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39 想いの果てに


 ユキは少年に(かか)えられていた。


 (すご)い速さで流れていく景色。少年の走る速度は普通の人間をはるかに越えていて、ユキはしがみついていることくらいしかできなかった。それでも、片手で支えてくれている少年の負担になるべくならないように必死にしがみつく。


 聞こえてくるのは重いものが空を切る音。それはおそらく、少年の手にした大剣が振られているのだろう。


 自分からは見えない位置で行われている戦闘。それが自分のために引き起こされているかと思うと、居ても立ってもいられないような気持ちになる。


 それでもユキは少年にしがみついたまま、ただ目をつむり続けていた。自分にできることなんて何一つない、それがわかっているからこそ少年のことを信じ、祈ることくらいしかできなかったのだ。

 だが。



「っぁ!」



 聞こえたのは、聞き間違うはずもない少年の呻くような声。それだけでユキの心は驚きに凍りつく。



「しらかみっ!?」



 慌てて少年の顔を見上げる。

 しかし、



「掠めただけだ、問題ない」


「っ」



 平然とした顔でそう返され、何も言えなくなってしまうユキ。

 少年はそんなユキから視線を逸らし、そのまま何かに向かって大剣を振る。それは余計なことは聞くな、そう態度で示されているのだと理解できた。


 視線を落とすユキ。


 何かが起きているとわかるのに、抱えられているユキがそれを知るには少年の顔を見て推測するくらいしかないのだ。ぎゅっ、と。少しでも不安を打ち消そうと、ユキは固く少年の服を握りしめる。


 しかし、それからもずっと何かが斬られているような、そんな嫌な音が風に流されながらも聞こえてくる。そして、少年の体越しに伝わってくる僅かな衝撃。それらはユキの不安をどうしようもなく増幅させていく。


 そんな状況がしばらく続き、ついに不安に耐えきれなくなったユキがまた少年に声をかけようとした、その時。



「っ!!」



 突如として驚きに染まる少年の表情。

 そこから感じるのは今までとは違う、緊迫したかのような雰囲気。ユキは慌ててその視線の先を目で追う。


 そこにいたのは、左右からこちらを追い越して前に出てきた二人の兵士。

 少年の体に遮られ、一切見えていなかった追手の兵士たちの姿。



「ーーーっ」



 それだけで捕らえられた時の記憶が蘇る。一気に乾燥していく喉。兵士たちの手に握られている剣は、まるで命を奪う瞬間を心待ちにするような輝きを放っていて、恐怖のあまり体が震えそうになる。


 だが当然、相手は止まってなどくれない。


 くるり、と反転してこちらに迫りくる兵士たち。



「くそっ」



 聞こえたのは少年の声。

 それと同時に兵士たちの姿は、少年の手にした大剣によって遮られる。まるで大きな盾であるかのように、大剣がユキの体をすっぽりと隠したのだ。その意味を理解し、思わず少年を見上げるユキ。


 だが。

 次の瞬間、兵士たちが通り過ぎていく気配と同時に、少女の瞳は飛び散った真っ赤な液体を映す。



「しら、かみ・・・?」



 呆然としたままに漏れたのは呟き。

 飛び散った赤い液体、それがなんなのかはユキでもわかる。そして、それが少年の体から溢れたものだということも。

 見られたことに気づいたのか、少年は慌てたように口を開く。



「大丈夫だ、ちょっと切れただけでーーーっ」



 ユキは誤魔化そうとする少年の背中に、恐る恐る手を伸ばす。ずっと体越しに鈍い音と衝撃を感じていた場所。少年の言葉通り、本当に大丈夫なのだと、そう信じたいがためだけにユキはその背中にそっ、と触れる。

 何もない、本当に大丈夫なはずだと信じて。

 その瞬間。


 びくっ、と震える少年の体。


 それと同時に平然としていたはずの少年の表情が一瞬だけ崩れ、確かな苦痛の色が浮かぶ。思わず目を見開くユキ。


 今までの平然とした表情、それは本当の表情を隠すための仮面だったのだ。そしてようやく気づく。少年は痛みに耐えてでも、自分を安心させようとしていたという事実に。


 手のひらを濡らしているのは生温い液体。


 まさか、と。何が起きているのか、それをほとんど理解しながら、それでも信じたくなかったユキはゆっくりと自らの手を確認する。


 そして、目の前に突きつけられる現実。

 その手は、少年の血液で真っ赤に染まっていた。



「そんな、どうして・・・嫌、いやっ!」



 受け入れられるはずがなかった。





少年に守られ、全ての原因であるはずの自分が無傷でいるのに。

抱き抱えられ、密着するほど近くにいるはずなのに。

少年の痛みに、気づけていたはずなのに。





 自分のために少年が命の危機に(さら)されているという事実を、その事実にすら気がつけなかった自分自身を、受け入れられるはずがなかった。



「私はいいから、私が捕まるからっ! お願いだからもう止めてっ!」



 ユキは少年の手から降りようと必死に体をよじる。

 これ以上、少年が傷つけられていくのをただ見ていることなんてできなかった。できるはずがなかった。少年が今すぐにでも死んでしまうかもしれないのに、じっとしてなんていられるはずがなかった。



「っ、ユキ、大丈夫だから落ち着いてくれっ」



 慌てたような少年の声。

 だが、その言葉はユキの頭には入ってこなかった。落とさぬよう必死に押さえようとする少年の腕の中でもがき続けるユキ。


 もし落ちればどうなるのか、そして自分の行動がどのような事態を引き起こしかねないのか、それすらも考えられないほどにユキは取り乱していたのだ。



「お願いだから、しらかみに死なれたら私は、私はっーーー」



 それはもはや懇願だった。

 少年が死んでしまう、そう考えただけで心が潰れてしまいそうだった。ユキにとって、少年の存在はそれほどまでに大きくなっていたのだ。


 少年を傷つけたくない、失いたくないと、それだけを思い続けて抵抗するユキ。

 そして。




 その想いは結果として、少年をさらなる危機へと追いやる。




 ぎゅっ、と。

 突然、両腕で固く抱きしめられたかと思うと、目に映る景色が変わる。少年が進行方向に向かって背を向けるように体を反転させたのだ。それはまるで、自らの体を盾にするような体勢。

 そして、すぐに。



「ーーーっぁ!?」



 響いたのは少年の呻き。

 少年の体越しに伝わってきたのは今までにないほどの衝撃。それと同時に飛び散るのは、先ほどとは比べものにならないほど大量の血液。


 思わずユキは悲鳴を上げる。


 何が起こったのか、それはユキにもわかった。そして少年がなぜ、防御せずに背中を向けたのかも。


 じわり、と。ユキの握りしめている少年の服に、背中から(つた)ってきた血液が(にじ)んでくる。

 それは溢れ出た血液がどれほど多かったのか、それを如実(にょじつ)に示していた。



「そんなーーーぁ、ぁあ・・・」



 呆然と呟くユキ。

 体から力が抜けていく。まるで頭の中が凍りついてしまったかのように、全ての思考が停止していく。

 自分のしてしまったこと、ユキはその意味をようやく理解できた。




 あまりにも高い、代償を払って。




 ふらつく少年の体。そして、こちらからでもわかるほど蒼白になっていく顔。


 服越しにでも感じられるほど、徐々にその体から温もりが失われていく。体温が失われ、よろめく体。それは少年の命が危機に(さら)されていることを、なによりも生々しく伝えていた。



「だめ・・・死なないで・・・死なないでよ・・・」



 震える声で呟く。

 身勝手なことだとはわかっていた。


 今の状況、それは全てユキ自身が引き起こしたこと。ユキが少年に抱えられたままで大人しくしてさえいれば、否、それ以前に外に出るなという少年の言いつけさえ守ってさえいれば、こんなことにはならなかった。


 少年がこれ程の傷を負うこともなく、死の瀬戸際に立たされることもなかった。いつものように、他愛(たわい)もないことを言い合っていたはずだった。


 溢れるのは涙。


 出会ってから今まで、短くても楽しい時間を過ごせていた。信頼できる人が(そば)にいてくれる、それだけで安心できた。かつての、王女としての自分では絶対に得られなかったであろう、かけがえのない存在。


 それが失われていくのに、耐えられるはずがなかった。


 ついに少年の足が止まる。

 こちらに向かってくるのは赤い軍服の兵士たち。その手にあるのは剣。少年の命を奪うための、鈍く輝く刃物。



 「もう()めて、私は逃げないから!」



 少年の体に手を回し、ユキは少年が斬られぬよう(かば)いながら叫ぶ。これ以上、少年が傷つけられていく姿を見ていられるはずがなかった。


 それでも兵士たちは止まらない。


 少年に止めを刺すため、剣を構えて容赦なく突っ込んでくる。

 少年へと迫る刃。ユキは自らの無力を嫌というほど噛み締めながら、それでも必死に兵士たちを止めようとして。

 そして。




「ーーー皆殺しに、すればいい」




 聞こえてきたのは感情の感じられない、恐ろしいほどに冷たい声。


 ユキは初め、それが少年の口から漏れたものだとは信じられなかった。それは人のものとは思えないほど異質な、寒気さえ感じられるほどに冷たすぎる声。

 思わずユキは少年を見上げようとして。

 ーーー瞬間。



 グシャッ、と。

 響いたのは鈍い音。



 目の前で撒き散らされたのは鮮血。それと同時に複数の重たいものが、水気(みずけ)を含んだ音をたてながら地面へと落下していく。


 その光景を目の当たりにしたユキは言葉を失う。


 それは肉の塊。

 まるで熟した果物が落ちたかのように僅かに地面を跳ね、赤い血の尾をひいて転がっていく何本もの腕。大量の液体を()()らしながら倒れるのは、不揃(ふぞろ)いに切断された2つの下半身。そして、そのすぐ隣に次々と落下したのは、斜めに分断された人間のーーー



「うっ・・・」



 そのあまりにも生々しすぎるものを見て、反射的に吐きそうになったユキはとっさに口元を押さえる。漂う濃い血の臭いのために体は震え、胃の中身が喉にまでせり上がってくる。


 何が起きたのか理解できなかった。左右に分かれ、真っ直ぐに突っ込んできていた兵士2人の体が目の前でいきなり分断されたのだ。その惨状を造り出したものが何なのか、それすらユキの目では捉えられなかった。

 だが。




 次の瞬間には、何が起きているのかを強制的に理解させられる。




 信じられないほどの速度で移動する体。加速し、一瞬で今までいた場所から動いたかと思うと。ユキの瞳は背後を取られ、驚愕の表情を浮かべる一人の兵士を映す。

 そして。


 メキッ、と。


 地面にめり込むのは巨大な(つるぎ)。それは兵士を頭から叩き潰し、まるで墓標のごとく地面に突き立っていた。

 そこを中心として地面に広がっていくのは様々なものが混ざり合った赤黒い液体。



「ーーーっ」



 ユキは呆然としたまま、少年を見上げる。

 そこには、感情を失ってしまったかのように、無表情のまま立つ少年がいた。まるでユキの存在など忘れてしまったかのように、向けられた視線を無視して少年は大剣を引き抜く。




 グチャリ、と嫌な音をたてて抜ける大剣。




 ひっ、と。

 そのあまりにも凄惨な光景に思わず悲鳴のような声が漏れる。

 少年の服を固く握りしめたまま、思わずそこから目を逸らすユキ。


 少年が一切の躊躇(ためら)いなく行ったこと、そしてそれによって造り出された目の前の光景を、信じられなかった。


 否、信じたくなかった。


 少年は今まで、どんな相手と戦う時でも手加減していた。怪我をさせることはあっても容赦なく人を殺した、なんてことは一度もなかった。少なくともユキから見た少年は、自らの中で越えてはならない一線のようなものを定めていたはずだった。

 しかし、今は。




 今は、明らかに違った。




 ポタリ、ポタリと大剣から(したた)り落ちていく、砂の混ざったどす黒い血液。漂ってくるのはあまりにも濃く、本能に訴えてくるような凄まじい臭い。

 その下、引き抜かれた大剣の刺さっていた場所を見る勇気は、ユキにはなかった。



「肉体の強化率を六割まで上昇、低下した身体能力の大幅な増加を確認。戦闘における条件としては左腕の不使用、重ねて出血を原因とした時間的な束縛・・・」



 無表情のまま呟く少年。

 声の起伏が一切ない、感情がないかのような言葉。その言動のあまりの変わり様に、まるで少年が心を失ってしまったかのように感じたユキは必死に少年へと言葉をかける。



「ーーーしらかみっ、どうしちゃったの!? こんなの、おかしいよ! それに体は、体は大丈夫なの、答えてっ!」



 だが。



「・・・使用可能な主要武器は2、狙うべきは早期決着。残敵は4、目標は殲滅・・・」



 ユキの言葉が聞こえていないのか、ぶつぶつと一人呟き続ける少年。


 背中からは今なお血が溢れているというのに、少年は大剣を手にしたまま全く動じることなく呪文のような言葉を永遠と紡ぎ続ける。その姿は、明らかに異常だった。


 体にはしる寒気。ユキの脳裏に、かつて聞いた『兵器』という言葉が(よみがえ)る。

 もし、今の少年の姿を何かにたとえるのならば。




 その『兵器』という言葉以上にしっくりとくるものは、何も思い浮かばなかった。





「うろたえるなっ、奴に再度攻撃をしかけるぞ! 強襲用第七陣形をとれっ!」



 残っている追手の兵士たちも、その異常さを感じ動揺しているのか叱責するような声がこちらまで聞こえてくる。それに反応して配置を変えようとしているのか動き出す兵士たち。


 しかし。


 ヒュ、と。ユキを抱えたまま、少年は一瞬で移動する。もはや常識を軽く打ち破る、ありえないほどの速度。そして少年は間合いを詰められ、恐怖と驚きの入り雑じった顔をする兵士へと躊躇いなく大剣を振るう。


 響くのは鈍い音。思わずユキは固く目を閉じる。


 これ以上、目の前で造り出される凄惨(せいさん)な光景を、冷たすぎる少年の表情を、見ていることはできなかった。



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