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魚の杜の巫女  作者: 楡 依雫
水鏡篇 二の章
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十三、三人の女医

 此処は何処だろう、と亜耶は思った。知らない壁の中、薄暗い其処で女達が何かをして居る。彼女たちは、女医だ。其れだけは分かった。

 一人、腹に一物抱えた男が三人の女医を見張る様に踏ん反り返って居る。其の男の目を盗み、一人の女医が塩の蓋に蜜を塗った。其処に、薄黄色い粉を態と付ける。何かの目印だろうか、と亜耶は其の女医の後ろに移動してみた。

 男が気付き、女医を張り倒すのと、機は同じだった。

「何をして居る!蓋に雄黄(ゆうおう)を付けたら…」

「宮の者には分かりません!ただ、万木(よりき)兄様に、食べてはいけないと知らせる為に…」

 其の言葉に、男は再び振り上げた手を下ろした。確かに万木には、立役者と為って貰わねば。そう言って男は昏い笑みを浮かべる。

「万木には、皇子(みこ)を助けた医師と云う使命を全うして貰わねばな…」

 男は確かに雄黄と言った。亜耶の記憶の中では、流行病(はやりやまい)に見せ掛けたい時に使う毒と教わった。良く見れば(くだん)の女医の手元には、黄色い石が置いてあった。

 では他の女医は何をして居るのか。亜耶は隣の台で作業している女医の手元を見た。普通に見れば只の丸薬、しかし其処にも雄黄が有る。こねくり回している女医は何も口にせず、男に怯えた様子だった。

 では三人目は。此方は少々荒い作業をして居る。見覚えの有る、紫の花。綾が決して摘んではいけないと言った花、烏頭(うず)。其れが根ごと乾かされて、女医の手で砕かれて行く。

 此れだけ細かくすると云う事は、薬と称して誰かに飲ませるのだろう。丸薬で衰弱させ、烏頭で(とど)めを刺す。万木か遣る。其れを勘案するなら、相手は大王(おおきみ)だ。

 万木を兄様と呼んだ女医が作っていた塩は、宮の(くりや)で使わせる物か。時記(ときふさ)が言っていた、宮ごと毒を盛られると云うのも(あなが)ち間違っては居無かったのだ。

 如何(どう)しても、此の男の名を知らなければ。亜耶は男を注視し、魂名を読む。三重樫(みえがし)、其れが見えた名だった。




 突然、亜耶の意識は(いお)(もり)に戻った。八和尊(やかずほ)が泣き出したからだ。と云う事は、あれは夢――神夢(かむゆめ)だ。八和尊を抱き、見回せばまだ夜は白々明け。時記が起きる頃だろう。

 腹は減っていないらしい八和尊を同じく起きた大蛇(おろと)に任せ、亜耶は水鏡(みずかがみ)を揺らす。どうか、気付いて。そう願い乍ら。

「時記兄様…!」

 幾度も水鏡に向かって呼び掛けると、月葉(つくは)が来た。そう言えば乳母(めのと)()は、赤子の声さえ通さない造りだった、と亜耶は思い出す。

「亜耶さま、時記さまをお呼びすれば良いのですか?」

「ええ、月葉も分かって居るでしょう?」

「はい」

 月葉は失礼を承知で、と言いつつ乳母の間に行って呉れた。そして時記を連れて来る。既に目覚めて居たらしい時記は、少し美豆良(みずら)に乱れは有る物の、亜耶、と優しく声を掛けて来る。

「気付かずに、済まなかったね。月葉が急ぎの用だと言っていたけれど」

「ええ…神夢を見たの。其れから少し、闇見(くらみ)も」

 亜耶は急いで神夢の内容を伝え、三重樫は万木の雇い主だ、と結んだ。今頃毒は宮内に持ち込まれている。万木は其れを、遊佐(ゆさ)井波(いなみ)に迷う事無く伝えた、と添えて。

「朝餉は安全よ、万木と井波の判断で、魚の杜の味付けをしたから」

「万木…そんな覚悟を…」

「万木は、自分も罰されると思って居るわ。朝餉が来る頃に為ったら、(きざはし)を下りてあげて、兄様」

「ああ、分かったよ。其れにしても、持ち込まれた薬草というのは…」

「私の見た限りでは、若い酸漿(ほおずき)よ。実は無いけれど、堕胎薬だわ」

「…っ真逆、(みお)に」

「其れと、真耶佳(まやか)にも。孕めなくなった事を、三重樫は知らないから」

 時記の表情が、怒りに満ちていく。(いも)にも妹姫(おとひめ)にも、きちんと愛情を注ぐ人なのだから当然だ。

「女医達は、幼い頃から三重樫に折檻されて育ったわ。逆らうのが怖いのよ」

「孤児?」

「似た様なものね。万木が詳しく知っているわ」

 時記は頷いて、直ぐにでも階を下ろうとして居た。亜耶は其れを押し留めるべく、朝餉は未だよ、と声を掛ける。我に返った時記は、済まない、続けて、と言った。

「三重樫は大王にお任せするべきね。大王の、前の毒味役だから」

「此れまで、大王に尽くして来たのかい?」

遷宮(せんぐう)まではね」

 三重樫は自身を、用済みとされたと思って居る。大王の宮に残るのを許された栄誉は、三重樫には響かなかった様だ。恩を仇で返す形で、女医達を育てるどころか毒薬を作らせたのだから。

「女医たちは、妻籠(つまごみ)の医師になると良いと思うの。男の医師しか、今は居無いから」

 其れとね、と亜耶は声を潜めた。時記は驚いた顔をしたが、好い考えだ、と亜耶の肩を持つ。大王にも、進言して呉れるというから心強い。

側女(そばめ)達も苦労が多いのよ、分かってあげて」

「ああ、私と万木では引き受けられない事も頼めそうだ」

「其れでは此方の厨の者に話をして、藻塩(もしお)魚醤(うおひしお)の追加も送るわね」

「うん。そう言えば、赤米は今年から大王の田でも作付けするって」

「本当にお気に召したのね」

 亜耶は緊迫感を保てず、思わず笑って仕舞った。ただ、次の作付けでは赤米は秋まで出来ない事に為る。赤米も送る、と言って亜耶は時記を安心させた。

「万木も女医達も、罰しては駄目よ」

 ふと真顔に戻って、亜耶は言う。其れから毒薬の入手先について、少し話をした。三重樫は当然、自分の名で取引して居無いからだ。

「本当に小狡い男だね…」

「直ぐにばれる嘘を吐いても仕方無いのに」

「うん、其れに関しては私も(あかし)するし、厨でも裏は取れるよ」

 大王は浅はかでも愚かでも無い。三重樫は少し、真耶佳に夢中の大王を侮っている様だ。自分と同類、とでも思って居るのだろうか。大王に呼び出されても、逃げるどころか嘘を吐き続けるだろう。

 三人の女医は、三重樫に知らせず裁定の場に呼び出すべきだ。目の前で彼女等が寛大な処遇を受ければ、三重樫は希望を持つだろう。そんな物は無いと云うのに。

 亜耶と大王は、少し似た残酷さを持って居る。其れは他人の悪意を見続ければ、誰でも至る境地と云う訳では無い。上に立つが故に、幼い頃から培われた物だ。時記は其れを知って居るし、真耶佳も薄々気付いて居る。

 亜耶も大王も、出す結論は同じ。少し楽しみなのは、亜耶が其れだけ怒っていると云う事。

「大王には、ご期待申し上げるわ」

 笑みを刷きながら言った亜耶に、時記は苦笑して居た。

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