表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/2

後編。合流してからその後(あと)だ。

「あぁぁ、すっずしー!」

 声が思わず高くなってしまった。それぐらい気持ちがよかったのだ。

「ほんとだよねー! 風邪ひくぐらい涼しいよー」

 全身を刺すように通り抜ける冷風。それだけで、今日ここまで戦い抜いた俺達の、その軌跡が全て報われたように感じる。

 

 天国が、ここにあった。

 

「楽園は、あったんだ。何度でも蘇る楽園が!」

「バカなこと言ってんな。たしかに会場は人がゴミみたいに大量にいるけどさ。とりあえずスポドリ買うぞスポドリ」

「もち もち!」

 ってわけで、俺と神田は急いで500mlのペットボトルスポーツドリンクを棚から手に取った。

 

「まだあってよかったぜ」

「間に合ったねぇ」

 二人とも口元がほころんでいる。

「あぁ、こんだけでも気持ちいい」

 ただ冷蔵庫からペットボトルを取っただけ。けど、そのひんやりとした容器が、その冷たさが俺の心にしみわたって来る。

 

「ほんと、しあわせだー」

 言葉の後に、左頬にペットボトルをあてがった神田。

「ひゃっ!」

 予想外に冷たかったようで、目をパチクリしてびっくりしている。

 

 

「買うの確定してるからって、売り物顔にくっつけんなって」

「えへへ、すいませんでした」

 苦笑い、けど楽しそうだ。

 

「よう、仲良し兄妹。俺の存在、忘れてねえかい?」

 後ろから声を賭けられた。

「ああすまん。あまりに暑かったんで、お前のこと忘れてた」

 そこにいたのは、冷タオルを首にかけたこの季節には暑苦しいだろう、首まで伸ばした茶髪の友人だ。ちなみに茶髪は地毛だ。

 

 Tシャツが張り付いてるのが見てわかる。そのTシャツはキャラの台詞がプリントされた物で、

 俺は

 お前の

 だんなじゃ

 ねえ!!

 と四行に渡って書かれていた。

 

「ん?」

 声にワンテンポ遅れて振り返った神田は、

「お、残りの顎」

 あたりまえのようにそう言った。

 

「なんだその呼び方?」

 神田の呼び方に、苦い顔をするダブルジョウの片割れこと斉藤丈。

「ちょっとまっててくれ。俺ら飲み物買ってくる」

「了解」

 ということで、一先ず俺と神田はスポーツドリンクを購入し、斉藤のところに戻った。

 

「で? なんでえみリッチといっしょにいるんだ、お前」

 ペットボトルのキャップを開ける俺達に、当然の疑問をぶつけて来る斉藤。

「ん? たまたまみつけたから」

 そうこともなげに神田は答えると、コクコクと僅かに音を立ててスポーツドリンクを飲んだ。

 

 俺も神田に続いて飲む。体中に染みわたって来る冷たい液体。ともすれば頭にキーンっと来そうなぐらいだけど、それがまた、暑さにやられた体には心地いい。

 

「ぷはー」

 満足げな息を吐いた神田、ちょっとおっさんくさかったけどそこには触れないでおいてやる。

「ふぅ。お前、半分ぐらいいっきに飲んだな、その体躯で」

 

「案の定君だって同じぐらい飲んでるじゃん」

「だからその音程で呼ぶなって言ってるだろ」

「ほんと仲いいな、お前ら。マジで兄妹みたいだぞ」

 ニヤニヤして言う斉藤の言葉は、「そうか?」っと軽く受け流しておく。

 

 

「しっかし、お目当て一つ。買いそびれちまったなぁ」

 はぁ、と息を吐く斉藤には、「委託待ちしかないんだからあきらめろって」と事実を突きつける。

「だよなぁ。そいや案の定」

「お前までその音程で言うのか」

 うんざりしてから、「どうした、改まって」と問いかける。

 

「お前手ぶらだけどさ。他にほしいもん、なかったのか?」

「あるけど元々委託を予約してあるから、今回は買わなくていいんだ」

「値、張るぞ。千円ぐらい余計に」

 

「並んで買えなかったら疲れるだけだろ。だから、確実性を取ったんだ」

 またペットボトルの中身を飲む。勢いで飲み切ってしまったので、出がけにゴミ箱に捨てて行くことにしよう。

 

「効率厨め。この空間を味わえよ」

「お前はお目当て手に入ったから機嫌がいいだろうけど、こっちはなにもなかったんだぞ」

「えみリッチついてきたけどなー」

「そりゃ偶然だ」

 

「このイベントだって同じだろ。たまたま見つけたサークルの本が面白かった、なんて話は珍しくない。だからお目当てサークル意外も回って見る。違うか?」

「たしかによく聞く話だけど、話題がズレてるぞ」

 

「いやー、二重顎も充分仲良しだねー。兄弟みたいだよ」

「二重顎って言うなよえみリッチ」

 疲れた調子で返す斉藤には、

「あきらめろ、こいつは絶対に折れない」

 と言い切る。

 

「マジかよ」

 大きく頷く神田。

「ほらな」

 やれやれ、とダブルジョウで同時に疲労満載でハモった。

 

 

「っ」

 突然体が震えた。

「まずい、体冷えすぎたらしい。外出ていいか?」

「うん、オッケー」

 

「まさに案の定君、だな」

「やかましい」

 吐き捨てるように言って、俺は出口に向かう。後ろから二人分の足音がついてくる。

 

「どっかで着替えたら?」

 心配そうに言ってくれた神田だけど、俺は首を横に振って、そしてからペットボトルをゴミ箱へ捨てた。

 

「どうして?」

「着替え、持ってきてないんだ」

「うわぁ。ほんと、運悪いね、庵野くん」

「ほんとだぜ。って、今 普通に呼んだか?」

 

「誰んちが一番近いかな? 早くシャワーとか浴びないと。体あっためた方がいいよね?」

 テキパキと、神田がいろいろ動こうとしてくれている。

 

「わりい、神田」

「気にしない気にしない。で、誰んとこが一番早くつく?」

「わかんねえなぁ。自宅まで帰るっきゃねえんじゃねえかな?」

 

「うぅ、そっかぁ」

 斉藤の答えに、沈んだ調子で困ったように言った。

 

「ありがとな、そんな心配してくれて」

 こいつ。ただのオタク女子じゃないんだな。意外な一面見たり、だぜ。

「同志だからね。それに、コンビニ行くまでの借りは返しておかなくちゃ」

 フフっと照れたような笑いを浮かべる神田。

 ーーこいつ。マスコットみたいなくせして、たまに女子になるんだな。

 

「借りなんておおげさだなぁ、っ、さむ」

 真夏だって言うのに、自分を抱きしめてしまった。うわ、そしたらTシャツから汗がにじみ出た、って言うかちょっとしぼれた。

 

「庵野くん。風邪、引かないといいね」

 心から心配している、って言うのがわかる声色。「ほんとだぜ」って答える裏に感謝を忍ばせておく。

 

「まったく、お目当ては完売するわ風邪は引きかけるわ。なんて日だ」

 涼しい通り越して冷たい自分の体に、また小さく震えながら。俺は今日の厄日っぷりに溜息を吐いた。

 

 

「でもお前顔赤くなったろがこんのロリコンめ、いいもん拾ったじゃねえか」

「なんでわたし見たかなぁ?」

「ニヤニヤすんな。つかロリコンじゃねえし」

 ちょっと怒鳴るように言ってしまった。その声がちょっと頭に響いた……これ、ヤバそうだな。

 

「ちっこい奴にオネツじゃ、そりゃロリコンだろ」

「「ニヤニヤすんな」

 神田とハモってしまった。

 

「って、オネツ?」

 きょとん、がまた出た。

「わわ、ほんとだっ。庵野くん顔ピンクい! 大丈夫っ?」

 熱が出たんだと思って、心配してくれたようだ。

 

「ん、ああ。とりあえずは、な」

 熱が出たんなら、足元がおぼつかなくなると思うんだけど、今んとこ大丈夫だな。けっこうギリギリのラインな気がするけど。

 

「できるかぎり体を冷やさないようにしながらかえろ」

 神田の提案に、

「だな」

 俺と

「りょっかーい」

 斉藤は快く頷いた。

 

「戦利品置いたら見に行きたいんだけど、家教えてくれない?」

「いいってそこまでしないで」

「だって、心配なんだもん」

 

「おうおう、積極的だなぁえみリッチ。惚れたか?」

「単純に心配なだけだよ」

 苦笑いしてるんだけど……それはそれで、悲しいもんがあるぞ。男として魅力0ってことだし。

 

「庵野くん、今ちょっと、目の焦点合ってないし」

「マジか?」

 言われた俺がびっくりした。

 

「流石にそれは気のせいだろうえみリッチ」

「そうかなぁ? そうだといいんだけど」

「まあ神田、あんま心配しすぎないでくれって。ハゲるぞ」

 

「男子には聞くと思うけど、その忠告。わたしには効果ないよ、少なくとも」

「そっか、面白くないな」

「んもぅ、心配してるのにちゃかさない」

 怒られてしまった。

 

「失礼しました」

「わかればよろしい」

 偉そうに頷きながら、ちっこい猫耳装着娘はそう言った。

 

 

「やれやれ。まさか家に帰るまでが即売会ですよ、な事態になるとはな。風邪ひくなよ、相棒」

「ひかないように願うことにする」

 ってなわけで。俺達は真夏の祭典、夏の大規模同人誌即売会会場を完全に後にするのだった。

 

 

 

 

 

                                      おしまい。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ