていた唇なのだ。「本当に?」と疑うような気持ちが浮かんできてもおかしくないだろう。だけど、そう感じていることすら知っているんじゃないかと思うくらい、彼は私の唇への愛を隠そうともしない。そして次に私はこう思うのだ。
「真野くんは私の唇が好きなだけで、私のことなんて好きじゃないんじゃ……」
「あははー、ないね」
彼女はいっそ清清しいほど言い切った。
私の不安に対してあっさりと否定の言葉を返してきたのは、中学時代から付き合いの親友、相原さくらだ。
私たちは、放課後に電車で市の中心街まで出てきて、高校生にはぴったりの価格のファストフード店でお茶をしているところ。ちなみにファストフード店定番のハンバーガーではなくアップルパイだ。だって女の子だもん。……といったら、さくらは私に失笑を返した……。
「性格は微妙だけど、少なくとも男の中ではまあまあ誠実な男じゃん。ていうか、一体なんでそんな可能性狭すぎなところから心配事見つけてくるわけ? もっと、不安に思うべきところあるんじゃないの?」
例えば目付きとか欲望丸出しなとことか引くほどの唇への執念とか。面白いほどスラスラ語るさくらは真顔だ。さくらは、きっと当事者じゃないからそんな風におふざけまじりな意見を言うんだろう。一番重要なのは、真野くんが本当に私を好きでいてくれているかに決まっている。
「で、でもさ!唇のことなかったら、真野くんって私に興味もたなかったと思うんだよね!」
そう自分で言ってて悲しくなってしまう。ひとつ手に入れられてしまうと、もっともっとと欲しくなってしまう。私は唇のことも関係なく、真野くんに好きでいて欲しいと思う。そんなことを思うのと同時に、自分はこんなにわがままだったのか、と恥ずかしいような思いもあった。
さくらはアイスティーをストローですすりながら、「うーん」と唸る。
「正直に言うなら、否定はしきれないね」
「……だよね」
自分から言い出したくせに、私はさくらの言葉にガックリと肩を落とした。
「でもさ、そんなのきっかけに過ぎないでしょ?」
私を鼓舞するような明るい口調に私は落とした顔をあげた。さくらは呆れたような表情ながら笑っていた。
「大丈夫だと思うけどさ。不安ならいっその事、本人に聞いてみたほうがいいんじゃない?」
「ええ?!無理むり!そんなこと聞けないよ!」
私は身振り手振りを駆使して”できませんアピール”をする。
「じゃあ、不安なまま付き合っていける?」
「それは……」
正直、辛い気がした。
唇だけ? それがなかったら、真野くんは私のことなんて、好きじゃなくなっちゃう? もっと素敵な理想的な唇の人が現れたら……真野くんはその人のところにいっちゃうんじゃない?
考えただけで今もこんなに怖いのに、ずっとその思いを抱えたままでいたら、真野くんとキスするのだってできなくなってしまいそうだ。
「逆にさ、唇フェチの変態って、あんたは嫌じゃないの?」
そう聞かれて、私は自分では思いつかなかった意見に目を瞬かせた。
「……考えたこと、ないな……」
正直にそういうと、さくらはハアとため息をついた。彼女はどうしてか、私が真野くんと付き合うことになってから、ため息が絶えなくなったようだ。
「真野なんて滅べばいいのに……」
「え?」
「いや、なんでもない」
一瞬、親友の口から物騒な発言が聞こえた気がしたが、それは私の聞き間違いだったようだ。聴力検査で引っかかったことはないはずなんだけどなぁ……。
「とにかく、今話したことを真野にも話しなよ。……いや、やっぱり止めた方がいいか……?」
「どっち~?!」
浮かない顔で考え込むさくら。いろいろ思うところがあるらしい。
「結衣がこんな話ししたらあの変態のことだからな。喜ばせるだけだし。いや、でも結衣が悩んでるのを放っておくわけにはいかないし……。てか、そもそも真野が変態の異名を取るほど唇フェチなせいでこうなったわけじゃん」
「さくら? さっきから変態ってなに?」
「あー……結論から言うと、元はといえば真野が全部悪いってこと」
「なんでそうなんの?!」
「大丈夫よ、クラスの過半数以上……いや、全員がきっと同じ意見だから」
何が大丈夫なのかさっぱりわからない。しかし、さくらは首を傾げる私をみて穏やかに笑った。
「そうだね……一番いいのは、廊下かな」
「ろ、廊下?」
途中から話の流れがつかめない私はクエスチョンマークを浮かべるしかできない。さくらは私を諭すように人差し指をクルクル振るった。
「そう。いい? 明日、休み時間に真野をクラスからあまり離れない位置の廊下に連れ出して、そこで、今結衣が不安に思ってることを正直に話すの。ポイントは絶対にクラスから離れ過ぎないこと。できれば結衣は教室に背を向けててほしい」
「じゃないと食われるから」と真剣な表情で語るさくら。なによりも、もう真野くんに全部話すことは決定事項らしい部分に私はがっくりと肩を落とした。
「こんなこと言ったら、いくら真野くんだって私のこと面倒くさいって思うんじゃないかな……」
「今の結衣に何を言っても無駄なことはわかってるけど、絶対、ありえないから。真野があんたを面倒とか、嫌いとか」
「真野くんがなに思ってるかなんて、真野くんにしかわからないじゃん」
「そりゃそうだけど……あー!もう!!この言い合い、不毛!不毛すぎる!確かに今のアンタ、面倒くさい!」
「や、やっぱり……」
「グジグジグジグジグジグジとおおぉぉッ!!」
何かはちきれんばかりのものを吐き出すように叫びながら、さくらはガツンと私にアイアンクローをかます。痛い。超痛い。いた、いたいいってぇえまじ半端じゃないから痛いからっ。やめて、もう何も言いませんからっ、言う通り実行しますからぁぁあ!
じわじわと、でも確実にこめかみに力をこめていくさくらの力技に、私はなす術なく降参を口にしていた……。
「あんたは頭でごちゃごちゃ考えても碌なことにならないんだから。いやだと思ったら嫌っていえばいいし、むかつくなら怒ればいい。結衣がそう思うなら、それはほとんど見当違いなんかじゃない。もし不安になれば私に聞けばいい。少なくとも第三者の目からあんたとは違った意見だって言ってあげられる。あんたは当たり前の善悪の判断と良心をもった、素直で可愛いやつよ」
さくらさんってば、なんだか今ものすごくいいこと言った! っていうかかっこいい! かっこいい女子私大好きよ! さすが私の親友様! 女神様! 愛してる! よっ日本一!
と、考えていたら、アイアンクローの魔の手が再度私に襲い掛かってきた!
そういえば、このすんばらしい演説中もずっとアイアンクローのポーズが解かれなかったのってすっごい不自然。めっちゃ不自然だよね、今さらだけど!
「あんた、心の中の言葉が興奮しすぎると口から溢れでちゃうその意味の分からない癖、早くなおしなさい」
「えっ声に出てた?」
「出てたし、出てなくても顔を見れば碌でもないこと考えてるの丸わかり」
私はわざらしいくらい大げさな身振りで頭を両手で抱えてがっくりとうなだれて見せる。
「うぇい……まじか……ジーザス……」
「その時代錯誤かつ変人にしか思われないその言動も!」
そう、その突っ込みを待ってたの! ボケにはうれしいさくら(ツッコミ)だね!
嬉々としてにっこり笑って舌をぺろりと出したらテーブルの下で脛をけられた。
「これは、あれだよ。遊び心ってやつ」
「いらん」
あんまりに真面目に良い話をしてくれたことが少し照れくさいあまり、つい笑いにもっていってしまった。
ふうと息をついて落ち着いてから、少し不安になって見上げれば、さくらはむすっとした顔をしていた。茶化して怒ったのだろうか……。
「……あのね、……ありがとうね。ちゃんとわかってるんだよ。ありがとう、さくら。私、真野くんとちゃんと話す」
礼を言うことすら照れくさくてうつむきながら精一杯気持ちを伝える。
私はすごく自分が面倒くさいやつだなって思うんだけど、さくらはわたしを素直でかわいいやつだという。自分はつい対抗心ばかりが前に出てしまって、可愛くないやつだから、うらやましい。そういわれたこともあった。
私はそんなことないっていつも思う。
さくらは可愛い。きつい言動するからって可愛くないことにはならない。ただ賢くて周りに気遣えるってことが可愛くないってことじゃない。
だってそれがさくらの可愛さの一端だ。思いやりの一端だ。
こうしてグダグダな私の悩みとか若干入ったのろけとかも、第三者の意見をきつめに言いつつも、私にアドバイスしてくれる。
どうしてそんなことをしてくれるのか。そう考えたらさくらが可愛いんだってわかるはずだ。
さくらが私のことを大切に思ってくれて、私のこと真剣に考えてくれているから、だからさくらは優しい(そう)なんだ。
そんな優しさをもつさくらを私は最高に可愛い女の子だなって思うんだけど、それはおかしいんだろうか。ううん、おかしくなんかないはずだ。
人のために一生懸命になれるさくらは私の知る女の子の中で一番可愛い女の子だ。
万が一億が一にも、さくらを可愛くない女だなんていう馬鹿やろうは私が脛蹴りで撃退してやるのだ。弁慶も泣くんだぞ! それ、それ! って感じで!
「わかってるならそれでいいよ。頑張りなさいよ」
「うん!」
私は握りこぶしを握って、さくらの激励に答えた。
「にしてもさ、結衣はさ、本当に、本当にいいの?」
私はアイスティーをすすりながら投げかけられた質問に首をかしげた。ぱくりと少し冷めたアップルパイを一口ほおばる。うーん、やっぱりここのアップルパイは揚げたてが一番だな……。
「だから、さっきも言ったけど、真野が唇フェチなこと自体は気にならないの?」
ますます意味が分からなくて少し眉をひそめる。
「ほんの少し聞いただけでも真野の唇好きってマニアックっていうかさ。そういう特殊性癖って普通引くでしょ」
「ああ~……なるほどー……。確かにさっきも似たこと言ってたけど」
「……けど?」
私はもう一度少し考えながら言葉をゆっくり選ぶ。
「本当に、あんまりそこは気にならない、かな。そりゃ、そ、そっその……き、ききききっす……なるものを? い、いっぱいされちゃうと、すごいもう、恥ずかしいし、呼吸困難になるし、たまに生命の危機を感じる瞬間もあるけど」
「それって、問題ありまくりじゃない」
「でもでもでも! 真野くんちゃんと優しい。すぐ唇ばっかみたり隙見てちゅーっとしようとするのとか、欲望に忠実だーって思うけど、私の気持ち無視したりしない。私が焦ってるの見てからかってんなこんちくしょーとか思う時もあるけど。でも親切にしてくれてたまに私がありがとうっていうと、いつもは何でもないって顔でスキンシップするくせにそんな一言で照れたりするのがかわいいとか思う。普通の男の子なんだなぁって。……好きだなぁ……って」
言ってて自分で、あれ、なんかこれってただの惚気じゃね、と思い当って恥ずかしくなってくる。
馬鹿か! こういうのを自爆っていうのか!
私は落ち着くために氷がとけた薄いコーラをズズッと飲み干した。それでも足りなくて、小さい紙コップの水も飲み干す。
ふはーっと飲み干してから顔を上げるとさくらがテーブルに肘をついて頭を抱えていた。いわゆる絶望した……ポーズ? あまりののろけ話にあてられて絶望させたのだろうか。ああもう、恥ずかしい!
「……何度も聞いて悪かったわ。あんたが真野をすごく好きだってことは、よくわかったから。真野にはもっと苦労してもらわないといけないってこともね……」
「ご、ごめんねっ。人ののろけ話とか、勝手に聞かされても面白くないよね……。…………あれ、なんか今真野くんが苦労とかなんとかって」
「ううん。真野は幸せねって言ったの。気にしないで」
難聴かな……。
それから私は真野くんに自分の不安を正直に話した。
「真野くんは私の唇のことしか好きじゃないの」とか「もっと素敵な唇の人がいたら私のこといらなくなっちゃう?」とか「好みの唇から外れちゃったらもうキス(ものすごくはずかしくてここだけすごく小さい声で)してくれないんじゃないかって不安だ」とか「ていうかちょっと私本気すぎて引く? やっぱ引いちゃう?」とか、最後のほうは予定にないことまで喋ってしまう。
すると真野くんは何かをこらえるように顔を真っ赤にしていた。そして私を見つめると繋いでいた手に力をこめたところで、真野くんの視線がついと私から外れて、明後日の方向に向かった。彼は何かに目が釘付けになっていた。
すると一気に真野くんがその場に崩れ落ちて「ああもうやだぁぁあ、もうこれいじめのレベルだよおぉぉ!」と若干壊れたテンションで叫んでいた。いったい何が起きた、真野拓真。叫ぶとそのあと、ぴたりと黙り込んで動かなくなってしまった。フリーズというやつだ。故障ですかー?
どうしたというのか。そう思ってしゃがみこんで様子をうかがおうと思っていると、その前に真野くんが繋いでいた私の手をぐいと引っ張った。意志と関係なく真野くんの前にしゃがみこむと、目前に迫った真野くんのむすっとした表情と目が合う。そしてちゅっとかすめとるように唇を奪われていた。
そのあと、真野くんが弁解するように、「唇だけじゃないから」とか「全部込みで結衣のこと好きだから」とか「むしろ結衣の性格とかあってこその唇だから」とか「もう今から結衣と屋上いきたいくらいだから」とか「これって据え膳か、据え膳ってこれのことか」とか、なんかたまに意味の分からないこともいろいろ言われたけど、私はそのキスだけでもういっぱいいっぱいで、後から考えてみたらすごいこと言われてたのに、ああ、もうなんかあのキスだけであれっていうか、そうもうダメっていうか、ショート寸前になってしまった。
気づいたら、いつの間にかチャイムがなったいたらしく。
キスされてショートしてからはっとして気が付いたときには私は席に座っていて、前には先生がいて「ここ試験に出るからな」とか言っているところだった。
私は授業の間、真野くんの言葉を思い出して改めてその言葉に身悶え、ノートは真っ白。
ぎょぉおぎょおぉぉ、とくねくねしながら恥ずかしさを紛らわしていると、授業が終わった瞬間、右わき腹をちょんとつつかれ飛び跳ねる。
「やめなさい、恥ずかしい!」と一喝するさくらさん。ふと視線を感じて周囲を見回すと、何人かがニヤニヤとしながら生暖かい目で私を見ていた。確かにこれは恥ずかしい。
気づいたら私全然不安とかなくなってる。それどころの話じゃない。
もう、真野くんが好きで好きで大好きで、もう口から出ちゃいけないものまで出てきちゃいそうな勢いで、ああ、もう! 好きがあふれまくっちゃってる!
なんでか変態だってそこかしこでみんなが真野くんをいじってるのは最近知ったけど、そんなの全然気にならない。結果的に私は真野くんが変態って言われてるそこも含めて彼を好きになったのだ。 ちょっとマニアックなことを言うし、する。たまにちょっとそれ系のトークをされると引くけど。
結局のところ、私はそれでも真野くんのことがこんなにも大好きなのだ。
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