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魚の杜の巫女  作者: 楡 依雫
水鏡篇 二の章
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十四、大王の寛容

 万木(よりき)は、悲壮な決意で朝餉を運ぶ井波(いなみ)遊佐(ゆさ)に続いていた。一歩、また一歩と遅れそうになり乍ら、(くりや)から宮への道を歩く。少し、下を向いて歩いていた万木の耳に、井波の驚いた声が届いたのは、其の時だった。

時記(ときふさ)さま…!」

 なんと、時記が(きざはし)の下に下りて来ている。機が良いのか、悪いのか。のろのろと万木は視線を上げ、其の蒼白な顔を時記に晒した。

「井波、遊佐、朝餉が安全なのは、亜耶が(あかし)してる。其の侭運んで。万木は…少し、落ち着こうか」

 いつもの温かで、穏やかな時記の口調。万木は、自分も信じて貰えているのだと胸が熱くなった。

 井波と遊佐が先に階を上り、時記と万木は二人になる。

雄黄(ゆうおう)の丸薬に雄黄入りの塩、砕いた烏頭(うず)に若い酸漿(ほおずき)だね」

「透かし見たんですかい…?」

「いいや、妹姫(おとひめ)神夢(かむゆめ)を見た、と知らせて呉れたんだ」

 君や、三重樫(みえがし)の元に居る三人の女医を酷く心配して居たよ。そう続けると、万木はくしゃ、と顔を歪めた。

「妹姫さまのお言葉だけで、俺を信じて呉れた、と…?」

「普段の働きや、貴男の人柄だって勘案したさ。どんなに勇気の要る告発だったろう、と」

 万木は、本当に大后(おおきさき)の宮に来て良かった、と思った。例え大王(おおきみ)が許さなくても、時記に信じて貰えただけで充分だ。

「万木、貴男の事は罰せさせない。妹姫が言い出した良案が有るんだ。大王への言訳(ことわけ)を手伝って」

 時記が言うと、本当に罰せられない様な気になる。大王への言訳は、元々許されたらする積もりだった。だから万木は時記に従って、毒薬を乗せた盆を手に初めて宮への階を上った。




 宮は皆で朝餉を囲んで、(なご)やかな雰囲気だった。いつもは直ぐに下がる井波や遊佐も、緊張した面持ちでご相伴に与っている。

「おお万木、来たか」

 遠くから見た事しか無い大王が、気さくに万木の名を呼ぶ。そして、朝餉の円の中へと招くのだ。

「お前が毒見をして、亜耶姫も安全と証した朝餉よ。共に食そうでは無いか」

「い、良いんですかい…?」

「私もまだ食べて居無いんだ。万木、一緒に食べよう」

 毒見の量は、少ない。厨へ帰れば、万木の分の朝餉も有る。そうと知って居ても、宮の面々は万木を仲間に入れて呉れる。

「万木よ、此度は勇気ある告発をして呉れた。其方も立派に、此の宮に馴染んだな」

「は…有り難きお言葉…」

 正直万木は、こんなに歓待されるとは思って居無かった。前に尻を触った三朝(みささ)まで、見直した、と態々言いに来る。

「済まなかったな、本当に」

「良いのよ、居場所が無いのが一番辛いわ。其の鬱憤晴らしだと思えば、年古女(としふるおんな)にも価値があるでしょ」

 優しく笑った三朝は、あの時怒気を隠さなかった女とは別人の様だ。万木はもう一度詫びを言って、三朝から朝餉の碗を受け取った。

「今朝も(いお)(もり)の食事は美味いのう」

 大王は、完全に緊張の糸を解いている。万木、肉も食え、と態々取り分けてまで呉れる。また万木の胸の内に、熱い物が湧き上がった。

「俺、いや私は…貴男様に仕えられて、幸せです…」

 普段の口調が出ない様に、万木は言葉を紡ぐ。すると大王は破顔して、そう言って貰える者で良かった、と屈託無く言った。詳しい話は、朝餉の後で。今は美味い物に集中しよう。大王は、そんな心遣いまで呉れた。

 許して貰えるのなら、この御方の皇子(みこ)御代(みよ)まで仕えたい。万木は、切にそう願った。




 楽しい時間はあっという間に過ぎ、側女(そばめ)達が朝餉の器を片付け始める。其れを片付けようと井波と遊佐が立ち上がったが、大王に制された。万木の、大事な証人だからと。

「万木、此度の毒薬は三重樫が持ち込んだ者で違い無いな?」

「はい。早朝に入る食材と共に、本人が持って来ました。遊佐には顔を見られない様にしていましたが…」

「でも僕は、あの汚い顔を覚えて居ます。万木を呼びつけて、何か長々と話して居たのですから視線は向きます」

 そうか、魚の杜の基準に照らし合わせると、三重樫の顔は汚いに入るのか。万木は、妙な所で感心して居た。そんな事を考えて居る場合では無いのに、許されている浮遊感が未だ消えない。

「亜耶姫の神夢と闇見(くらみ)では、女医が三人出て来たと言って居た。違い無いな、時記」

「はい。一人は万木を兄様と呼んでいて、塩の容器に態と蜜を塗って雄黄を付けたと…」

汰木(ゆるき)だな…」

「ほう、汰木と云うのか」

「は、はい。三人とも口減らしで三重樫の元に送られてきて、機嫌の悪い時には酷い折檻も…怯えて逆らえないのは、どうか許して遣っては頂けませんか…!」

「其れでは、砂金を与えて両親の元へは返せんな。亜耶姫の案が、一番しっくりくる」

 万木の横で、時記が頷いて居る。良案があると言って居たが、どんな物なのか万木は気になっていた。

「万木、其方例の汰木と云う女医を、(いも)にする気は無いか?」

「………へっ?」

「命を懸けて宮に危機を教えて呉れた女医だよ、宮に入るのも良いだろうと思って」

「いや、でも汰木は、名無しで送られて来たから俺が名付けたら、兄様と慕う様になっただけで…汰木の気持ちは…」

 ふ、と大王が口の端に笑みを乗せた。亜耶姫の見立てでは、汰木は兄様に嫁ぐのが望みだ、と。其れを言われて仕舞えば、妹分として可愛がってきた万木もやぶさかでは無い。

「もし本当に汰木が望むなら…そう致します」

「よく言った。汰木には宮の女達を診て欲しくてな。男の医師だけでは、相談しづらい事も有ろう?」

「ええ、側女達も悩んでおりますわ。時記兄様や万木に、如何(どう)伝えた物かと」

 其処で初めて口を開いた真耶佳(まやか)が、早くも汰木を歓迎する。大王も頷いて、洗い場の女達の冷えや、忌屋(いみや)での投薬に付いても考えられるのでは、と持論を口にした。

「汰木は優秀です。そう言う患者を、ほっといたりはしねえ」

 ついいつもの口調が出てしまった万木だが、大王は気にした様子は無い。其れ所か、頼りになる者が増える、と喜んで居る。

「所で万木、毒薬の手配が全てお前の名になっているらしいのだ」

「本当ですか?薬の入手には木簡(もっかん)が要るし、頂いたのは時記さまが加密列(かみつれ)を欲しがった時だけだ」

「其れは私も証する。井波や遊佐の前でも、木簡は其の時しか触って居無いよね?」

「は、時記さま」

「僕も、証します」

「うむ。此の件については、また水鏡(みずかがみ)を繋いで呉れるか。巫王(ふおう)どのの(うら)も知りたい」

「はい、お任せ下さい」

 次に話は、残りの二人の女医に移った。名を何と言うかと聞かれ、丸薬を作るのが美味いのが(あざみ)、烏頭を砕いていたのが深瀬(ふかせ)だろう、と万木が答える。二人共幼い内から、三重樫に癇癪の捌け口に為れていた。薊などは、三重樫の顔を見るだけで肩が震える程だ。

 其れを聞いた大王は、不愉快、と云う文字を顔に貼り付けた様な表情になった。

「三重樫は前の毒見として重用したが、その様な男だったとは…」

 もう一人、三重樫と共謀しているかも知れない者が居る。木簡の話を聞いて、万木の頭に浮かんだのだ。

「三重樫の懐刀の阿久津(あくつ)…彼奴が、毒薬を手配したかも知れません」

 罪を着せる訳では無い、ただ阿久津なら遣りかねない。其の思いで、万木は言った。大王も、阿久津の名は聞き覚えが有ると言う。

「話を戻そう。薊と深瀬は、仲は良いか?」

「ええ、仲は良いです。良く二人で薬草畑を耕して居ました」

「其の二人を、妻籠(つまごみ)の女医にする、と云う案はどう思う、万木?」

 妻籠にも、男の医師しか居無いのが現状。大后の宮で此れなら、妻籠ではもっと女手が足りて居無いだろう。大王の説明に、女医達は罰せられないと知った万木は明るい顔を取り戻し始める。

「あの二人は、女の病にも詳しいんです!適任かと思います!!」

「そうか、万木のお墨付きならば、心配無いのう」

 そうして女医達の行き先は決まり、後は三重樫と阿久津だ。冤罪があっては困る、と云う理由で、大王は裁定の前に魚の杜と話す事にしたそうだ。

「万木、出来る事なら朝霞(あさか)の代まで…宜しく頼んだぞ」

 望んでいた言葉を大王に貰い、万木は幾度も頷いた。皇子(みこ)さまのお命は、守ってみせる。そう誓って、井波、遊佐、万木は一旦厨へと戻された。

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