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魚の杜の巫女  作者: 楡 依雫
水鏡篇 二の章
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十八、宴の終わりは

 宴は先ず、着飾った汰木(ゆるき)のお披露目から始まった。万木(よりき)も綺麗な(きぬ)を着た汰木を見るのは初めてだと言って、心なしか頬を染める。大王(おおきみ)は、(あかざ)の衣の娘がこんなに愛らしくなるとは、と感慨一入(ひとしお)だ。

(あざみ)深瀬(ふかせ)にも、綺麗な衣は届くわ」

 汰木が自分一人でこんな思いをして居て良いのかと思っていると、真耶佳(まやか)が汰木の気にしていた事を一番に気付いて教えて呉れた。杜の婆と義娘(むすめ)の話を、月葉(つくは)から聞いたそうだ。

 そして此方は未だ居心地悪げな汰木の(つま)となる人。何故か今日は、目を合わせて呉れない。

「汰木、本当に俺なんかで良いのか?」

「私は兄様の(いも)に成る事が、名を貰った時からの夢でしたから」

 狼狽えがちの万木より、妹になる汰木の方が堂々として居る。先程水鏡(みずかがみ)なる物を覗かせて貰って、玉の緒の永遠の結び方を教えて貰ったから、と。

 二人はどちらからとも無く小指を結び、(まじな)いの歌を歌った。お互いに何故知って居るのか、と目を見合わせ乍ら。ぶっつけ本番だった割に二人の声は重なっていて、聞く者を驚かせた。

「真耶佳、あれは…」

「杜の歌ですわね」

 そっと妻に確認した大王(おおきみ)に、歌い終わった万木と汰木は向き直る。汰木を妹として言挙(ことあ)げする、万木ははっきりとそう言い切った。同じ歌を歌った事で、汰木の気持ちを踏み(にじ)って居るのではとの懸念が消えたのだ。

時記(ときふさ)(みお)を手本に、好き妹背(いもせ)となれ」

 大王も、自分の命の恩人を隅に置く様な真似はしない。さあ、さあと二人を長椅子に座らせ、宮からは招かれていた井波(いなみ)遊佐(ゆさ)が数名の側女と共に出て行く。

 何が始まるのか全く分かって居無い二人は、自分達が舶来(はくらい)の美しい長椅子に座る理由にすら心当たりが無い様だ。二人で顔を見合わせたり慌てて視線を外したりと、落ち着かない。

「万木も汰木も、何処で杜の呪い歌を?」

 時記が不思議そうに、そんな二人を(ほぐ)して遣る。

「俺は遊佐に習ったんだ」

「私は亜耶姫さまから、先程…」

「二人共、思う処は一緒だったんだね」

 何の厭味も無く時記が笑うから、つられて二人も笑い出す。嬉しいです、と汰木が漏らしたのを、澪は喜ばしげに聞いて居た。

「澪さまも、夫君に歌うと一緒に覚えて居られましたよね」

 汰木は水鏡の前で真剣に(ごん)()を覚える澪を見て居た、唯一の証人。急に話を振られて、澪は真っ赤になった。

「澪も、私に歌って呉れようとしたのかい?」

「小指の糸に、そんな意味が有るとは知らずに…」

「ああ、其れも亜耶から聞いたんだね」

 こくりと澪が頷くと、時記は也耶の頭を撫で乍ら惜しい事をした、と言う。何が惜しいのかと言えば、澪の歌を聴けなかった事だ。

「わ…私も歌えます…」

 澪が時記に、結局自分も覚えて仕舞った事実を打ち明ける。すると時記は嬉しげに、後で聞かせて、と言った。

 同じ頃合いだろうか、井波を先頭に遊佐や側女達が温かい料理を持って宮に戻って来た。万木も知らない、(くりや)からの祝いの数々。井波や遊佐は、万木が乳母(めのと)()に閉じ込められて居る間に此の品数を作ったのだ。

「お、大王、此れは…」

「見て分かるだろうて、祝い膳よ」

 皆、此の為に夕餉をずらして居た。汰木は申し訳無さそうに、けれど見た事も無い料理を目の当たりにして腹をぐうう、と鳴らす。

「万木、此の宮の厨に毒見が要らないのは、気付いて居ろう?」

「はい」

「だが我は、其方を必要だと思う。吾子(あこ)の代までな」

「有り難きお言葉に御座います…!」

 其処で井波が、今宵の祝い膳の献立には万木の嗜好も入って居る事を明かした。粥は赤米派、酒は嗜まぬ、猪肉(ししにく)より鹿肉、草片(くさびら)の類では、茸が一番好き。そんな万木との普段の会話から、今日此の祝い膳。茸は目利きの遊佐が採ったから、間違いは無い。

 其れを聞いて、万木が嬉しさから目に熱い物を浮かべる。居場所を守れた。井波に言った通り、自分の居場所は厨に守れた、と。

 見れば井波は既に男泣きに泣いていて、遊佐さえも目頭を押さえ耐えている。此度の事は、仮に無事遷宮(せんぐう)を終えても万木無しには防げなかった。厨の在り方さえも問われたのだ。二人が喜んで呉れるなら、こんなに嬉しい事は無い。

「汰木、何が食いたい?」

 長椅子に座った侭食べたい物を取るのは骨が折れるだろう。()してや、汰木は馴れぬ()まで身に着けている。そう思って万木は訊いたのだが、汰木は困った顔をする。

「普段、女芋(さといも)(そば)の溶き湯等だったので…どれを見ても美味しそうで…」

 言われてみれば、汰木の身は年頃の女にしては薄い。細身の澪と比べても、厚みが無いのだ。食でさえも被虐されている、何故気付いて遣れなかった、と万木は自分を責めた。

「じゃあ、全部俺の好物だ、食ってみろ」

「兄様…残しては申し訳無いので少しずつにして下さい…」

 思慮深くそう言った汰木だったが、いざ皆が食べ始めると美味しい、美味しいと随分食べた。鹿肉の炙りなどは、四、五枚食べたのでは無いだろうか。茸の(あつもの)には魚醤(うおひしお)の味が利いており、其れも好く飲んだ。大王ももっと食え、と汰木の皿に美味い物を乗せてくるので、其れも助長しただろう。

「生まれて初めて、お腹いっぱいと云うのを味わいました…」

 汰木は満足げな顔で腹を擦り、眠たげな様子を見せている。万木も汰木がきちんと栄養を付けるまで手は出さない、と決めたので(もた)れ掛かって来る汰木の頭を撫でるだけだ。

 料理も粗方食べ尽くされ、あとは皿と笹の葉を厨に持ち戻るのみ。万木も手伝って、退出した方が良いのだろう。そう思い、本当に眠って仕舞いそうな汰木を起こそうとすると、喬音(たかね)が笹の葉を素早く片付けた。

「今日の主役は、最後まで座っていてね」

 そう言い残し遊佐に付いて行く喬音は、来年には遊佐と妹背になる。汰木共々に関わりは強くなるので、今は従わせて貰おう。ただ、汰木だけは眠りに入る前に万木の間借りする井波の御館(みたち)に連れて行かなければ。

「汰木、(きざはし)を下れるか?」

 囁くように掛けた声に、汰木はびくりと身を起こした。酒は一滴も入って居無いのに、うっすら赤くなった頬。厚みが無いと思った筈なのに、衣の(あわせ)から覗く胸乳(むなぢ)の艶。汰木の覚悟は出来て居るのだ、と万木は此の時初めて思い至った。

「汰木…」

 茫然と呼び掛けた万木に、汰木は未だ眠たげな上目遣いで見返して来た。

「万木、今宵は宮の外れの(いおり)に、火瓶(ひがめ)と夜具を入れて置いたんだ。そちらに連れて行って、寝かせてあげたらどうかな?」

 時記が、此れでは井波の御館には連れて行けない、と思った万木の心を読んだ様に助け船を出して呉れる。

「だそうだ、汰木。寝座(じんざ)で寝られるし、夜具も掛けられるぞ」

 生娘(きむすめ)を誘うにしては色気の無い文句だが、汰木は万木の衣の裾をぎゅっと掴んだ。

目を逸らしたい様な、見詰めて居たい様な。震える睫毛に心が揺らぐ。汰木、と呼び掛けて万木は、静かに細い腰を引き寄せて抱き上げた。

 大王に一礼をしようとすると、無言で良い、と制される。真耶佳が汰木の肩に、そっと自分の領巾(ひれ)を掛けた。寒くない様に、と云う事だろう。万木が階を下り始めてから一拍。大王が手を叩いて、今宵の宴は終焉となった。

「汰木、綺麗だ」

 月明かりの下、万木はたった一言今宵の汰木を褒めた。

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