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「別に、どうでもいい」
私はベンが居ようと居なかろうと、特に困ることは無い。窓辺に置かれた水差しから、水を直接煽ると、彼に向き直った。
どうして、いきなり付いて来たいなんて言い出したのか?
彼は確かにおせっかいで、仲間を大切にする人だけど、人一倍探究心が強く、その真逆といって良いだろう警戒心だって異常なほど強い。
じろっと、不審げな目で見つめれば、困ったように笑って頭を傾けた。
「ねえ、アン。潰そうか?」
「何を!?」
いや、何を潰すといっているのかは、なんとなく察しているけども! 君の可愛い口からそんな言葉を聞くと、動揺しちゃうじゃないか!
「そこに居る、邪魔な虫けらを」
だんだんと毒を孕んでくる言葉と、危険な瞳がベンを捕らえる。
「だ、だめ!」
私はとっさに叫んで、ベンの前でラクアに向けて両手を広げていた。
「……どいて、アン」
まさにラクアが私を攻撃することだけは無いと安心しきっている私の行動に、私自身驚き、それ故にラクアの言葉を理解するのにわずかな時間が生じた。
「無駄だよ。僕に空間の概念なんか無い」
手を掲げ、ベンに向かって力を行使しようとするラクア。
「だめ!」
私の言葉に対し、不機嫌な表情を隠そうともしないラクアに、やっぱり言うことを聞かせることが出来ないかもしれないということを感じる。
どうすれば、この場を何事も無く納められるのか。
考えろ、私。今、昔仲間の命が私の行動に懸かっているんだ!
「……」
「お、おいで!」
「え?」
手をラクアの方へ突き出し、私の方へ「おいでおいで」する。
こんな馬鹿なことで誤魔化されてくれないかもしれないけど。ぶっ飛んだ私の頭は、まさにこんな馬鹿なことしか思い浮かばなかった。
ラクアはといえば、プルプルと震えている。
もしかして、怒りに火をつけてしまったのかもしれない。ごめん、ベン。骨はなんとか(残らないかもしれないけど)拾ってやるから、成仏してね。
「…………アン!」
「はい?……って、ぐはっ!」
それはもう、犬が飼い主の胸に飛び込んでくるかのごとく、嬉しそうにやってきた。
丁度、お腹にぶつかって、非常に痛い思いをしましたが、どうやら機嫌は直ったようです。
っていうか、なぜ私がご機嫌取りなんかしなくてはいけないんだ? にやにやしているアホでどうしようもない元仲間のために。
「ねえねえ、とりあえず」
「うん?」
「アンの知りうる限りの気持ち良いことを二人でしようよ」
「うん、分かった」
「え!? いいの!?」
「そこのベットに仰向けになって」
ベンが困ったように右を向いたり左を向いたりしている。のを無視し、私は彼を跨いだ。
首筋に中指を当てて、ゆっくりと擦る。
「アン、すまないんだけど……部屋に戻るね」
「……勘違いするな、変態」
「だって、君の嗜好が変わっちゃったのは仕方の無いことだとは思うけど、僕はその……普通の人間だし。ごめんね、理解は出来るけど、許容は出来ないっていうか」
ぺらぺらと余計なことをしゃべり出す馬鹿にイライラして、鋭い視線を浴びせかける。このまま焼き切れてしまえばいいのに!
だいたい、助けてやったお礼は無いのか!?
「だから、違うって言ってるでしょう!? マッサージするだけだって。だいたい、ラクアと私は姉と弟みたいな関係で」
「婚約者が良い!」
「こら、静かにしてなさい」
「だって……。マッサージだって、僕の思ってたのと違うし、なんか損した気分なんだもん。アンにじゅんじょうをもてあそばれたー」
「人聞きの悪いこと言わないの、まったく。どこでそんな言葉を覚えてくるんだか」
溜め息を吐きながら、私は指を動かした。
「気持ちよくないの?」
「……アンが触ってくれるの、すごく気持ち良いよ」
「だったら、黙って寝てなさい」
私がそう言うと、ラクアは身体の力を抜いた。こういう無防備なところは、猫のようだと思う。
「ベンは少しお話しましょうか」
「あんまり、酷い事は言わないでくれると嬉しいけど」
どうしてそこで、そんな図々しい要求が出来るのか謎だったが、「はいはい」と言って流してやる。
指は肩から腕までを少し痛いくらいの力で揉んでいく。
さて、何から聞いたほうが良いのか。
「何で、付いてくるなんて馬鹿な事言ったの?」
「……ああ、それを聞いてくるのかー」
間延びした声に胸がムカムカしてくるが、極力抑え気味に声をかけてやった。
だいたい、今日は怒りすぎなんだ。血圧が上がって病気になったら困るしね。
「ちょっと待ってね……」
ベンの言葉に私は口を噤んだ。
下には気持ち良さそうにしている危険な悪魔。隣りにはその悪魔に殺されかかっている無邪気すぎる馬鹿な友人が座っている。
なんの拷問なんだか。
「そうだね、ちゃんと話そうか。僕の専門は悪魔とかそういうものだって言ったでしょう? 最近、その悪魔が活発に活動しているっていう噂があってね。そこで君たちのような特殊な事例にぶち当たっちゃったものだから、原因究明には僕が同行するべきだと思って」
「それだけ?」
「死んでも良いほど、彼に惹かれるんだ。こんな絶対の存在、僕は師以外で会った事無かったしね」
そういうことなら、少しだけ納得が出来る気もする。ただ、ベンがまだ何かを隠しているのは間違いないだろう。
どうしたものか。
私は彼が居ようと居ないと困らないけど、彼はラクアの隣りに居ると長生きできない気がする。
「死ぬかもよ?」
「そこは、アンを信頼してるから。適度に餌を与えて、餌付けしてね」
「餌?」
「彼の求める事を、よろしくお願いしますってこと」
私は言いたい。
私こそ、ちょっと年上なロマンスグレーのおじ様が好きなだけな、普通の女の子だと。
だから、つまり。
私がラクアを好きになるには、あと30年近くは早いのだという事を。
「……無理だな」
そんなに待てない。っていうより、そんな事してたら、私自身いくつになっちゃうのか。考えるだけでも恐ろしい。
手元に持ってきていた水をまた一気に煽り、手を動かし始める。
反応が無いラクアは、どうやら眠ってしまっているらしい。
この柔らかな脂肪が筋肉に変わり、また脂肪に変わってきた頃合い位ならば……!
って、考えるのは止めよう。これじゃ、ただの変態だ。
「まあ、君の嗜好は理解しているつもりだしね。自分で何とかするよ。でも、よろしくね、アン!」
「はいはい」
とりあえず、彼は頭全体に被っている埃を払ってから、私にもう一度懇願するべきだろうと思った。