第一話「行き先未定の夜の散歩旅」
何が書きたいのかは知りませんが。
多分、戯言でしょう。
厨二病語録No.007。
『瞬間移動』
その妄言が実在するなら、ずぶ濡れの男は存在しなかった。
高校二年の夏。
将来を憂う時期に差し掛かっているらしいが、もう俺は手遅れだろう。
夜の散歩旅という社会貢献活動も、俺の脳内で終わりのゴングを鳴らしかけている。
片手にはコンビニ袋、もう片方には傘。
「俺に死角などないはずだった……」
俺の戯言を遮るように、水たまりを踏み抜いた車が走り去っていく。
あれだけ派手に俺を犠牲にしたのだ。
世界の一つや二つ、救いに向かっていてほしい。
できれば、あそこのいたいけな少女もついでにどうにかしてほしい。
車に絶対防衛戦は破られた。
次に破られるのは、俺の人生設計あたりだろうか。
いや、これまで俺は平穏を守り続けてきた。
今回も、見なかったことにすればいい。
「……はずだったんだがな」
× × ×
「これは社会貢献に入ると思うか?」
未定不確。
それが俺の名前であり、謎の美少女に向けた第一声はそんな失礼極まりないものだった。
まったく。将来の不安を想起させるそんな名前が呼び込んだのかは知らないが、この日、どうやら俺は選択を間違えたらしい。
彼女は雨を吸って重たげな髪を掻き分け、こちらを見ないまま沈黙している。
その横顔は雨に濡れてもくすむことはなく、むしろ形の整った鼻筋と輪郭をやけにはっきりと浮かび上がらせていた。
水も滴るいい女……というのは、こういう奴を指すのであろうか。
「――詭弁だね、悪党」
その声は降り頻る雨、つまりは轟音の中でさえも、俺の鼓膜を心地よく叩いた。
美しい少女だった。手入れの行き届いてるであろう、腰まで届く白髪の髪。理知的な漆黒の瞳でこちらを見据えている。
「……どういうことだ」
時が止まる、というのはこういうことだろうか。
見慣れない草原。
その広大な一等地に、一つの机と二つの椅子が並んでいる。
……現状が異世界ファンタジーと仮定して、この場合は魔女裁判でも始まるのか?
「君の罪は、名前だよ」
「……名前だと?」
机の上に置かれている両手は、綺麗に重ねられている。
その傍には、冷めやまない熱を感じさせる紅茶と、形の整いすぎた焼き菓子が用意されていた。
……机の上は濡れていない。
ユーモアにしても、神の悪戯にしても、笑える冗談の範疇を超えていることだけはわかった。
それについては、目の前の見目麗しい――もとい、暫定・魔女裁判長様に、断罪の理由ごと説明してもらおう。
「そうだね。未定不確……というのは、随分とたいそうな名前だと思うんだ。誰につけてもらったか聞いてもいいかな?」
「……誰だろうな。少なくとも俺ではないことは確かだ」
「じゃあ、親御さんかな? だとしたら、それは不親切……と、その前に。立ち話もなんだから、座ったらどうかな」
……俺は彼女を睨め付けながら、ゆっくりと椅子へ向かう。
一体彼女が俺の何を把握しているのか。その真意を問いただしたい気持ちをグッとこらえ、音を立てないように椅子を引く。
腰を背もたれに預け、安堵を浮かべた瞬間、彼女が指を鳴らした。
世界が切り替わる。
「雨が、止んだ?」
事態を理解できずに、あたりを見回す。
しかし、その道中で彼女の視線に気づく。
その視線が俺の行動を値踏みしているように見えて、俺は反射的に平静を取り戻す。
「そんなに焦らないでいいよ。まずは座って、息を吸って、吐いて。君が置かれている状況を理解しよう」
「……まあ、いいだろう」
改めて俺は腰掛けると、安堵にも似た吐息をこぼしてしまう。
それを見て、彼女はクスッと笑うが、俺はもう気にしない。
この場の主導権は完全にあちらにある。今さら取り繕うったって、無意味であろう。
俺は机に肘を乗せ、頬杖をつきながら、彼女を見据える。
「さあ、教えてもらおうか。そうだな……まずは、俺の罪状からの方がいいか?」
「ふふ。可愛い子だね。本当に可愛い」
俺の反応がよほど面白かったのか、鈴のような声を出しながら笑う少女。
蠱惑的な笑みに魅入られそうになるが、親指の爪で人差し指を刺し、その自我を捻り潰す。
「……その前に、お前の名前を聞かせてくれ。俺は人の名前が確定していないと、不安になるんだ」
「そうだねぇ。何にしようか。君につけてもらうってのも、それはまた重畳かもしれないね」
「そんな戯言はいい。なんでもいいんだ。お前の名前を呼ばせてくれ」
次は人差し指の爪を使って、机を叩く。
なぜこんなにも苛立っているんだろうか。別に名前なんて、大した意味を持たないだろうに。
でも、なぜかここで聞いとかないと――いけない気がした。
「ドナ。ドナだよ。もっとも、本名かどうかは怪しいけどね」
「わかった。ドナだな。これからよろしく頼むぞ」
「?これからはないと思うけど、よろしくお願いするよ」
そこでぺこりと上半身を折って、お辞儀をする。
俺もそれにならってお辞儀を返そうとしたが、ばかばかしくなってやめた。
少し笑みが溢れる。
「お前は存外、面白いやつなのかもしれないな」
それを受けた彼女は、きょとんとして、口まで開いてポカーンとしている。
「……それよりも!罪ってやつは、もう聞かなくてもいいのかい?」
少し視線を左に傾けて、口まで尖らせている彼女は、図星を突かれたようだった。
図星?というのは変な話だな。虚をつかれたとでも言っておこうか。
「あぁ、俺がしでかした罪なんて、たかがしれているだろう。それよりも、さっきの意味を聞いてもいいか」
「さっき?さっきってどれかな。君からの質問は、名前と罪についてしか聞かれていないと思うけど」
彼女がこちらを正面に見据える。
ここで初めて俺は、彼女の顔をしっかりと直視できたのかもしれない。
柔らかな面差しに、艶と幼さが同居しており、どことなく高貴さがうかがえる魅力的な顔だ。
……一歩間違えれば、惚れていたかもしれんな。
そこで、俺が何も言わないのを訝しげに思ったのか、彼女は「おーい」と言ってくる。
ああ悪いな。また妄言が爆発してしまったようだ。
「……さっきってのは、重畳かもしれないねってやつだよ」
「重畳?ああ、それはそのままの意味だけど……もしかして、意味がわからないとかそういうやつ?」
「んなわけないだろ!幾重にも重なるさま。あるいは、喜ばしいことだろ?何が重なっているかを聞いているんだ」
「……それは君が考えるべきさ。僕が教えることじゃない。少なくとも今の僕にはね」
「?でも、でもさっき――」
!?ここで目の前が真っ白な光に包まれる。
俺は振り払おうとして、手をぶんぶんふるが、前は見えない。
でも、かすかに声だけ聞こえてくる。
「君は……君はさ。たくさんの人と出会うのがいいよ。うん。それがいい。僕なんかより素敵な人が、君の世界にはたくさんいるはずだから」
彼女の声が震えている。それだけで、なぜか胸を締め付けられる。
「さあ、もう時間だよ!君は君のために生きるんだよ!もうこんなところに来ちゃダメだからね〜」
その言葉を聞き届けた瞬間、俺の意識は完全に霧散していた。
ご高覧いただきありがとうございます。




