12.
医務室には独特な匂いが漂っている。でも、涙も鼻水も止まらない今のわたしには、まったく気にならなかった。
アンナが教室に戻って行くのをぼうっと見つめていると、バツが何か言っているのが聞こえてきた。よく聞き取れなかったけれど。きっと、彼も動揺しているんだと思う。
スミレ先生の姿を見つめているうちに、わたしのなかで、モモがいなくなってからわたしをずっと包み込んでいた負の感情が、どっとあふれ出した。不安、恐れ、緊張、絶望、さまざまな言葉で表わされるそれは、見分けがつかないくらいに混ざり合っていて、少しずつでないと、読み解けないほどだった。
そんなわたしに、スミレ先生が向きあってくれた。わたしは少しずつスミレ先生に自分の気持ちを言葉として漏らしていった。涙がわたしを邪魔するけれど、それでも、ひとつひとつ、わたしはスミレ先生に打ち明けた。
「モモがいない。モモがいない。このことが、わたしの命を蝕んでいくんです」
「どうして、そう思うの?」
スミレ先生の静かな目線に、わたしの心が揺さ振られていく。
「だって、わたしには、わたしには、もう、モモしか……――」
ここにいる生徒は、皆、不思議な力を持った者たちばかりだった。それを余所の人達は、幻覚やイカサマとして片づけるか、もしくは、不吉なものの象徴として、遠ざけるようなもの。わたし達がこの学園を出れば、いくらでもそんな視線を浴びることが出来てしまうわけだ。
それが例え、家族であっても。
わたしも、この学園から、わたしを生んでくれた家族の所に帰る事が出来ない。わたしの家族には、この学園に入るような力を持った人がいなかった。いたとしても、わたしは知らないし、父母も教えてもくれないだろう。母はわたしのこの力を見て、泣いてばかりいたし、父は母ばかりに怒りをぶつけていた。
どうして、きょうだいの中で、わたしだけ……――。
そんな想いが、ずっとあった。
けれど、この学園は違う。わたしのようなものが、普通。大丈夫。わたしは居てもいいんだと思える学園だった。家族がわたしを棄てるようにこの学園に置き去りにしたのは知っている。どうせ近所にも知られていないような子どもだったから、そんな事出来たのだろうね。けれど、それでもいい。……それでもいい。
強がるわたしを包み込んでくれたのは、いつも、モモだった。クラスメイトもいたし、先生もいた。それに、わたしの中にはバツもいたけれど、でも、バツとは違った意味で、モモは頼りになった。モモがいない生活なんて、考えたこともなかった。
「どこに行ったの?」
わたしは気付けば呟いていた。
「わたしが出来そこないの子だから……」
だから、いなくなってしまったの?
『そんなわけない。そんなことない』そうバツは言ってくれた。でも、わたしの、この不安、この緊張、この妄想を、バツだけの力では止められない。バツだけの力では。
わたしの心の中で、ゆっくりと、喪失感による空虚が広がって行く。
いやだ。『いやだ』こんな傷を負いたくない。『痛い』痛いよ。わたしの心が、『心が』穴だらけに『されていく』助けて。誰か。
「モモ……」
彼女は、どこに行ってしまったの?
「もういいわ」
スミレ先生の声が響いて、わたしの心が一瞬にして静まり返った。
……一体、何だったのだろう。一瞬だけ、わたしの感情と、バツの感情が混ざり合っていた気がした。スミレ先生が「もういい」って言わなかったら、完全に絡まり合って、解けなくなってしまっていたかもしれない。
……何だったのだろう、今のは。
「モモだけじゃないの」
スミレ先生の包み込むようなまなざしが、わたしへと向けられていた。スミレ先生は、静かに手を組むと、ゆっくりと、今のわたしに届くような口調で、教えてくれた。
「モモと、エレクトラだけじゃないの」
「え?」
何が、か。わたしにはもう予測できていた。
モモ、エレクトラ。わたしも、エリカも、すでにいっぱい傷ついた。きっと、いや、絶対、わたしが抱えているのと同じくらい深くて苦しい傷を、エリカも負っているはずだった。あれから、ずっと部屋にこもっているというエリカは、今、どうしているのだろう? 雛鳥のような《白》のわたし達には、それくらい、サポーターの猫の存在は、大きかった。それは、この学園にいる《白》の誰もがそうであるはずだった。
「何人かの生徒は、別室に保護されているの。特に、高学年の子は、ね」
「つまり、わたし達だけじゃないんですね?」
わたしはいつの間にかまた溢れだしていた涙を拭きとりながら、スミレ先生の顔をじっと見つめた。名前にふさわしいスミレ色の目が、見つめ返してくる。先生はゆっくりと頷いて、静かな声で言った。
「モモとエレクトラが消える少し前から、この学園のサポーターの猫達が、次々に行方不明になっているの」




