第12話 花屋の少女:癒月草:複製!
花屋は、大通りから一本入った、日あたりのいい角にあった。
店先には、色とりどりの鉢植えや切り花がずらりと並び、あたりには甘い匂いが漂っている。
(花屋に入るのは初めてだな……)
元の世界では、ほとんど縁のない場所だった。
それでも、こうして眺めていると、少し心が和む。
忙しかったあの頃も、部屋に花の一つでもあれば、少しは違ったのだろうか。
そんなことを、ふと思ってしまう。
(さて……癒月草は、どこだろう)
携太が店先を見回した、その時だった。
店の脇で、しゃがみ込んでいる小さな人影に気づいた。
狼のような灰色の耳と、ふさりとした尻尾。
獣人の少女だった。
歳は、十四、五くらいだろうか。
小柄で、痩せている。
服は、あちこちがほつれた粗末なもの。
足元を見ると、靴も履いていない。
水やり用の桶を運んでいたところらしい。
その少女の足元で――
一匹の猫が、じゃれつくように、しきりに体をこすりつけていた。
少女は、ぶっきらぼうな手つきで、それでも猫の頭を軽く撫でてやっている。
(……猫、か)
ふと、携太の頭に、先ほどの記憶がよぎった。
料理を消した自分の手を、じっと見上げていた、あの猫。
(いや、まさかな)
猫なんて、どれも似たようなものだ。
そう思い直した、まさにその瞬間だった。
猫がぴたりと動きを止め、こちらを見た。
少女の足元で小さく一声鳴くと、興味を失ったように、ふいとその場を離れていった。
数歩進んだところで、猫は一度だけ振り返った。
その金色の目が、携太をじっと見る。
だが、それも一瞬だけだった。
猫はすぐに視線を外し、路地のほうへ消えていく。
残された少女が――
ゆっくりと顔を上げ、携太を見た。
じっ、と。
警戒するような、鋭い目だった。
何を言うでもなく、ただ、見ている。
(……えっと)
見つめ返すのも気まずくて、携太は視線を泳がせた。
◆
「お待たせ、ルカちゃん」
奥から、エプロン姿の女性が出てきた。
この店の主人らしい。
年の頃は、携太と同じくらいに見える。
「はい、今日の分のお金だよ。よく働いてくれて助かったわ」
「……どうも」
少女――ルカ、というらしい――は短く答えると、首から下げた小さな巾着袋の口を開け、受け取った硬貨をそこへ滑り込ませた。
そして、巾着袋の口をきゅっと絞ると、その上から小さな手でぎゅっと握りしめた。
ほんの一瞬、悔しそうにも、ほっとしたようにも見える顔をした。
店主の女性が、ふと携太に気づく。
「あら、いらっしゃいませ。何かお探し?」
「あ、はい」
携太は、我に返って向き直った。
「癒月草を、探しているんですけど」
「癒月草ね。あるわよ。……といっても、今そこにある分だけだけどね」
店主が指さしたのは、店先の隅に置かれた、淡い緑の草だった。
細い茎の先に、月あかりのような白い小花を、いくつも咲かせている。
細長い花瓶に、まとめて挿されている。数えると、十本ほどだろうか。
「観賞用だから、そんなに数は置いてないの」
◆
(さて……どれにするか)
携太は、並んだ草を見比べた。
だが、見たところで、違いなど分からない。
どれも同じ、白い小花をつけた草にしか見えなかった。
(まあ、依頼はFランクだし……どれでもいいよな? オラクル)
手前の一本に、なにげなく手を伸ばしかけた、その瞬間だった。
『いいえ。鑑定をしてみるべきです』
頭の中に、オラクルの声が響いた。
(……え?)
携太は、周りに聞こえないよう、心の中で問い返す。
(どれでもいいんじゃないの? 依頼はFランクなんだし)
『依頼ランクFは、依頼の難易度です。物には、それとは別に品質ランクがあります。所持者のランクとも関係ありません』
『依頼詳細には「薬として使用するため、品質ランクE以上の癒月草に限る」と記載があります。Fは観賞用にしかならず、納品しても受理されません』
(……そんな細かいこと、書いてあったっけ?)
受け取った時、カードの裏に依頼名と納期が浮かんでいたのは見た。
けれど、それ以上の詳しい条件までは確認した覚えがない。
(まあ、ちゃんと確認しなかった俺も悪いんだけど……)
それでも、一言くらいはぼやきたくなる。
(知ってたなら……「E以上じゃないと受理されませんよ。確実そうな薬師と、安いけど当たり外れのある花屋、どっちにします?」くらい、先に聞いてくれてもよかったのに)
『薬師の店では、同じ癒月草でも、下手をすると倍近い――200イエンほどで売られている可能性があります』
『ですので、より安く手に入る花屋を、先におすすめしました』
(……なるほど。薬師だと、そんなに高いのか)
それを分かったうえで、安いほうを先にすすめてくれていたらしい。
(……それなら、まあ、仕方ないか。……とはいえ、複製する前提だし、買うのは一本きり。この程度の差なら、正直どっちでもよかったんだけどな)
釈然としないまま、携太は小さく息をついた。
(相変わらず、こいつの間合いは掴めないな……)
必要なことを、必要なぶんだけ、ぽつりと寄こしてくる。
親切なのか、不親切なのか、いまだに判断がつかなかった。
◆
(……人前で出すのは嫌だが、致し方ない)
携太は、ズボンのポケットに手を入れる。
そのままポケットの中で異空間からスマホを取り出し、何食わぬ顔で手を抜いた。
傍から見れば、ただポケットから黒い板を出しただけだ。
携太は黒い板を、さりげなく癒月草にかざす。
「……お客さん、それは?」
店主が、不思議そうに首をかしげた。
「あ、いえ」
携太は、とっさに笑ってごまかす。
「ただの黒い板ですよ。お守りみたいなものです。迷った時にこれを持つと、なんとなく決めやすいというか……」
「へえ、変わったお守りですねえ。魔道具みたい」
店主は、それ以上は追及せず、笑って流してくれた。
その隙に、携太は癒月草を撮影し、スマホをまたポケットの中――異空間へと戻した。
(オラクル。鑑定してみて。どれがEランクだ?)
『鑑定します』
『――ほとんどが、Fランクです。Eランクは、二本だけあります』
(二本か。どれだ?)
携太は、確かめるように、一本ずつ指先で触れていく。
『……それです。今触れたものです』
(これか)
淡い緑の、他と変わらないように見える一本。
だが、オラクルがそう言うなら、間違いないのだろう。
携太は、その一本を、そっと手に取った。
――と、その時。
ふと、視線を感じた。
横に、少し離れたところから、あの少女――ルカが、まだこちらをじっと見ていた。
灰色の耳が、ぴく、と動く。
小さな鼻先が、くんくんと、空気を嗅いだ。
選ぶのに、やけに時間をかけて。
黒い板を、草にかざして。
他と見分けもつかないはずの一本を、最終的に選び取った、その男。
その体から漂う、嗅ぎ慣れない匂いを――ルカは、じっと確かめていた。
「……な、何か?」
携太が、たまらず声をかける。
ルカは、ほんの少しだけ、目を細めた。
「…………普通じゃない」
吐息のような、小さなつぶやきだった。
少し距離もあって、携太の耳には届かない。
「え?」
(何か、言ったか?)
聞き取れたのは、声の気配だけ。
けれど、その目だけが、妙に引っかかった。
聞き返す間もなかった。
ルカが、くるりと踵を返す。
そのまま、てくてくと、どこかへ歩いていく。
小さな後ろ姿を、携太はきょとんと見送った。
(……なんだったんだ?)
やけに、品定めされていた気がする。
(もしかして……何か、怪しまれたか?)
背中に、うっすらと嫌な汗がにじむ。
「お待たせしました。それにしたんですね。100イエンになります」
だが、店主のほうは、いたって普通だった。
にこやかに、片手を差し出してくる。
「……あ、はい。ありがとうございます」
携太は、硬貨を渡し、癒月草を受け取った。
気にしすぎ、だろうか。
少なくとも、この店主は、何も怪しんではいなさそうだ。
(……気にしすぎだな、たぶん)
携太は、自分にそう言い聞かせ、花屋を後にした。
◆
安眠亭に戻るころには、日はすっかり傾いていた。
安眠亭の少し手前で、携太は人目を確認し、アイテムボックスから紙皿に載ったハンバーグを取り出した。
(買った時のまま、か。本当に便利だな……)
紙皿からは、まだ十分な温かさが伝わってくる。
携太はそれを手に、安眠亭の扉を開けた。
「ただいま戻りました。……あの、これ、よかったら三人で夕飯に食べませんか?」
携太が差し出した紙皿を見て、エレナが目を丸くした。
「ええぇ?! いいんですか? しかもハンバーグ!」
「今朝、朝ごはんをごちそうになったお礼です。美味しそうだったので」
素泊まりで宿泊しているのに、今朝は特別にふるまってくれたのだ。
そのお礼くらいは、したかった。
「ありがとうございます、携太さん。すごく嬉しいです」
エレナが、ぱっと顔を明るくする。
バルトも、少し申し訳なさそうに笑った。
「携太さん、ありがとうございます。こちらこそ、朝食くらいで気を遣わせてしまってすみません」
「いえ。本当に助かりましたから」
その流れで、三人は食卓を囲むことになった。
紙皿のハンバーグから、香ばしい匂いがふわりと広がる。
「ん、これはうまい!」
バルトが満足げに頷いた。
食事をしながら、話は自然と今日のギルドのことに移った。
「そういえば、ギルドの登録はどうでしたか?」
バルトに聞かれ、携太はハンバーグを飲み込んでから答えた。
「はい。無事に三つとも登録できました。冒険者ギルドと、商人ギルドと、職人ギルドです」
「三つともですか。思い切りましたね」
「はい。ただ、少し驚いたことがありまして」
「驚いたこと、ですか?」
「登録料です。バルトさんから、宿代よりは安いと聞いていたので、一か月分の宿代より安い、という意味だと思っていたんです」
その瞬間、バルトが、思わず噴き出した。
エレナも、口元を押さえて、くすくすと笑っている。
「一か月分なわけないでしょう。私が言ったのは、一日分の宿代より安い、という意味ですよ」
「……ですよね」
携太は、少しだけ遠い目をした。
(分かるわけないだろ……こっちは宿代の相場も、ギルド登録料の相場も知らないんだから)
知っていて当然、という顔をされても困る。
異世界に来てから、知らないことばかりだ。
「でも、三つ登録しておけば、できることはかなり増えると思いますよ」
バルトが、まだ少し笑いを残したまま言った。
「はい。さっそく依頼も受けてきました。癒月草の採取依頼です」
「癒月草ですか」
エレナが小さく首をかしげる。
「それなら、街道の近くにも生えていたと思います」
「街道の近くなら、一人で採取に行っても安全でしょうか?」
携太が尋ねると、バルトは少し考えるように腕を組んだ。
「街道の近くなら、そこまで危険はないと思います。ただ、癒月草は見つけるだけなら難しくありませんが、薬に使えるものとなると話は別ですね」
「薬に使えるもの、ですか?」
「ええ。品質の良いものを集める必要があります。かなりの数を採らないと納品数が集まらないかもしれません」
「見分けるのも大変そうですね……」
「慣れている人ならある程度は分かるそうですが、最初は難しいでしょうね。鑑定でもできないと、割に合わない依頼かもしれません」
その言葉に、携太は内心で小さく苦笑した。
(……鑑定がなかったら、俺、これをこなせてたか怪しいな)
依頼ランクはF。
けれど、簡単という意味ではないらしい。
(だから二週間も期間が設けられているのかもしれない)
「まあ、最初ですから。できることから頑張ってみます」
携太がそう言うと、エレナがにこりと笑った。
「無理はしないでくださいね」
「はい。ありがとうございます」
食事を終えるころには、外はすっかり暗くなっていた。
携太は軽く息をつき、椅子から立ち上がる。
「今日は少し疲れたので、そろそろ部屋に戻ります。あの黒い板のことも、確認しておきたいですし」
「分かりました。何かあれば呼んでくださいね」
「ありがとうございます」
携太はそう答え、二階の部屋へ向かった。
◆
二階の部屋に戻った携太は、扉を閉めると、ふう、と息をついた。
階下からは、まだエレナとバルトの楽しげな声がかすかに聞こえてくる。
食事の余韻を少しだけ感じながら、携太はアイテムボックスの中にある癒月草を思い浮かべた。
このあとは、癒月草の複製を試すつもりだ。
ただ、その前に――。
念のため、依頼の条件を、もう一度確かめておきたかった。
アイテムボックスから、ギルドカードを取り出す。
裏返すと、受注中の依頼名と、納期が、魔法文字で浮かんでいる。
(……やっぱり、それだけだよな)
そこに書かれているのは、依頼名と期限だけ。
品質ランクE以上がどうの、なんて、どこにも書かれていない。
(なあ、オラクル。本当に、品質ランクE以上なんて条件、あったのか?)
『あります』
(いや、でも、載ってないぞ。ほら、ここ。載ってないだろ?)
携太が、カードの依頼名を、とんとん、と指で叩いた――その瞬間。
ふわりと、文字が組み変わった。
浮かび上がった依頼名の下に、細かな詳細が展開されていく。
『――薬として使用するため、品質ランクE以上の癒月草に限る』
冒険者ギルドの依頼にも。
商人ギルドの依頼にも。
どちらにも、はっきりと、その一文が記されていた。
(……あ)
携太は、固まった。
『載っています』
オラクルが、静かに言った。
(い、今はな! 今は載ってるけど!)
携太は、思わず心の中で言い返す。
(叩けば出てくるなんて、そんなの、普通わからないから!!)
『左様でございますか』
「うぐっ……」
思わず、小さく声が漏れた。
どうにも、この相棒には、調子を狂わされる。
携太は、がっくりと肩を落とした。
◆
(……気を取り直して)
携太は、ベッドに腰かけた。
依頼条件は確認できた。
あとは、アイテムボックスに入っている癒月草を増やせるかどうかだ。
(なあ、オラクル。アイテムの複製は、どうすればいいんだ?)
『スマートフォンを取り出し、アイテムボックスアプリを開いてください』
(アプリ……?)
言われてみれば、アイテムボックスそのものを、アプリとして開いたことはまだなかった。
携太は自分の目の前に手を構え、異空間からスマホを出現させた。
スマホに指を滑らせ、小さな箱のアイコンをタップした。
画面が切り替わる。
そこには、アイテムボックス内に保管されている物の一覧が表示されていた。
ギルドカード。
癒月草。
それぞれの名前の横に、簡単な情報と数量が並んでいる。
イエンはというと、右上に表示されていた。
残高:150,000イエン
(……お金は、アイテム扱いじゃないんだな)
携太は、少しだけほっとした。
(まあ、お金まで数量変更できたら、さすがにまずいか)
便利ではある。
けれど、何でもありというわけではないらしい。
携太は、一覧の中から癒月草をタップした。
すると、画面中央に小さなウインドウが開く。
そこには、白い花をつけた淡い緑色の草の画像とともに、詳細が表示されていた。
癒月草。
品質ランクE。
「数量×1」
その下には、いくつかのメニューが並んでいる。
数量変更。
削除。
(削除……間違って押さないようにしないとな)
携太は慎重に、数量変更の文字に触れた。
数字を入力する欄が現れる。
現在の数量:1
変更後の数量:_
入力欄の中で、カーソルだけが点滅している。
(いきなり大量にやるのは怖いよな。まずは……二本)
携太は、変更後の数量に「2」と入力した。
決定を押す。
一瞬、画面が淡く光った。
次の瞬間。
「数量×2」
と表示が変わっていた。
(……できた)
画像は変わらない。
変わったのは、横に表示された数字だけだった。
体に変化もない。
疲れた感じも、痛みも、違和感もない。
(なんだ。意外といけるな)
それが、良くなかった。
一度できると分かると、携太の中にあった警戒心が、少しだけ緩んだ。
依頼は二つ。
冒険者ギルドと、商人ギルド。
必要な数をそろえれば、明日には納品できる。
そうすれば、初めて自分の力で稼いだ金が手に入る。
(どうせなら、今日のうちにある程度そろえておきたいよな)
携太は、もう一度、数量変更を押した。
現在の数量:2
変更後の数量:_
少し迷ってから、携太は「50」と入力した。
決定。
画面が、先ほどよりも強く光った。
「数量×50」
その表示を見た瞬間、体の奥で、何かがすっと薄くなったような感覚があった。
「……ん?」
痛みはない。
気持ち悪さもない。
けれど、立ち上がったら少しふらつきそうな、血の気が引くような感覚が残る。
(……これ、やりすぎたらまずいやつか?)
画面の端に、小さな警告マークが表示された。
【複製には魔力を消費します】
【連続した数量変更には注意してください】
(まあ、注意ってことは、まだ駄目ってわけじゃないよな)
携太は、画面に表示された数量を見つめた。
五十本。
それだけあれば、依頼にはかなり近づく。
けれど、どうせなら。
(百十本あれば、明日にはちゃんと納品できて、十本ほど余る。余った分も、何かに使えるかもしれないし)
そう考えた時には、もう一度、数量変更を押していた。
現在の数量:50
変更後の数量:_
携太は、そこに「110」と入力した。
画面の警告マークが、赤く点滅した。
【警告:魔力残量が低下しています】
【これ以上の複製は推奨されません】
一瞬、指が止まる。
けれど、五十本にした時も、少し変な感じがしただけだった。
(大丈夫。これで終わりにする)
そう自分に言い聞かせ、携太は決定を押した。
画面が、白く光った。
「数量×110」
その数字が表示された瞬間。
「あ、あれ……?」
視界が、ぐらりと傾いた。
体の芯から、力が抜ける。
指先の感覚が遠い。
スマホを持っているはずの手に、うまく力が入らない。
胸の奥が、すうっと冷えていく。
画面が赤く点滅する。
【警告:魔力残量が急激に低下しています】
【ただちに休息してください】
だが、その表示が読めた時には、もう遅かった。
その警告を最後まで読み取る前に、ベッドに座っていた携太の体が、ぐらりと横へ傾いた。
ベッドの縁に肩が当たる。
そのまま支えを失った体が、ずるりと床へ落ちた。
スマホが、手の中からころりと転がる。
(やば……調子に、乗りすぎた……)
そんな後悔を最後に。
携太の意識は、ぷつりと闇へ落ちた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
携太は癒月草を手に入れ、アイテムボックスの複製機能を試しました。
便利な機能ではありますが、どうやら使いすぎには注意が必要なようです。
次回は、倒れてしまった携太のその後です。
続きも読んでいただけると嬉しいです。




