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魚の杜の巫女  作者: 楡 依雫
水鏡篇 二の章
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十一、厨に於いての懸案

 真耶佳(まやか)の許しを得た時記(ときふさ)(みお)が、水鏡(みずかがみ)を繋いで来た時。亜耶は、先に也耶(やや)の確認をする様時記に伝えた。聞けば也耶も、桜の下で眠りに就いて仕舞ったと云う。

 (あま)(かみ)の通った桜、其れは充分に(かむ)つ桜。皇子(みこ)の方は暴れて居ると言うから心配無いが、也耶が先日の八和尊(やかずほ)の様になっている可能性がある。

(かむ)()では、そんな事が…!」

「そう言えば昔、父上に聞いたよ」

 二人は亜耶に促され、先ず我が子の様子を見ている様だ。亜耶としては話題はもう分かって居るので、何も問題は無い。

「兄様、襁褓(むつ)を替えたら澪に抱かせて。きっと泣き出すわ」

 時記がぐっしょりと手水(ちょうず)で濡れた襁褓を取り替えると、澪は也耶を抱き締めた。途端に、也耶は泣き喚く。其の声に驚いた皇子が、真耶佳の腕の中で泣き出すのも聞こえる。

「赤子が二人って、大変ね…」

 思わず本音を零して仕舞った亜耶だったが、冷静になって澪には乳を遣る様助言した。

「信じられない程飲むわよ。足りなかったら、此方に魂離(たまさか)りさせても良いわ」

「あ、有り難う御座います、亜耶さま」

 澪自身が、也耶の此れまでに無い乳のおねだりに戸惑って居るのが分かる。戸惑いがちに也耶を見下ろす澪が、乳の左右を変えた。其程飲むのだ。皇子はまだ泣き続けて居て、真耶佳を手こずらせて居る様子。必死であやす大王(おおきみ)と真耶佳の声が水鏡越しにも聞こえて来る程に。

「澪、乳なのでは無いかしら…?」

 痺れを切らした真耶佳が、水鏡に近付いて来た。亜耶は真耶佳に神つ桜と巫覡の赤子との関係を伝え、皇子が泣いているのは也耶の声に驚いたからだ、と言訳(ことわけ)する。

「そんなに大変なの、巫覡(かんなぎ)の赤子と云うのは…私が音を上げてはいけないわね」

 真耶佳は物分かり良く大王の元に戻って行き、澪は今宵の乳の心配を始めた。

「澪は皇子の分だけで良いわ。也耶、今宵は私の元に来なさい」

 必死で乳に(むさぼ)り付く也耶だが、声は聞こえて居る様だ。ぱしゃん、と水鏡に答えが来た。

「亜耶、済まないね」

「良いのよ兄様、八和尊も也耶の気配がする度に喜ぶわ」

 也耶が落ち着いて来たのを見て、亜耶は時記に語り掛ける。

(くりや)の毒味役の話でしょう?」

万木(よりき)と言うんだ。薬草畑の世話もして呉れている、頼りになる男だよ」

「なら、其の侭頼りにして大丈夫。私、人の手柄を横取りする趣味は無いもの」

 月葉(つくは)の言葉で強張っていた時記の顔が、段々驚いた物に変わる。亜耶も、万木を買っているのか、と。

「此れから真耶佳と大王を守って呉れる万木の為に言える事は、一つよ」

「一つ?」

「大王の遷宮(せんぐう)を快く思って居無い者が、大王の宮にも根強く居ると云う事」

「ああ、其れは感じて居るよ。遷宮の祝いは妃や臣下からばかりで、大王の宮からは来て居無い」

「黒い針も、一旦減って角度を違えて増えたでしょう?」

 時記は、その問いに無言で頷いた。真耶佳より、大王に向く針が増えたのだ。

「あんな(ねた)(そね)みを飛ばしても、現人神(あらびとがみ)さまには何も効かないけれどね。私の気分は良くない」

「私もです…!」

 真耶佳さまも大王も相手にして居られませんが、個を見て居無い様で不愉快です、と。澪がこんなに強い言葉で言うのは、父の事以外では珍しい。

「大王の宮にも善き御仁(ごじん)は居るわ。皆と思っては駄目よ」

 時記と澪に諭す様に亜耶は言うが、でも、と眉根を寄せる。

大后(おおきさき)の宮の外から入ってくる物、特に医師が使う様な薬草には気を付けて」

「分かった、入って来た物は井波(いなみ)が受け取って、万木と遊佐(ゆさ)が検めるんだ。厨の皆に伝えて置くよ」

「ええ、特に蜜の匂いや細かく砕かれた物は、万木でなければ判らないかも知れないわ」

「大后の宮は食す物が皆一緒だから、悪くすれば…」

「時記兄様、そんな事は起こらないわ」

 流石に時記の心労は、亜耶が笑い飛ばして呉れた。其れで、時記も段々に怒らせて居た肩から力を抜く。

「何の為の水鏡?其れにそんな禍事(まがごと)、澪にも見える。月葉も何も言わぬ筈無いでしょう?」

 宮守(みやもり)は一人だけれど、時記は独りでは無いのだ、と。亜耶は言葉にせずに伝えて行く。其れには時記も思い至ったらしく、視野が狭くなって居たね、と照れて居た。

「只でさえ、大王と皇子には天つ神様の護りが有るわ。悪巧みをした者は、如何為って仕舞うかしらね」

 少し意地悪く笑った亜耶は、常に無い美しさを帯びている。(いお)(もり)からも鉄槌(てっつい)を下そう、と云う魂胆が透けて見えるからだ。

「亜耶さま…天つ神様に気に入られた理由が分かった気がします…」

 澪は何故か、感心しきりだ。澪はこうならないでね、と時記が小さく言ったのが、水鏡越しに亜耶の耳にも届いた。




 厨に話をしに行く約束をして居た時記が抜けては、真耶佳が水鏡の向こう側に座った。漸く泣き止んだ皇子は、ぷつぷつと寝息を立てている。

「綾様と大龍彦(おおつちひこ)様にお子!?」

 澪と真耶佳の驚き様に、亜耶は伝え忘れて居たか、とやっと気付いた。妹背(いもせ)の間の事や、勾玉が切れなかった事は話したと云うのに。

 大きな二人の声に惹かれた様に、月葉も水鏡を覗きに来る。其れだけ、守神(まもりがみ)の血族が杜に混じるというのは大きな事なのだ。

「生まれて来るのは十年は先だけれどね、綺麗な稚魚だったわ」

「住処はどうするのです?」

 月葉が至極真っ当な疑問を亜耶にぶつけて来る。巫王(ふおう)(やしろ)鳥居(とりい)を建てる、と言ったら、未来に見える海の中の鳥居は其れですか、と月葉が呟いた。

 月葉が未来を語るのはだいぶ珍しい事なので、亜耶は当然、真耶佳や澪の注目も集める。

綿津見神様(わたつみのかみさま)にお許しを貰って居る最中だけれど…月葉にはもう見える?」

「はい…」

 思わず口に出した呟きに食い付かれて、月葉は溜息がちに答えた。石の鳥居が、白浜に建つ大きな社を海に向けているのが見える、と。仕方無しに答えた月葉は、口に出した事を悔いて居る様だった。

「月葉の見る物が確実な未来だと云うのは、お父様も知って居るわ。でもお父様ったら、もう大蛇(おろと)にくっついて神山(かむやま)で栗の木を探して居るの」

 亜耶は笑い話に変えようと、今女御館(おなみたち)に大蛇が居無い理由を面白可笑しく話す。すると月葉も少し笑って、気が早い、と答えた。

 木材は取り置き過ぎれば(たわ)んだり腐ったりと、海と川に面した魚の杜では難しい物なのだ。しかも、建てるのは白浜。幾ら綿津見神が許しても、せいぜい製材に五年で良い。護りの有る木なのだから。

「巫王さまは、一つに夢中になる方なのですね」

「もっと広くを見ていると思って居たでしょう?月葉はお父様に憧れて居たもの」

「い、今も畏敬の念は持って居ります」

 そうかしら、と亜耶はからかい、月葉は巫王が(うら)を外す事は絶対に無い、と息巻いて話した。

「良かったです」

「月葉?」

「亜耶さまに、皆の不安を持っていって頂けて」

 不安にさせたのは自分の一言。月葉は少し、其の事を悔いて居る。しかし、何処かで言葉にしなければ誰もが知らない事だった。

 神人(かむびと)の目は、残酷な程正確に未来(さき)を見る。月葉も伝え方には困っただろう。亜耶は乳兄弟(ちのと)として、少し話を(ほぐ)しただけに過ぎない。

 微笑み一つで、其の思いは伝わる。亜耶は月葉に微笑み掛けて、口に出して呉れて有り難う、と言った。

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