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冥王の庭に咲くもの ― 亡国姫と黒獅子の帝国譚 ―  作者: 唯 さらら
第一章 掌中の鳥 ~ 第一幕 帝国の象徴 ~
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1 逃亡の影

外門を越えた瞬間、王女の胸は熱く震えた。

だがその先に広がっていたのは、頼る者のない街道と、冷たい原野だった。


身につけていた指輪をひとつ外し、行きずりの商人に衣とまとめて引き取ってもらった。

返ってきたのは、粗末な外套と、わずかな銅貨の小袋。

絹の衣を手放して粗末な布地を身に着けた時、そのざらつく感触よりも、この先を生き延びられるのかという心細さの方が胸に重くのしかかった。


それでも足を止めることはできなかった。


畑と林を抜け、小高い丘をいくつも越えた。

振り返るたびに帝城の塔は霞み、やがて空の彼方に溶けて消えた。

胸の奥にわずかな解放感が芽生える。

だが、それが長く続くものではないことも、王女はわかっていた。


やがて馬車の席を得て、見知らぬ人々と肩を並べるようになった。

商人、巡礼の老人、子を抱いた農婦。

彼らの目に映るのはただの旅人であり、王女ではなかった。

そのことに胸の奥でほっと息をつく一方で、追手への不安は影のように離れなかった。


銅貨は次第に減り、馬車も、まともな宿も手放さざるを得なくなる。

靴底は薄くなり、雨に打たれた外套は乾く間もなく重くなる。

納屋に潜り込んで夜を明かすこともあり、焚き火の煙を遠くに見ながら飢えをこらえた。




そんなある夜。

辿り着いた街道沿いの安宿に足を踏み入れた王女は、すぐに空気の異様さを感じ取った。

酔いどれの笑い声、値踏みするような視線。


王女は踵を返し、闇の中へ足を速める。

だが背後で椅子の軋む音、重い足音が続いた。

振り返れば、暗がりにいくつもの影が蠢いている。


胸が凍りつくより早く、王女は駆け出していた。


「はぁ……っ、はぁ……っ!」


石畳を蹴る音が夜に響く。

狭い路地を抜け、野道へ飛び出す。

背後から、嗤うような声と足音が迫る。


恐怖に涙がにじみ、喉が焼ける。

それでも足を止めることはできなかった。


やがて、ふいに背後の足音が遠ざかる。

怒声が消え、夜の静けさが戻っていた。

恐る恐る振り返っても、追ってきた影の姿はどこにもない。


ただ、遠くの闇の中に、馬蹄の音がかすかに響いていた。

その存在に気づくこともなく、王女は荒い息を吐きながら道端に膝をつく。


「……まだ、進まなければ……」

震える足で立ち上がり、再び歩みを進める。




さらに数日が過ぎ、街道の先に人の営みの匂いが漂ってきた。

焚き火の煙、馬のいななき、子供の笑い声。

王女の目に、小さな宿場町が姿を現した。


煙突から立ち上る煙。石窯から漂う香ばしい匂い。

王女はふらつく足を引きずりながら、その匂いに導かれるように前へ進んだ。





── 帝城・執務室 ──


「……陛下。王女は西方街道沿いの宿場町へ辿り着いたようです」

鋼を思わせる灰銀の髪を肩口で切りそろえた側近――セヴランが、静かに一礼して告げた。


窓辺に立つダリオスは、わずかに口角を吊り上げて笑い、

壁にかかる地図を眺めやる。


その黒い瞳には、獲物を見失わぬ獣の光が宿っていた。


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