十五、大王足るか
女御館には巫王が来ていた。大王が巫王の卜を求めると亜耶が闇見し、大蛇が呼びに行ったのだ。朝の卜で巫王も宮での騒動を或る程度知って居り、珍しく亜耶の前で卜をしている。
巫王は骨卜を得意とし、鹿の骨を使う。幼い頃見た以来の巫王の卜に、亜耶は興味津々だ。骨を放って何をするのかと思えば、放った後の骨の並びから過去や未来の光景が浮かんで来るのだそうだ。
「見えた」
険しい顔で骨を見て居た巫王が、不意に口にした。亜耶と大蛇は息を飲み、次の言葉を待つ。しかし巫王は、卜の結果は直接大王に伝えると言って首を横に振った。
「亜耶、一つ確認したい」
「なあに、お父様」
「阿久津と云う魂名の者は居たか」
亜耶は大王の裁定の場での闇見の中に居た、と答えた。あれは、万木の名を騙って毒薬を手配した者。
「矢張りな…」
「お父様も、見たのね。あの狐の様な不気味な顔」
「ああ。何かに似ていると思ったら、狐か…」
巫王は疲れたのか、目を覆って胡座をかいた膝に肘を預ける。其処に大蛇が、甘い生姜湯を持って来た。巫王だけで無く、亜耶にも。二人共礼を言って、有り難く其れを舐めた。
「其れが無くなる頃には、水鏡が揺れるぜ」
「…大蛇にも、未来が見えるの?」
「兄者や綾ほどじゃ無いけどな。少しばかり見える時がある」
「私も昔、助けて貰った事が有るぞ」
巫王がいつもの調子を取り戻し、亜耶に其の時の話をする。幼い頃神山で、見掛けた瓜坊を追っていた。巫王としては親元に戻して遣りたい一心だったのだが、母猪が気付くのを大蛇は先見した。
駄目だ、大蛇がと叫び、走る巫王を急に腰元に抱えて片手で木の上に飛び乗った。急な事に巫王は、木の上で茫然としたと云う。其の直後、母猪が巫王の居た場所に突進して来たのだ。
「お父様、瓜坊を追うなんて…」
「あの頃は未だ、山の掟など知らなかったからなぁ」
「八津代は瓜坊だ兎だ山羊だって、良く後に付いてっちまう子供だったからな」
気を付けて見てたんだ、此れでも。そう大蛇が言うと、巫王は懐かしげな温かい目で大蛇を見た。
「鵠を追った時も、助けて呉れたな」
「ああ、結局俺が捕まえて食ったよな。お前がたがた震えてて、火は熾した物の心配したぜ」
「何、鵠の羹の温かさで直ぐに震えなど止まったわ」
巫王の意地を張った様な反論に大蛇が吹き出し、亜耶はふふ、と笑う。巫王の強がりだと分かったからだ。
「鵠は全部羹にしたの?焼いた方が私は好きだわ」
「そろそろ飛び立つ季節だな。今度未だ暢気に残ってんの獲って遣る」
「楽しみにしてるわ」
「私にも…」
「ちゃんと食わせて遣るから、安心しろ」
ちびちびと舐めていた生姜湯も、もう最後だ。巫王の碗にも、殆ど残って居無い。そろそろね、と亜耶が言うと同時に、水鏡が揺れた。
水鏡に手を翳して居たのは、大王だった。横には真耶佳も控えていて、澪や時記、月葉も水鏡が見える位置に居る。
「大王、もう水鏡が御せるのですね」
此方側で水鏡の正面に座った巫王が、感嘆と共に言った。大王は少し照れ笑いを浮かべて、時記に教えて貰った、と答える。
「巫王どの、お呼び立てして済まない」
「いいえ、此方も丁度卜で見えた所でしたから。お知らせせねばと思って居たのですよ」
先程の女御館での卜では、事と形を見ただけだ。悪い知らせは、今朝の内に出ていた、と巫王は言訳した。
「大王、結論から申し上げます。毒薬を手配したのは、阿久津と云う魂名を持った男です。木簡も回収出来ますが、万木とは筆跡が全く違います」
亜耶が、あの狐顔、とぽつりと言うと、大王ははっとした顔をする。
「あの狐顔が、阿久津か…!」
「此れまでに面識が?」
「稀に毒味役の三重樫と話して居ったのだ。真逆、あの時にも毒を…?」
「――時記」
大王の不安を払拭する為、巫王は水鏡の向こうの息子に声を掛ける。時記は直ぐに察し、大王の左手を取った。
「大王、少し熱くなりますが、宜しいですか?」
「確かめられるのか?頼む、時記」
時記が見た事も無い様な険しい顔をして、大王の左手に熱を集める。そして大王の手首に毒素を集め、ひょいと指を動かして其れを宙に放った。直ぐに落ちた毒の粒を時記が拾い、水鏡の此方側に見せる。粒は、大粒の砂金ほどだった。
「大王、ご安心下さい。此れ位なら、食事をすれば自然に入って仕舞う物。寧ろ齢を数えれば少ない方です」
本当に遷宮までは、三重樫は大王を守っていたのですね、と巫王が結ぶ。其れに、大王は苦虫を噛み潰して居た。矢張り、胸中には複雑な物が有るのだろう。
「巫王どの、我がしようとしている事は正しいか」
「正しいかどうかではではありません。大王足るか、です」
以前真耶佳に上に立つ者の理を教えた大王に、今度は巫王が言う。上に立つ者に足るか、と。
「うむ、目が覚めた。有り難き事よ」
巫王と大王は、何かを共有して頷き合う。そして巫王は、阿久津は逃げようと態と出口に近い場所に立つだろう、と告げた。三重樫に二人、阿久津に二人、直ぐ傍に大王の側近を置く様勧める。
「相分かった。小狡い上に、往生際の悪い小悪党よの」
「雄黄などに手を出すのです、其の程度の小物でしょう」
最後には口端に笑みを乗せた大王に、亜耶も巫王も安心した。そして、亜耶が話は変わるのですけれど、と話に入り込む。
「万木は女医を一人、妹にする事を請け合ったのでしょう?他の女医も、妻籠に出入りする男で無理強いが無いのなら、夫を取って医術を受け継いで行くべきだと思うのです」
妻籠には、色々な役職、族の男が出入りする。大后の宮ほど、閉じられては居無い。その中から幸せを掴む事を、許して遣って呉れまいかと亜耶は頼んで居るのだ。
「その様な未来が見えるのか、亜耶姫?」
「はい、ともすれば悲恋にもなり得るものが」
「確かに医術は継いでいくべき物。そして、薊と深瀬も幸せを得るべきだ」
「暁の王、有り難う御座います」
隣に座る真耶佳が、不意に礼を言った。亜耶は真耶佳の気持ちをも代弁して居たらしい。澪も、安堵した様子だ。
「其れでは大王足るが故に、我は裁定の場を設ける。巫王どの、助言に感謝する」
「いいえ、貴男はもう魚の杜の同胞なのです。感謝される謂われは御座いませんよ」
「魚の杜では、飲み交わそうぞ」
「ええ、是非に」
上に立つ者だから分かり合える。そんな二人が強気に笑い合う姿は、まるで戦場で飲み交わした友の様だと亜耶は思った。
水鏡の向こう側では緊迫が増しているが、大丈夫だ。大王は上手く遣る。亜耶は真耶佳に心配無い、とだけ伝えた。