お蝶とその友達
お蝶とその友達
石見蝶華
嘉永元年1848年12月23日〜明治6年1873年7月15日
元治元年1864年4月、儚い登場時は十六才
元治2年1865年11月、家族登場時は十七才
慶応元年1866年12月、冬の道中記登場時は十八才。
チャランポランのお蝶も年齢を重ねると同時に少々しっかりしてきている。冬の道中記の時にはお姉さん的発言も…。
呉服問屋石見屋の長男に生まれるが、幼少期の時より女の子に間違われるほどの女顔であったため当時は其れが非常にトラウマであった。
しかも母のお絹が冗談半分に振袖を着せたり、化粧をしたりと玩具のように扱われ非常に嫌な思いをし乍ら幼少期を過ごす。
十二才の頃、母に反抗し男の格好をしてみるが、全く似合わず。その姿にガックリしてしまい。以降女性としての生きる道を選ぶ。
しかし、元が男であるため恋愛対象から外されることが多く、恋愛は多難を極める。
父は非常に厳しく家が金持ちであっても子供に小遣いを渡すようなことはしない。金が欲しければ自分で稼げ。これが石見家のモットーである為お蝶は十三才から三条うどんで奉公を始めている。
性格は、適当で、ちゃらんぽらん。興味のあることには必死になるが、興味のないことには振り向きもしない。右に曲がると言っておきながら平気で左に曲がっていく様な性格である。
基本的に人の話は聞いているようで、聞いていない。聞いていても覚えていない。
今日までお気に入りだったものが次の日にはどうでもよくなったりと、理解に苦しまされる。
要するに驚くほど適当なのだ。
十六才の頃に出会った平岡勘右衛門に恋をする。その時に連れて行かれた異人が経営する髪切りやに連れて行かれ自慢の黒髪をバッサリと切られてしまう。その為桃割がゆえなくなり、暫くの間はショートボブで過ごす。その時着物には桃割と頑なに思い込んでいた固定観念がなくなり、髪が伸びた後も桃割はしなくなった。
ショートボブで少し過ごした後は付け毛をして髪を伸ばしている。
登場するかどうかわからないが、お蝶には五才離れた妹豊実と七才離れた弟清道がいる。
桃割をしなくなったお蝶だが、お蝶最後の七日間は桃割で過ごしている。
舒洲光八
嘉永元年1848年10月28日〜明治27年1894年10月3日。享年46才
父源蔵と2人の姉、富江と花雫がいる。
14才の時に母を亡くしたショックで鬱病になるも、元々体たらくで内弁慶であった為あまり変化は見受けられない。
父は万屋三刀屋の番頭をしており家はそれなりに裕福である。しかし長男である光八は父母2人の姉に甘やかされて育った為、生粋の甘えん坊として成人していく。
其の為17才になっても未だ独り立ちできず、努力、我慢が出来ない性格故仕事も続かない有様であった。
ある時車屋が儲かると小耳に挟み、父の源蔵に人力車を買ってもらうも、思うように行かず結局人力車は友達の桃香に当時では破格の50両で売り払ってしまった。
勿論その事は父の源蔵には内緒だったのだが結局ばれてしまい大目玉を食らうことになる。
以降、色々と仕事をするも続かず。結局父から毎月小遣いを貰いながら生活をする事になる。偶にアルバイト程度の手伝いをし乍ら飲み代などを稼いでいた。
そんな光八だが、矢張り何時迄も独り身というのは情けない。と、酒場に通い娘を口説くが上手くいかず。
21才の時に桃香に言いよるも相手にされず。酔った勢いでお蝶に言いよるも逃げられると。女運はさっぱりのようだった。
40才の頃父の源蔵が他界し、2人の姉と父の財産を分け合うと。暫くはその金で贅沢の限りを尽くした。
受け取った金額は150両から500両とも言われているが、この金額の差は光八が周りの人間にハッキリとした金額を言わなかったので、周りの人間の憶測である。
しかし、光八はこの金を僅か3年で使い切ってしまう。
金がなくなり途方に暮れる光八は、家を売ることも考えたが、2人の姉の猛反対により断念。
途方にくれながら、酒場で酒を飲んでいると、父の友達である日本陸軍大佐秀野智成と出会い日本海軍中尉として迎えようと言われ入隊を決意。
決意の決め手は給金と訓練の楽さにあった。尉官待遇での入隊のため、訓練は指導員の立場であり、一般兵に比べ訓練は非常に楽である。と、言う秀野の口車に乗せられまんまと入隊させられた。
しかし、入隊後は持ち前の思わせぶりを発揮し、作戦会議でも抜群の発言力で他を圧倒していった。
しかし、日清戦争が勃発するや。体調不順が続きしばしば訓練を休む回数が増えて行く。
そんな光八を危惧し、秀野は光八を朝鮮半島に派遣することを決める。光八も戦地に赴けば覚悟が決まるだろうと言う思いからの出兵であったが、いざ戦地に到着するや、戦場の緊張感に耐えられず敵前逃亡を図る。
その3日後に確保され、翌日弁明の余儀なく敢え無く銃殺刑となりこの世を去る。
広前桃香
嘉永元年1848年5月13日〜昭和7年1932年1月27日享年84才
母の晴代は女髪結いで生計を立てており、姉の桃花は母の元で髪結いの修行を重ね一家の生計を賄っていた。勿論、父はいるのだが俗に言う髪結いの亭主として毎日をダンダリと過ごしている。
その為桃香は幼少の頃より、女が働き男を食わせるといった考えが植えつけられ、否応なしに働くことを余儀なくされた。しかし母や姉のように手先が器用でなく、父に似た所為かたくましく力も強かったため、車夫の道を選んだ。
21才の時に車夫をしていた10才年上の男性と結婚。その3ヶ月前には光八に迫られたが拒否している。
翌年には男子をもうけた。
幕末の動乱をえて、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変を経験した乙女。
満州事変が勃発した翌年。桃香はもう疲れた…。と言ってぽっくり逝ってしまった。




