1 務めと役割
── 帝城・謁見の間 ──
高窓からの光が白く石床に落ちていた。
玉座の背後には黒獅子の紋章が掲げられ、金と漆黒の輝きが静かな威を放つ。
壇下には衛兵の列、脇に控える書記官と数名の廷臣。
彼らの沈黙が、この場が儀礼であることを物語っていた。
重々しい扉が開かれ、王女は赤い絨毯の上を進む。
その足音が広間に響き、光に照らされた影が長く伸びた。
玉座に座すダリオスの瞳が、冷ややかに彼女を射抜く。
沈黙ののち、低い声が響いた。
「……王女。お前には利用価値がある。下働きとして床を這わせるだけでは、あまりにも惜しい」
胸がざわめく。
床を這わせた当人の口から「惜しい」と聞かされる――その矛盾に、どうしようもない屈辱を覚える。
玉座の傍らに控えるセヴランが一歩前へ出る。
「これより姫君には、“帝国の覇と慈悲の象徴”として振る舞っていただきます」
「……象徴?」
眉をひそめ、思わず聞き返す。
セヴランは微動だにせず、淡々と続けた。
「亡国の王女がなお生かされ、陛下の御手のもとにある姿。それこそが帝国の力と慈悲を示す証です。
臣民には秩序を、諸国には畏れを、貴族には皇帝の恩寵を――そのすべてを、あなた一人が体現なさるのです」
「……私を、見世物にするつもりですか」
震える声。怒りと羞恥が喉を焼く。
玉座の上で、ダリオスの口角がわずかに動いた。
「見世物か、象徴か……呼び名は好きにすればいい。お前の存在が帝国の力を物語る――それが新たなお前の役目だ」
セヴランがさらに言葉を継ぐ。
「姫君の最初の務めは、一月後に開かれる帝国建立一周年記念式典の夜会です。
征服から一年、帝国の秩序が整った節目に、亡国の姫がなお生かされている姿を示すこと――それが何よりの証となりましょう」
その言葉に、王女は息を失った。
一年前。
古き王国――王女の故国を滅ぼしたその覇業をもって、ダリオスは国号を「帝国」と改め、自らを「皇帝」と称した。
帝国建立一周年――それはすなわち、故国滅亡から一年の刻。
つまりその式典は、彼女の故国滅亡を祝う宴であった。
己の国の滅亡を、灯と音楽で飾り立て、帝都を挙げて讃える場。
その舞台に、自分が「象徴」として立たされる――。
王女の胸に、冷たい鉄槌のような衝撃が落ちた。
血が逆流するように頭に昇り、喉の奥で声にならぬ呻きが震える。
(……私の国を滅ぼしたことを祝して、笑い合い、杯を掲げる……?
そして私は、その傍らで飾り物のように立て、と……?)
羞恥と憤怒が入り混じり、目の奥に熱が込み上げる。
叫びたい。罵りたい。
だが胸を満たす衝撃が大きすぎて、言葉は唇を越えなかった。
ただ、絶句。
己の沈黙こそが屈辱の証のように思え、さらに胸を苛んでいった。
悠然と玉座に腰掛けたまま、ダリオスが低く告げる。
「お前は夜会で突っ立ってるだけでいい」
石壁に反響するその声は、もはや宣告であり、逃れようのない枷であった。
それでも。
胸の奥で燃え上がる感情が、ついに声となる。
「……もし、私が“嫌だ”と言ったら?」
玉座に座す男の笑みがすっと消える。
空気が一瞬で張り詰め、臣下たちの息づかいすら遠のく。
「これは遊戯ではない。罰でも褒美でもない。――命じられた役目だ」
低い声が、広間の石壁に重く反響する。
ダリオスが玉座から立ち上がる。
靴音が階段を下りるごとに、冷たい響きが広間を支配していく。
「下働きには、下働きの務めがある」
一段、また一段。
「兵には、兵の務めがある」
影が近づくたびに、王女の膝がかすかに震える。
「為政者には、為政者の役割がある」
ついに目前に立ちはだかる影。
その圧に押され、王女は思わず息を詰めた。
彼は顎を指先で持ち上げ、琥珀の瞳を強引に捕らえる。
「そして――亡国の王女には、亡国の王女としての役割がある」
黒い瞳が至近から突き刺さる。
その存在そのものが「逃げられぬ檻」であるかのように、王女を覆った。
「役割……」
震える声。
「そうだ。お前が望もうと望むまいと、血と立場がそれを決める。生きる限り、その役割を果たせ」
王女は息を呑むが、必死に声を絞り出した。
「……下働きの者には下働きの者の、兵には兵の、為政者には為政者の務めや役割がある――それは、わかります」
そこで一度、喉が震えた。
唇を噛みしめ、胸の奥から押し出すように続ける。
「亡国の王女の務めがあることも……わかっています。だからこそ……陛下に抱かれることも、私は受け入れてきたのです」
声が震えたが、その瞳には炎が宿っていた。
「けれど……亡国の王女が、故国の滅びを祝うことを務めとされるなんて……そんな道理はありません!」
広間の空気が揺らぎ、傍らに控える者たちが思わず息を呑む。
王女の燃える瞳を正面から受け止めながら、ダリオスの言葉が鋭く落ちた。
「勘違いするな。役割とは自ら選ぶものではない――支配する者が定め、支配される者が従うのだ」
その断言は、重石のように王女の胸に落ちる。
理不尽だと叫びたい。否を突きつけたい。
だが――。
今の自分には、その力がないことを痛感する。
ただ燃えるような瞳で睨み返しながら、声は喉の奥で凍りついていた。
「……」
沈黙。
その沈黙は屈服ではなく、抗いながらも言葉を持たぬ己を認める沈黙だった。
ダリオスは指を離し、王女の顎から手を退ける。
その目にわずかな愉悦を宿しつつも、口元は笑わなかった。
「それでいい。今はまだ、言葉を持たぬなら黙していろ。だが――役割から逃れることはできん」
広間に再び沈黙が落ちた。
王女は押し黙ったまま、己の無力を噛みしめるしかなかった。




