1 刑事課長からの相談
警視庁赤羽南警察署刑事課刑事総務係の小林英夫警部補は、自席後方の応接セットから課長に呼ばれ、立ち上がった。
応接セットのソファーには、強面の課長と、もっと強面の王子北警察署の刑事課長が向かい合って座っていた。
「小林係長、ほら、早くこっちに座って」
課長が手招きするのを見て、つい2週間くらい前にも似たようなことがあったなと思いつつ、小林はその隣に座った。
向かいに座る王子北署の刑事課長が小林の顔をじっとみる。小林は本能的に目を逸らした。あの顔の複数の傷は一体何なんだろう。
ここに呼ばれた理由は分かっていた。応接セットの会話は自席から丸聞こえだ。
課長が小林に話し始めた。
「聞こえていたかもしれないが、オレの同期、王子北署刑事課長からの相談だ。王子北署で、被害は軽微であるものの、場所が場所だけに急ぎの対応が必要な案件があるそうだ」
「だが、知ってのとおり、王子北署は現在繁忙を極めている。とても手を回せる状況じゃない。そこで、異例ではあるが、その案件をうちの署でお願いできないかという話だ」
小林の向かいに座る王子北署の刑事課長が、深々と頭を下げた。課長が話を続ける。
「うちも忙しいことに変わりはない。だがな、オレは長い警察人生で何度もこいつに助けられた。文字通り命を救ってもらったこともある。少しでもコイツを助けてやりたい」
課長が小林の方を向いた。
「小林さん、明智警部補の研修の関係で、交通課において大きな事件の対応をしてもらったばかりだが、刑事課での研修の一環として、この案件をお願いできないだろうか」
そう言うと、強面の課長が小林に頭を下げた。もっと強面の王子北署の刑事課長も改めて頭を下げる。両雄の圧倒的なオーラを前にして、小林に選択の余地はなかった。
† † †
「……というわけで、事後連絡で申し訳ないが、刑事課での明智くんの研修は、その案件の捜査ということになった。まあ、交通課に引き続き、実践を兼ねた捜査実務研修っていう感じだな」
「あ、あと、刑事課に空き部屋がなかったんで、引き続きこの部屋を使うことになった。代わり映えしないが、心機一転がんばろう。よろしく」
交通課の奥にある資料保管室、中央に置かれたガタのきた長机とパイプ椅子。小林は、そのパイプ椅子に座り、長机の向かいに座っている少年のような若者と、若い婦警に説明した。
「承知しました。交通課に引き続き頑張ります! 刑事課でもよろしくお願いします」
そう言うと、少年のような若者が笑顔で一礼した。
彼は明智慧一郎警部補。今年警察庁に採用されたばかりのキャリア警察官だ。採用半年後の現場研修として、つい2週間ほど前に赤羽南署に着任したばかりだ。
清潔感のある自然な髪型に、整った顔立ちは中性的で、青年というより美少年といった方がしっくりくる。
交通課での研修では難事件を解決に導き、その美貌と相まって署内では一躍有名人だ。すでに女性職員によるファンクラブが複数結成されているとかいないとか。
まだ交通課での研修の疲れが残っているはずだが、明智の瞳はやる気でキラキラと輝いている。見ていると、こちらの心も洗われるようだ。
「明智キュン……もとい明智警部補殿のお手伝いができるなら、どんな事件でもドンとこいです!」
明智の隣に座っている婦警がそう言ってガッツポーズをした。
彼女は中村七海巡査。交通課交通総務係の係員で、自称ナッチーだ。交通課での研修では小林とともに明智をサポートして活躍した。
セミロングの髪を後ろで束ね、細めの眼鏡をかけている。その一見すると理知的な顔立ちに反し、性格はその……いい奴なんだが少々アレだ。明智の刑事課での研修には、交通課からの応援ということで引き続き参加してもらうことになっている。
中村もまだ疲れが残っているはずだが、明智とは違う意味で目を輝かせている。
そして、小林は、明智の交通課での研修では刑事課からの応援という形で指導係として参加していた。刑事課の研修では、引き続き指導係として対応することになった。交通課の研修時には、左頬を怪我するアクシデントに見舞われたが、幸いアザが残る程度だ。
「ところで、小林係長、その事件ってどういうものなんですか?」
中村が小林に質問した。小林が王子北署から借りた捜査ファイルを開きながら答えた。
「ああ、神社での窃盗事件だ」