第十二話「憂鬱なカフカは翔けていく」
クリスマス。
いつもなら怨念を振り撒きつつ、イチャイチャカップルに鋭い視線を向けながらそこら辺を往来闊歩しているはずなんだが。
今日は袋を片手に、隣人のインターホンを叩こうとしてる……なんて、皮肉の効いた話だ。
意を決し、そのボタンを押す。
……他人の家に自分から出向くのは何年ぶりだろうか。
少なくとも、記憶の残る範囲ではそんなことをしようとも思わなかった気がする。
扉が開く。
ドアの隙間から葡萄色の髪が覗き、やがて、その瞳と相対する。
「あれ? どうしたの。そんな怖い顔して」
彼女は困ったように苦笑しながら、「なんか用かな?」と聞いてくる。
「んいや、気まぐれというか、ちと用事があるというか……」
クリスマスに訪問する理由なんて一つしかねぇだろ……「未定サンタの登場だよ!」なんて、戯言を吐ければ楽なんだが。
今日はそういう気分でもないらしい。
「その袋のこと?」
俺が視線を上げられずにいる間に、彼女は俺の目的の一つを感じ取ったらしい。
彼女の紫苑色の瞳は、俺の右手に釘付けだ。
俺は居た堪れない気持ちになって彼女に、
「まあ立ち話もなんだし、俺の部屋行こうぜ」
などと、誤魔化した。
「……クリスマスに男女二人きりっていうのは、“ああいうこと”を想像しちゃうんだけど、そこら辺はどうなのかな」
彼女は顎でクイッとし、道端を歩いているカップルに視線を向けた。
「安心しろ。“そういうこと”では全くない。他意もない」
「ん、ならいっか。……他意はあるでしょ。その袋、私にくれるんでそ?」
「んん。まあそうだな」
彼女の微笑がいつものように戻る。
……少し警戒心でも抱かせてしまったか。
「まあいい。それよか、なんか準備とかあるか? このまま来るわけにもいかんだろ」
「それもそうだね。十分後ぐらいにいくから、ちょっと待ってて」
彼女はそう言って、手を小さく振りながら、俺の知らない世界へと消えていく。
……大袈裟に言っただけで、ただドアが閉まっただけの簡単なお話なんだが。
「はあ。緊張すんな。なんか」
もうこのまま、マンションの冷たいコンクリートの上で、寝そべってやろう。
なんて、気も起きたが。
こっからが本番なので、今“熱”を冷ますわけにもいかない。
そうして、俺はどこか千鳥足で自室へと向かった。
ほんの数歩分の距離が、難解なダンジョンのように思えた。
*
三十分後。
俺の部屋の電子音が響いた。
「おせぇよ……死んじゃったかと思ったわ」
リビングのソファで、どこか落ち着かない心を諌めるために、精神統一という名目で瞑想を始めたまでは良かったんだが。
三十秒で飽き、残りの二十五分はゲームをしていた。
……いや俺、意外といけるかも。通常運転である。
足早に玄関に向かいながら、遅かったことへの悪態をついてやろう。
という気概を持って、ドアを開けた。
「おせぇよ。なにして……たんだ」
「ん、準備」
さっきの部屋着のような格好とは打って変わり、白を基調としたブラウスに、下は黒のスウェットになっていた。
さらに言えば、彼女は葡萄色の髪を指先でくしくしと梳いていて、いつもより光沢を放っているし、なんなら甘いフローラルの香りまでする。
「そ、そう。準備です、か。……特に俺はなんも準備してねぇけど」
ゲームしてただけだしな。
「……準備ぐらいしなさいよ。女の子がこうやって……ちょっぴりだけど、何されちゃうのかな? みたいな気持ちになってるのに」
「なんもしねーよ。ただの社交辞令だ。本来ならクリスマスには、特に意味がない」
「え? じゃあなに」
「お前今日誕生日だろ」
彼女はびっくり仰天、奇想天外――とまでは言わないが、それに近い顔で目を見開いていた。
まあ俺が知ってるとは思わないだろうから、当然の反応か。
聞かれるならまず、そのことだろう。
「……んで、知ってるの」
「ん? なんで知ってるの。で、合ってるか。声が小さくて聞こえねーよ」
「そう! そうだよ……私、言ったことなくない?」
「ああ、そりゃそうだ。だが、連絡先交換した時に知った」
「あ、なるほど」
彼女は鳩が豆鉄砲――いや、なんか茶化したくなるな今日。
どこか合点がいったような表情を浮かべ、「じゃあその件ね」と呟く。
「まあ、半分はその件だ」
「半分ってなに……きみ。難しい言い回しで逃げる癖、やめた方がいいよ」
女の子に嫌われるし、と視線を逸らしながら言う彼女に、「何回言うんだよ」と軽口を返そうとしたが、それもやめた。
「ああそうだな。じゃあ、本題に入ろう。まず中入れ」
俺は手をちょいちょいとこっちに招くように振り、ドアを押さえながら彼女が入るのを見守る。
完全に入ったことを確認してからドアを閉め、俺もリビングへ向かう。
大テーブルの椅子にちょこんと座っている彼女は、目の前の袋を見つめている。
「そんな凝視しても中身は見えねーぞ。超能力者じゃあるめーし」
「知ってるけど……気になるじゃん」
「そりゃそうだ」
そういって俺は、彼女と反対側の椅子を引き、対角線上に座る。
真正面は何故だか、居心地が悪い気がした。
頬杖をつきながら、俺は話し始める。
「お姉さんには、感謝してるんだ」
「え?」
彼女が目を丸くする。
「こんな人間になりぞこなったような俺を、名前も知らないあんたは優しくしてくれた」
「本当に感謝している」と、手を膝に乗せながら上半身を折り、頭を下げる。
「……なにさ。急にかしこまって。らしくないぞ」
彼女の潤んだ瞳と口元に浮かんだ優しい笑みが、「俺はやっと何かを返せたらしい」という気分にさせる。
「少し人生の話をしよう」
「は?」
どこか感慨に浸っていたような彼女の顔が、一瞬で虚を突かれたようになる。
まあそんなことはどうでもいい。
形だけの感謝では意味をなさない。意図まで伝えてこその感謝感激理科社会、と。
「俺は名前のとおり、ほとんどが未定だ」
「あ、うん。そうっぽいね……毎日行き当たりばったり感すごいし」
「うん、そうだ」
「うん、そうなんだ。で?」
「さらに言えば、将来も進路も今日の晩飯さえも未定だ」
「晩御飯は関係ないでしょ……」
「まあ聞け」
「はーい」
大仰に肩をすくめ、目を瞑って楽しそうに笑う彼女を見て、俺はひとつ首肯する。
「だからまあ、人生のタイトルが未定と言ってもいいだろう」
「はあ」
「だから、進路を決めてくれたお姉さんには感謝してる」
「は?」
「なんでも良かったんだ、進路なんて。……だが、俺には誰かの“一押し”が必要だった。そんだけだ」
「意味わかんないし……ほんとに、家の近くで選んだの?」
「まあそうだな」
実際、まじでどこでもよかった。
勉強なんてもんは一人でできるし、誰か親しい友人と一緒に行きたい学校がある、なんて夢を膨らます余地もない。
でもな……今は、ここから離れたくないと思うほどに、何故か居心地がいいんだ。
「まあ結局、全部戯言だ。俺がただそうしたいからそうしただけ。それ以上でもそれ以下でもない」
「オーケー?」と付け足し、俺は彼女に視線を送る。
「お、おっけー」
「じゃあ、開けていいぞ」
またしても、壊れたロボットのように動かなくなってしまう彼女。
再度、開けてもいいぞ、と声をかければ、次は無言で丁寧に梱包を解いていった。
「大したもんじゃねーが、受け取ってくれ」
彼女が箱を開いて、まず取り出したのはハンドクリームだ。
俺が好きなホワイトムスクの香りにしておいた。
(雲聲さんきゅー)
消耗品だし、これぐらいならキモがられないだろ。
「ま、使うか使わないかは、お姉さんに任せるが……感謝の気持ちとして、受け取ってくれ」
「いや、ありがたく使わせてもらうよ。意外とセンスいんだね」
「ん、まあそうだな」
半分ぐらいは俺のセンスだし、素直に褒められたと受け取っていいだろう。
「ん? あとこれなに? 手紙かな」
「そっちが本題っちゃ、本題だ」
「……愛の告白?」
「愛ではないが、告白ではあるな」
普通の人なら、一番最初に済ませて、なんの憂いなども抱かないであろう行為。
俺はそこに、結構な時間がかかってしまった。
ゆっくりと便箋を開ける彼女。
おっかなびっくりと紙に触れるその手先は、少し震えているように見えた。
『未定翔』
それが、俺の名前だ。
「みてい、かける? なにこれ。名前?」
「ああそうだ。俺が嫌っている名前だ」
苗字が未定なのに、どうやって翔けるんだよ。馬鹿か。
「……可不可瞳」
「あ? あんだって? 声が小さく――」
「可不可瞳! あたしの名前!」
机にばーんと手を置き、こちらに身を乗り出す彼女。
「カフカ、ヒトミ? 変な名前っ」
にへらっと笑ってしまう。
「お互い様でしょ!」
「ははっ、それもそうだ。……んじゃあ、変な名前同士。これからよろしくな」
そう言って、俺は右手を差し出す。
その右手に、彼女の小さく華奢な右手が触れる。
「人生も進路も将来も未定同士、これから頑張っていこうぜ。な、カフカ」
「私は違うよ……と、言いたいところだけど。似たようなもんだし、いっか」
「お? おねえ――じゃなくて、カフカも問題を抱えてる側か。意外だな」
「うるさいなぁ。あと、瞳の方で呼んでよね。可不可はあたし、嫌いなんだよね」
「ああそうか。じゃあ、ヒトミ。人生のタイトル未定同士、これからよろしく」
「また変な言葉作ってるし……まあいいやっ。うん! よろしく!」
そう言って、強く手を握り合った。
将来だって、進路だって、今日の晩飯だって決まってなくとも、隣人の名前が“決定”するだけで、こんなに心が救われることもあるんだ。
人生なんて案外、悩むもんじゃないな。
そんな感想が浮かんだ。
「ああ、末長く、な」
「それはやだ。めんどくさそうだし、翔」
「そりゃちげぇねぇや」
そんな今日は、ホワイトクリスマス。
窓の外を眺めると街灯が閑散とした、街並みを輝かせている。
いつもの何気ない日常が、どこか“特別”なものに変わったように思えた。
そんな日を、俺は瞳と過ごした。
あざした。




