二十二、三朝の足
連載再開です!
遅れて遣って来た真砂と茅野は、三朝に万木の言った侭を話した。三朝は少し思案して、月葉に午後の遑を願い出る。其れは直ぐに真耶佳の耳にも入り、あちらの朝餉が終わったら直ぐに行く様にと三朝は命を受けて仕舞った。
渋る三朝だったが、其処に香古加が自分も行きたいと言い出す。何でも、月の忌みの度に頭痛がすると言うのだ。
「確かに香古加は、雨など降ると辛そうですね。一度、診て貰っても良いかも知れません」
澪の口添えに、真耶佳も頷いた。月葉も、大事は無いけれど頭痛は軽い方が良いだろうと承諾する。結局三朝は、香古加に押し切られる形で庵を訪ねる事となった。
「其の前に、皆の朝餉ね」
真耶佳が和やかに言って、大王の隣に座る。最近では子等も暴れる様になったし、側女達も共に朝餉を囲む事が当たり前だ。
「ねえ三朝、貴女の好きな卵の粥よ」
各務はどんな時でも皆を気遣う。勿論、少し鬱いだ三朝もだ。すると何故か、三朝では無く澪の腹が鳴る。時記が思わず笑い出して、大王を巻き込んだ。澪は恥ずかしげに三朝に謝ったが、皆を和ませた腹の虫に三朝も笑って居た。
卵の粥が皆に行き渡り、もう一つの器を開けると牛の煮込みだった。此れは大王の好物で、遷宮の時に態々大王の宮から書き付けを渡された物だ。試しに魚の杜の味付けで作ってみた、と井波が言って去ったのを、宮に居た者達は聞いていた。
「………美味い!真耶佳、此れまで我が食うてきものより、美味いぞ」
「まあ、井波にもそう伝えなければ為りませんね」
杜の魚醤には、少し甘みがある。其れが巧い具合に牛と相俟って、大王を喜ばせた様だ。
「魚の杜では牛を食べる習慣は有りませんから、井波も戸惑った事でしょう」
時記が言訳すると、大王は意外そうな顔をする。陸路が使えないので、大型の家畜は陸からの捧げ物のみとな為だ、と。真耶佳も隠れ里たる所以を大王に話した。
「では、亜耶さまが産後豚を潰して居たらしいと仰有って居たのは…」
「多分陸からの祝いの品ね。肝を食べたんでしょう?」
「そうらしいです」
其れを聞いて、真耶佳はふふ、と笑った。妹姫が自分の提案に乗った事が、嬉しかったらしい。幸い亜耶は今、不調は来して居無い。大蛇と再び仲良く遣って居るのだとは、想像に難くないのが女御館の沙汰だ。
「ふむ…豚の肝も牛の肉も、此方では容易く手に入る物。しかしあの海の幸は羨ましい…」
大王は年の初めに味わった新鮮な魚が、忘れられない様だ。真耶佳は暁の王、と優しく呼び掛けて、此方に居る間は肉を、杜に行ってからは魚を味わいましょう、と笑い掛けた。
「其れに大王、杜でも肉は食べますよ」
昨年末、氈鹿の肉も食べたでしょう、と。時記が穏やかに言う。其れに冬になれば鶏も潰すし、肥えた猪も捕れる。鹿肉も食べる。兎も熊も食べるし雉も稀に獲れる…と時記が羅列していくと、大王の目が輝いた。
「昨夏食らった燻した兎は、美味かったな」
「ええ、其れに大蛇も狩りをします。厨からだけでは無く、肉は届きますよ」
「暁の王、もうお心が杜に飛んで居ませんか?」
流石に案じた真耶佳が声を掛けると、大王は我に返った様に牛の煮込みを口に運ぶ。
「井波には、この味付けで良いと伝えて宜しいですか?」
時記の問いに、大王は勿論、と頷いた。
朝餉の後の小休止を経て、三朝と香古加は庵に向かっていた。途中までは時記が送って呉れ、別れて一人厨に向かう。庵に足を踏み入れた事の無い三朝と香古加は、緊張気味だ。
「お邪魔して、宜しいですか?」
二人で庵の入口の前、逡巡していても仕方無いと香古加が声を掛ける。すると直ぐに、汰木が遣って来た。宴の夜とは違った、医に服する白衣。塗り馴れない紅が少しずれているけれど、愛らしさに二人は息を飲む。
「三朝さまと…ええと…」
「香古加です。私も遑を貰って、強引に付いて来て仕舞いました」
汰木と香古加は同じ年頃。詳しくは汰木の方が一つ年上だが、香古加の笑顔に汰木もほっとした様子だった。
「先ず三朝さま、兄様…夫が無礼を働いた様で、申し訳御座いません」
「良いのよ、怒るだけ怒ったし、病かも知れないと知らせて呉れたし。却ってお礼を言わなければ」
汰木が奥の間に案内しながら詫びる物だから、三朝も恐縮して居る。
「で、確かに万木の言う通り、私、左足だけ冷えるし痺れるの。診て貰って良い?」
「はい、勿論!で、香古加さまは…」
「私は雨や月の忌みで頭痛が酷くて…」
「ではそちらも、診ましょうね」
人懐こい笑顔で、汰木は二人の症状を聞き分けた。其れを見てほっとしたのか、三朝がさま付けなどしなくて良い、と声を掛ける。
「真砂と茅野にも言われましたが…此の宮の皆様は優しいですね」
「違うわよ、汰木と仲良く成りたいだけ」
「どうか私とも、仲良くして下さいね」
三朝と香古加が畳み掛けると、汰木は顔を赤くしてこくこくと頷いた。此れまで被虐されて来た汰木に取っては、其れは夢の様な言葉だった。
「其れでは三朝、足を見せて呉れますか?主に、左膝の裏を」
「こう?」
三朝が裳裾を捲り上げると、左足の膝の裏が紫色に変わり隆起している。香古加も見て居て驚いた様子だ。
「はい。やっぱり…まだ初期ですが、血の巡りを邪魔する瘤が出来て居ますね」
「えっ…」
此処、違和感が有るでしょう。そう言って汰木が触った場所は、確かに三朝にも痛みを与えた様だった。
「汰木、私の足、どうなってしまうの?」
「時記さまにお見せすれば、溶かして呉れるんでしょうか…」
香古加の問いに、三朝はそんな失礼な事は出来ない、と首を振る。汰木は其の様子を見て、安心して下さい、と言った。
「時記さまに溶かして頂くよりは治りは遅いかも知れませんが、初期なので粉薬で溶かせます」
「ああ、良かった…!汰木にも万木にも、感謝しなくては」
三朝の心からの言葉に、汰木は安堵した様子。多分万木は、歩き方が気になったのだろう、と言訳した。もう一人触られたのは、多分比較の為。許して呉れとは言えないが、ぶっきらぼうな人なのだ、と夫を庇う。
「汰木も、歩き方が気になった?」
「はい。右に寄った歩き方になっています。薬が効いてきたら、意識して左にも寄って下さい」
「分かったわ。女医さまが居るって、良い事ね。其れに貴女は、迚も愛らしいわ」
三朝が頭を撫でると、汰木の目から涙が零れた。万木以外に、そんな事をして呉れる人は居無かったからだ。しかも、年嵩の女性。棄てられた母の記憶も無い汰木には、嬉しくて堪らない。其れを見た三朝は、汰木を抱き締めて背を擦った。
「泣かないで、汰木。此れからは皆、貴女の味方よ」
優しい声での美し言に、汰木は何度も涙混じりの礼を言う。香古加も寄って来て、汰木は謙虚過ぎる、と優しく頬に触れた。
「ああ、香古加も診なければ…」
「落ち着いてからで良いの。貴女とは、笑って話したいわ」
「ねえ汰木、此の宮に居るのは皆、同胞よ」
「ええ、真耶佳さまの口癖。宮外での評判に笑って仕舞う位、迚もお優しい方なのよ」
二人で言って、三朝と香古加は汰木に笑顔を向ける。此処に居る者に尽くそうとしなくて良い、ただ馴染んで、と。二人は交互に言った。そうして汰木が落ち着くまで、二人は汰木を見守って居た。
「お待たせして御免なさい。お仕事が有るのに…」
少し落ち着いた汰木は、其れでも三朝と香古加に詫びる。
「遑の刻限は、決まってないわ」
「そう、私達や汰木の方が大事だって、月葉さまが耳打ちして下さったの」
三朝は呼吸を落ち着けた汰木の背を一つ、ぽんと叩いた。汰木はぴんと背筋を伸ばし、香古加に向き直る。
「香古加、痛くなるのはこの辺?」
汰木は、香古加の両の米神を圧して見せた。痛くなるのは左右同時か、其れとも片方ずつか。そんな問診を経て、汰木は香古加に出す薬を決めて行く。
「三朝には此れ、粉薬です。少し甘みを感じますが、甘みを感じなくなるまで水で流し込んで下さい」
医師の顔になって、汰木は一回分に包まれた粉薬を十包渡した。一日二回、薬が無くなる度に来て、様子を見せて欲しいと添えて。
「香古加は此方の丸薬。苦いから一気に飲んで下さい。一回一錠、一日三回までよ」
「忌屋では四回しか水が出ないから、助かるわ」
香古加も薬を受け取り、大事に袷に仕舞った。薬が有るだけでも、心強い。そう言って笑う香古加を、汰木は眩しげに見詰めて居た。
「ねえ汰木。妹背の邪魔はしないから、また来ても良い?」
香古加が言うと、私も、と三朝も言う。汰木の顔がぱっと明るくなった。
「勿論です!是非来て下さい」
汰木が満面の笑みで言う物だから、香古加は一番仲の良い喬音も連れて来る、と約した。