二十、宮に馴染む
万木は、荷馬車に遅れず宮の門まで遣って来た。昨夜妹を取ったばかりなのに、と遊佐は驚く。
「お前、新妻は?」
「見送って呉れたぜ」
矢張り一日の食材の検分は必要、と。汰木も初めての共寝の後の気怠さを隠し乍ら、万木を庵の出口まで見送った。万木は、未だ寝ている様にと言い含めて出て来た形になる。
「…お前が居て、良かった」
「へ?」
「僕の大事な人は、此処と魚の杜に居る。杜にはもう帰らないから、だから、せめて目の届く此処で、何も起こらなくて良かった」
遊佐の、素直な心情なのだろう。食材を選り分け乍らぼそぼそと語られた其れは、万木に取っても嬉しい物だ。
「有り難うな、遊佐」
照れ隠しに遊佐の髪をわしゃわしゃと撫でると、おい、と怒られた。矢張り、調子に乗るものでは無い。
「まったく…あ、万木、この草片は僕が知らない物だ」
しかし不機嫌になった筈の遊佐から、直ぐにお呼びが掛かった。知らない、と言うのは杜には生えないと云う事か、また何か入ったと云う事か。
慌てた万木が確認に行くと、遊佐は草片の中からたった一片を見つけ出していた。
「お前、やっぱ凄えわ…んで此れは、舌が痺れる草だな。でも麻酔にもなる。だが、この量だったらどっちにしろ意味を済さねえ」
「そうか」
「其の辺に棄てんなよ、根付いたら困る」
「…どうする?」
「何か有った時用に、時記さまの畑に入れて良いか聞いてみよう」
遊佐が頷き、草片の端に避けられた毒草は一応の未来を得た。時記も麻酔用と言えば栽培を許して呉れるだろうが、問題は其れだけの量にまで増やせるかだ。この間加密列を植えた所為で、だいぶ畑は手狭になった。
「あー…もう一つ薬草畑が欲しいな」
万木が呟くと、遊佐が聞いてないのか?と問い掛けて来る。何の話か分からない万木は、無言で遊佐に答えをねだった。
「大王が、万木と汰木に御館を与えるって…広い薬草畑も作れる様な造りで、って宴の時に汰木に言ってた」
「へっ?」
「本当に聞いてなかったんだな…」
「御館?俺等如きに?」
「医師は大切な仕事だ。如きなんて言うな」
此の宮は、何て温かいのだろう。こんな時、万木は痛感する。医師の数が少ないのは確かだが、自分達は罪人に拾われた身だ。
庵での一夜を三度重ねたら、万木は井波の御館の居候に戻る気で居た。しかし、遊佐の話では暫く庵で生活して、汰木は患者も其処で取って呉れと言う。
「そんなにまでして下さる大王って、やっぱ凄えよな…」
感慨深く万木が言うと、遊佐が反論する。
「お前、自分の身を危険に曝して皆の命を守ったんだぞ?しかも罰される覚悟で。大王も凄いけど、お前も充分凄い!!」
遊佐の強い口調に茫然と口を開けて仕舞った万木だが、言った遊佐は照れたのかさっさと検分を終えて井波を呼びに行って仕舞った。喬音への素直さは、何処へやら。だが遊佐も、万木と正面から向き合って呉れる気になったのだと嬉しさが湧く。積み荷の番をし乍ら万木は、一人喜びを噛み締めて居た。
朝餉が出来るのを待つ間、煮込みの時間に井波も万木の新妻はどうした、と問うて来た。此処でも万木は見送って呉れたぜ、との返答をするが、井波の表情は晴れない。
井波程になると、一見しただけで相手の栄養状態が分かるのだと前に時記から聞いた。其れを踏まえて万木は、言葉を選んで答えて行く。
「彼奴はずっと女芋と蕎の溶き湯ばかりを与えられて居たらしい。昨日の夕餉で感激してた」
「女芋に、蕎の溶き湯…!?そんな物は、こっちじゃ端女の食事だと聞いたぞ。汰木は女医だろう!?」
「ああ、三重樫の奴、汰木達を飯の面でも被虐してやがった」
悔しげに言う万木を見て、井波も何とも言えない表情になった。
「だから昨夜は、妹背とはこんな物だと教えた程度だ。貪っちゃいねえ」
「先ずは精を付けて貰わねばな」
「ああ、井波の飯食ってりゃ自然に精も付くさ」
だって彼奴、お腹いっぱいなんて初めてだ、って眠くなったんだぜ。そう万木が言うと、井波の眉間に深い皺が刻まれた。
「毎日腹一杯にして遣る。万木の子が拝める様にな」
「…有り難うな、井波」
礼を言うと、井波は何故感謝されるのか分からない顔をする。其れが井波の務め、宮の厨の在り方なのだから、当たり前だろうと。
「杜のそう云う処が、俺は好きだぜ」
「他から見ると、そうなるのか…。だが私は、皆が健やかで居られる食事が作りたい」
「ああ、井波は存分に其れを実行してる」
話して居ると竈に掛けた鍋から、ぷくぷくと泡が出始めた。粥の仕上がりだ。蓋を開けた井波が毒見用の碗によそって、万木に手渡す。万木が粗熱を逃がして二口分を食べ、美味いし問題無い、と返す。いつもの光景だ。
「万木、お前は汰木に朝餉を持ってって遣れ。ちゃんと食べ終わるか、見てるんだぞ」
「井波…」
「夫の務めだ」
元々宮の配膳には、万木は関わらない。其の分、汰木への配膳だ。一緒に食って来い、と云う井波の言葉に甘え、万木は膳を持って庵に帰った。
「汰木、朝餉だぞ」
声を掛けて沓を脱ごうとすると、女物の沓が二足庵の入口に在る。朝の早い女達が、もう診察に訪なって居るのだと察するに時間は掛からなかった。
「兄様、少しお待ち下さい」
「分かってる、診察中だろ?」
「はい」
短い遣り取りで万木の優先順位が決まり、女達から詫びの声が上がる。新夫なのに、など汰木をからかう声も聞こえて来る。もう、随分と馴染んだ様だ。
「では此方の粉薬、味は良くないので白湯で一気に流し込んで下さいね」
「有り難う、助かったわあ。矢っ張り女医さんの方が、こう云う相談はし易いのよね」
「そう言って頂けて、有り難いです」
「其れでは、ゆっくり朝餉を召し上がってね。此の後は殆どの者が仕事だから、静かだと思うわ」
「はい。でも、急患の用意もして置かなければ…」
「気を張らなくて良いの。少しずつ、皆と仲良くするくらいで」
聞き覚えの有る声が、汰木の焦りを窘めて居る。じゃあね、と言って出て来たのは、茅野と真砂だった。
「おう、宮にも朝餉が行くぜ」
「あら本当?急がなければ。汰木は良い子ね」
「万木は幸せ者だわ」
「有り難うよ」
真砂と茅野は側女の中でも年嵩の方だ。何か悩みを抱えて居たのかも知れない。そんな茅野に、今度三朝が汰木に診て貰う機会を作って呉れ、と万木は言伝した。以前尻を触った時、左側だけ冷えていた。足の血行が悪くなって居るかも知れない、と。
「あら、ちゃんと診ていたのね」
「いいわ、言って置いてあげる。実際三朝、左足だけ冷えるって悩んでいるから」
側女達は賑やかに立ち去り、残された汰木は少し怒った顔だ。
「兄様、他の女の尻を触ったのですか?」
「お前と婚う前だ、許せ…」
「三朝という方の為に明かしたのだから、許さざるを得ないでしょう…」
未だ複雑な顔をする汰木の前に、万木は膳を広げる。兎に角、朝餉食おうぜ。そう言うとやっと、汰木も笑った。